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普段着の京都(14)

京都市西京区、若者に人気の鈴虫寺から歩いて10分もかからないところに、上ノ山古墳はある。少し前まで雑草に覆われ、荒れ果てた印象すらあったのだが、今はきちんと整備され、小さな公園のようになっている。住宅地の中にポツンと現れるので、気づく観光客はほとんどいない。

この辺りは、少し標高があり、京都市内を見下ろすことができる。古墳を作った人々は、故人が心穏やかに景色を楽しみながら過ごせる場所を選んだのだろうか。
近年、急速に宅地化が進んで、多くの古墳が失われているが、現代人がここに住みたくなる理由が、この眺望にあるとすると、皮肉な話ではある。

よく見ると、遠くに京都タワーが見える(トンボが気持ちよさそうだ)

山田地区と上ノ山古墳
 西山丘陵からその麓一帯は、市内でも古墳が密集した地域の一つとして知られています。現在は、宅地造成などによって削平されたものも少なくありませんが、かつては桂川の西岸一帯に多くの古墳が築かれました。古墳時代(3〜7世紀)を通じて、造営が続いた乙訓古墳群ですが、その北部にあたる山田地区の中では、古墳時代中期後葉(5世紀後半)から後期前葉(6世紀前半)にかけて築造された古墳8基が知られており、現在そのうち3基が地上にその姿を留めています。
(中略)
 現在でもその姿をとどめている上ノ山古墳では、令和元年に龍谷大学により発掘調査が行われました。調査では弥生土器や埴輪、狐をかたどった伏見人形、鬼板瓦などが出土しました。伏見人形などは近代の稲荷信仰に関わる遺物とみられ、京都盆地を一望できる見晴らしの良い崖上に立地することなどから、上ノ山古墳は、近世以降にも何らかの信仰の場として引き継がれてきた場所であった可能性を示唆しています。

京都市の案内板より(写真も参照のこと)
令和5年設置の案内板(この古墳が整備されたのがこの時期なのだろう)

案内板の解説にあるように、この土地で近世以降も、何らかの祭事が行われていた可能性があるとすれば、それが途絶えてしまった経緯なども気になる。少し調べてみようとしたが、すぐにはわからなかった。

近くには、浄住寺という紅葉で有名な寺院もある。
秋に紅葉狩に訪れる機会があれば、この古墳にも立ち寄って、眺望を楽しんでいただければと思う。