2023/5/3 完全な「ケ」

今朝は10時ころに起きた。昨日の漫才はまだ物足りてなかったので、改良をしておこうと思ったが、とくにいい案が思い浮かばなかった。
朝起きて、パソコンに向かってみたがやはりいい案が出ない。良い案を出すとすれば、もう一回0から作り直すことになる。さすがにそれは時間的にも厳しい。

昨日のものを少しテンションを変えてチャレンジすることにした。
13:50からの10分の漫才である。
東洋館に向かっていると三拍子の高倉さんが帰っていた。高倉さんは私のことを憶えていないだろうが、挨拶ぐらいはしておくべきだろうと思った。
声をかけようとしたときに、ファンの方がすごい熱で話しかけに行っていたのを見てこれに参加するのはご迷惑だろうとやめておいた。

少し早めに東洋館に到着して素振りをしようと思った。入口ではスタッフの方がお客さんと話していた。お客さんのすこし変わった気配を見て、これはなにかあるかもしれないなと察知した。

私は一瞬で人を読み取る。5G並みの通信速度で脳にデータを送り、過去のデータと照合して、これはこういうタイプだと読む。

若手楽屋に行くと、新宿カウボーイの石沢さんと三拍子の久保さんがいらっしゃった。挨拶をした。
私は誰にも言っていないが三拍子さんのファンである。Youtubeの生配信番組をいつも楽しみにしていた。ネタ動画もたくさん見て、漫才の基礎的な部分を学んだ感覚がある。勝手に個人的に書き起こしもやって「なるほど、ここのボケがフリになって~」という構造を勝手に学ばさせていただいた。
この度、三拍子さんの配信番組「生漫day」が終了し、その悲しさをご本人に伝えたいなあと思っていたが、シンプルファンの私は勇気が出せなかった。自意識との決闘に完全敗北した。

一つの負けを喫した後、屋上へ行き邪念を振り払うために素振りをする。とんとん拍子のお二人が熱心にネタ合わせをしていた。5/10の漫才新人大賞、ファイナリストのお二人に意気込みをインタビューした。

この漫才新人大賞を通して、久しぶりに漫才について二人で話し合う機会ができた。これは良い大会である。

との話を聞いた。良い話だなあ。確かに、二人はもう漫才については大人びていてあらためてセリフの細かなところについて話すことはなさそうである。それがこの大会に向けてあらためてお互いが何を考えているかすり合わせる。まさに、とんとん拍子に漫才が良い方向に進んでいくことだろう。

これは全然うまくない。なぜか。
私は小学校の読書の時間にお笑い本を読んでいた。そのなかで、ダウンタウンのフリートークを書籍化したものを読んだ。そこでとても印象深く覚えているのが、松本さんの「ダジャレ論」という話だ。そこには面白いダジャレとは研ぎ澄まされた感覚が必要であるという話が載っていたと記憶している。

「(明石家)さんまがサンマを食べた」これは最低最悪のダジャレやねん!そもそもダジャレやないねん。

と松本さんはおっしゃっていた。明石家さんまさんはサンマという言葉がこの世にあるからこそつけた名前であって、これをダジャレとするのは良くない。そういう意見だった。
確かにそうである。なので、とんとん拍子と言う言葉がもとから存在しているうえで、とんとん拍子とコンビ名をつけて、「とんとん拍子がとんとん拍子に物事を進める」というのはダジャレとしては成立していないのだ。
ダジャレ大好きおじさん軍団としてはあらためて松本さんから学んでいくべきなのである。

出番が近づいてきたのであらためて楽屋で着替えを済ませて袖に行く。
U字工事さんの出番の真っ最中だった。GW真っ盛りの東洋館はすさまじい熱気だった。こう熱気があると若手は緊張する。この舞台でつるんつるんに滑った場合、決して笑わないお客さんのせいではなく、自分たちの漫才が詰まんないからということが明らかになるからだ。
このことを我々のあとの出番のとんとん拍子のお二人とも話した。まったくだ、その通り、と袖でみな一つになった。

今日の舞台も自由度が高めだった。出番直前に田川くんは「お客さんが多いから久しぶりに緊張している」と言っていた。失礼なやつだ!
緊張しているほうが、彼は良さが出ると思う。もっと暴れまくってもらいたい。私が一つ放送禁止用語を言って、それを否定する形で放送禁止用語を二個、三個と言ってもらえれば良い。
それが彼の人間性である。

出番を終えて、着替えを終えて靴を履いて外に出ようとしたところでスタッフの方の議論が聞こえる。入口で私の見たあれはやはり小トラブルだったのだ。
お笑いをやっているとトラブルはたくさんある。バイトをしていてもトラブルはたくさんある。働いているとどこに行ってもトラブルはあるもんだ。
みんなで海に行って泳ごう。泳げば嫌なことはすべて海に溶けていく。

日常は「ケ」であり、海で泳ぐことは「ハレ」である。
「ハレ」に向かって「ケ」をためていこうではないか。

お笑いは「ハレ」を仕事にするということだ。お客様は「ケ」を払うために、お笑いを見る。我々は「ハレ」側の人間であると自覚し、日記に日々のうっ憤を書くことはよした方がいいだろう。
はっはっは!

東洋館のあとはウーバーで走り回った。気づけば柴又の帝釈天近くまで来ていた。まさしく、帝釈天へと夕日が落ちるところを見た。
子どもの頃に見たこち亀のオープニングのアニメと同様の景色をこの目で見たのだ。生きて見聞きしたものはすべてどこかでつながっていくのだな。「ケ」もまた「ハレ」と完全に分断されているのではなく、地続きであるのだなあ。

今気づいたが、「ケ」とは「毛」と言い換えることができる。つまり薄毛の方は「毛」をはらった、最高の「ハレ」の状態であるといえる。ハゲればハゲるほど「ハレ」である。自信をもって行こう。

今日面白いと思ったことは「とんとん拍子が優勝すると面白くなりそうだ」

こんなつらい人生。ここに空き缶を置いておきます。