2023/2/15 三食カレー、のどを震わす

今日は10時ころに起きて、朝ごはんにカレーライスを食べた。相変わらずおいしい。一晩寝かせただけにしてはやたらと煮詰まってるいる感じがありおいしい。ただ、あまりに濃すぎると加熱するときに焦げやすくなるのでコーヒーを飲むために沸かしたお湯のお残りを入れてあげてちょっと薄めた。
そのあと漫才大行進の出番、18時から高田馬場でアルバイト、帰りにウーバーイーツを3件だけやった。帰ってから録画していたヒロシのぼっちキャンプを見て、気づくと寝てしまっていた。
今日は朝、カレーライス、昼カレーうどん、夜カレーパンとやりたい放題だった。

13時からは漫才大行進の出番だった。我々の前がにゃんこ金魚師匠。我々の次が宮田陽昇さんという並びだった。この香盤、寄席に明るくなければなんとも思わないかもしれないが、とんでもない香盤である。この前後のお二組は浅草の寄席色物ではレジェンド的な存在なのだ。その間に我々のような若手が入ってしまうのは誰がどう見ても場違いだ。

この場違いをチャンスに変えてやろうと意気込んで舞台に飛び出す。
「相方の田川くんなんですが、嫌ですね。袖にいてずっとにゃんこ金魚師匠をエッチな目で見てた。」「見てねえよ!」即興のボケだったが田川くんもうまく突っ込んでくれたと思う。
しかし、ウケなかった。なんでだ!どう考えても変なことを言っているぞ。いや、まてよ。今日はおじさまのお客様が多かったから、本当にエッチな目で見ていたのかもしれない。
例えるなら、吉永小百合さんの後に若者が出てきて、「いやーお着物がお似合いで」と言ったうなもの。壇蜜さんの後に「いやー、なんだか妖艶な雰囲気で興奮しちゃいましたね」と言っているようなもの。つまり、これはボケとして成立していなかったのだ。これを読んだ方の中にはほかの可能性を考えている人も多いことだろう。シンプルにつまらないボケだった説、だ。

これについて、私は否定したい。この即興の掛け合いが成立しなかったので、もう一つボケてやった。

藤「いやー今日は前ににゃんこ金魚師匠、この後、宮田陽昇さん。」
田「我々は場違いな並びで」
藤「これからいうことがもし間違ってたら、間違ってるって言ってほしいんだけど。」
田「なに?」
藤「我々も真打に昇進したってことでいいんですかね。」
田「間違ってるよ!」

これはウケたのである。ボケのランクで言えば、さきほどのエッチな目ボケと同じくらいのしょうもなさだ。こっちはウケたということは、やはりお客様がにゃんこ金魚師匠をエッチな目で見ており、ボケが成立していなかったというのが正しいと言えるだろう。

どうだ。こう見えても大学に行ってるので私は論理的に思考できるかしこちゃんなのだ。

さて、出番を終えて帰ろうと思ったところで、カントリーズの福田さんが楽屋でウロウロしていたので少し話す。福田さんはああ見えて漫才論はちゃんと持っている。さいきんこんな感じで~と話すと的確なアドバイスをくれる。でも、よく考えると最近どんなことを言っても「基礎が大事なのよ」としか言ってない。福田さんの漫才論はすでに搾り取ってしまったかもしれない。帰りがけにカントリーズさんのネタを見る。基礎的ではない漫才をやっていた。

東洋館の階段を降りて、出口に向かう。受付スタッフの方が声をかけてくれた。先日、チョコレートをくれた方だ。「ナレーションの仕事の人だ」と声をかけてくれた。昨日の日記をさっそく読んでいただいていたのだ。
ということは、今日の分も読んでいただける可能性が高い。いろいろと書くのははばかられる。が、思ったことの記録を残すための日記なので書いておく。「爆弾世紀末は声がいいのでナレーションの仕事はあり」とのお言葉をいただいた。

確かに、田川くんは声がいいとよく言われる。ただ、私の中ではいい声を出しに行った上でのいい声なので認めていない。なんだか、新興小劇団っぽいと言えばいいのだろうか、心から発された声ではなく、まだ自分たちの個性を見つけられておらず、イメージの中の「いい声」を真似しているように聞こえてしまう。私は縁起のいろはも知らないので聞き流してください。

次に私の声だが、私の中ではかなり悪い声だと思っている。なんだか、耳につく高音が混ざっているような感じだ。誰もが一度はビデオで撮った自分の声を聴いて変だな~と思ったことはあるだろう。ただ、大人になるにつれてそれには慣れていき、気に掛けなくなっていくだろう。私はいまだに気にかけているのだ。自分の声が嫌で自分たちの漫才を見直すことがほとんどできていない。
昔、少年マガジンでさよなら絶望先生という漫画が連載されていた、そこに音無芽留(おとなし める)というキャラクターがいた。このキャラクターは子供のころに声がおかしいとからかわれ、実際に自分で録音した音声を聞くと確かに変だ、と思ってしまい以降、メールでしか会話をしないというキャラクターだった。こう聞くとなんだかいじめ問題っぽくシリアスに聞こえるが、これはギャグマンガで笑い話だ。どのように伝えるかで笑いとシリアスは表裏一体である。

メールでのみ会話するということにまではならなかったにせよ、私はなるべく自分の声のことを考えないようにしてきた。話があちこちに飛ぶが、大学1年でアメフト部の新人歓迎会に忍び込んだ時に、おサセさんっぽい女性マネージャーから「いい声だね。もっと喋って。」と言われてどきっとした経験はあるが28年生きてきて声を褒められたのはこの一回だけだった。そして2回目が今日だったわけだ。

なんともどぎまぎしてしまった。「反応に困らせちゃったごめんなさい」と言わせてしまった。痛恨の一撃だ。私はここに書いたすべてのことを声を褒められたことで一瞬にして浮かんできて言葉が出なかったのだ。決して謝らなくてもいいことですよ!

漫才がおもしろい、おもしろくないはお客さんが決めるのと同じで、我々の声が良いのか悪いのかもまた、お客さんが決めることなのだ。いい声と言われればいい声だと思って生きていこうと思う。
芸人は自分たちの存在をお客さんの反応でしか決められない生き物だ。
どの仕事もいっしょかも知れない?
少なくとも芸人はそうなのだから、あんまりトゲトゲ言葉で芸人を責めないでやってほしい。

今日面白いと思ったことは「こんな声でよければナレーションの仕事をどんどんくださいと思っている自分の存在」だ。

こんなつらい人生。ここに空き缶を置いておきます。