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パートナーのおっさんが、一時的に子どもを預かる「養育里親」になりたがっている。先日一緒に説明会に行って、実際の里親さんの話を聞いてきた。 そして、今日は養育里親の登録をしに行くという。やる気満々のおっさんに比べて、僕は気が進まない。 虐待をして児童相談所に子どもを一時保護された親のカウンセリングをすることもある僕は、親を通して現実に触れている。仕事だから境界を引いて、枠の中で向き合うことができる。 それが、僕の日常にまで入ってくることは、たとえ短期間でもきついと思う。仕
他者の期待に応えようとする生き方をやめることにしました。 自分の中にある「理想的な自分」を疑うことにしました。 他者の欲求を自分の欲求にすり替えないこと。私とあなたをはっきりと分けること。 他人や社会から投げつけられた恥や罪悪感を、自分のものとしないこと。 心理士だから、それが健康に生きるために必要なことなのは百も承知でした。 でも、健康に良いから軽い運動をとか、十分な睡眠と食事をとか、もっと自分を大切になどと患者に言いながらそうしない(できない)医療関係者はたくさ
きのうアップした「ひらり」を、パートナーのオッサンに見せてみた。オッサンはアートに詳しい。 リアルな作品にしたいと思ってると話したら、「小さな額に入れて、家の中に飾ってもいいよ」と言ってくれた。 それじゃあ…と、調子に乗って100均で額を買ってきた。パソコンで題名と絵と詩をあれこれ工夫して配置してみたけど、これが結構むずかしい。余白をある程度もたせようとすると、絵がどんどん小さくなっていく。絵はあまり小さくしたくない。それでも、バランスを見ながら少しずつ絵を小さくしていっ
noteを書きはじめてそろそろ2週間がたつ。今日はなにを書こうかと思って、気負っている自分に気づく。表現しようとして何かを探すのは違う気がするのだ。先にもやもやした何かがあって、それを表現するのがいいと思う。 文章を書くよりも先に、載せたい写真を自分のスマホのアルバムから探したら、今日はなぜかゴーヤを選んだ。庭になっているゴーヤだ。僕がnoteを書いてるこの2週間に、すくすくと大きく育ったのだ。 日々、慣れない仕事や試験勉強をこなしているけど、やってることが実を結ぶのだろ
庭でクチナシの花が咲いている。いい香りだ。 クチナシの花は分厚くしっとりとして、甘く香る。ツメで傷つけると、白い花びらは茶色く変色してしまう。傷つけなくても、錆(さび)のように茶色くしなびていくけれど。 小学生1、2年生の頃、そろばんを習っていた。そろばんの行き帰りにクチナシを生垣にした家の前を通って通っていた。その家の子も同じそろばん塾に通っていたから、ときどき行き帰りの道で一緒になることがあった。 生垣に咲くクチナシに鼻を押し当てて、甘い香りを嗅いだことをよく覚えて
時々、パートナーのオッサンとの関係がぎくしゃくする。 僕が日曜に出勤したことにオッサンが「静かに」腹を立て、この3日間ぐらいぎくしゃくしていた。日曜まで出勤になってしまったのは申し訳ないなと思うけど、前もって伝えていた事だし、1時間早く仕事を切り上げて帰ってきたんだから、こちらとしては分かってよという気持ちがある。 オッサンは機嫌を悪くすると何も話さなくなる。この3日間、家の中で始終ワイヤレスイヤホンを付けていた。僕が話しかけても実際に聞こえていない感じで。こちらは話しか
ひとつ何かわかると、あれこれ分かり始める。 昨日書いた「もやもや無視」の話。メールの返信を先延ばしにしてる時にも起きている。 ハミガキ中や仕事中に、知り合いからのメールに返信していないことを思い出して一瞬「もやもや」するけど無視。それを繰り返した結果、今も1ヶ月ほど返信していないメールがある。返信してないことを思い出す度に「もやもや」は大きくなっている。でも、一瞬で「もやもや」を無視するから、知り合いが返事をもらえないことで「もやもや」していることも一瞬で考えなくなる。