かすみの花というものは

 かすみの花というものは空気中に咲くものだ。ぎゅっと身をつづめて夜の寒さに耐え、朝、日が照ってあたたかくなるころ一斉に、ほどけるように咲き出すもの。昼間にはすでにしぼみかけていて、夕暮れにはねむたげな貌で長い夜をしのぐ準備をしている。かすみの花というものは元来非常にはかないものだ。かすみの花をとどめおくことは、神さまにだって絶対できない。かすみの花はあなたの年老いた祖父のもとへ、あなたの友人のもとへ、あなたの先生のもとへ、あなたの小さなむすめのところへ、あなたの憎む仇のところへ、あなたの恋人のところへ、あなたの知らない誰かのところへ、飛んでいっては消えてゆく。かすみの花は別れのあいさつを聞かないし、自分から言うこともない。なぜならとても自由だから。あなたが悲しんでくれるのを見て、後ろ髪引かれることをとてもいやがるから。
 かすみの花というものは、体にいい。見ると幸せになれる。お金持ちになれる。飼い犬が水虫にかかる。恋人と破局する。庭先の石段が歌い出す。昼と夜がひっくり返る。鉛筆の芯が折れやすくなる。スクールバスを乗り逃す。疲れたくじらが潮を吹く。どれも嘘、どれも本当、生きては死ぬものの総和、あわいはざまで揺れるものをかぞえるための最小単位。ひとが目覚め、活動し、ふたたびねむるのと同じサイクルで、生まれては生まれては生まれ、消えては消え消えては消えてゆくやわらかい花弁と種。太陽にあたためられた水蒸気が、夜明けのたびにそのかたちを取りもどすように、はだしで踏みしめるあたらしい景色のなかで、説明のつかないなつかしさに出会うように。

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