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春秋戦国志 下 安能務 著 読書メモ

続き。孔子の途中から始皇帝の統一まで。

なんという怒涛の戦乱続きか。
これまでの戦とは規模感が違う。恐らく前巻の呉越の戦争が敵国を完膚なきまでに叩く戦争の端緒だったのかな?と。

三晋が分裂し、田氏が斉を乗っ取り、戦国時代に移行。
大梁や臨淄が大繁栄を遂げるが、その旨味は商鞅を得た秦に結実したように思った。
孟嘗君や楽毅は綺羅星のような皆の憧れだが、発揮された力の先が、時代的にあまり意味がなかったように思う。
白起や魏冉こそ、悪玉扱いだが、最強最高の功労者なのかなと思っている。
どうしても劇薬となる傑物たちは悲劇の最後を遂げる。揺り戻しが王の死で起こることが多い。
個人的にはこの辺りの時代では武霊王と孟嘗君と魏冉と白起が好き。范雎は何が凄いのかよくわからない。長平の戦い後に邯鄲まで攻め落とせば。。。と思わずにはいれない。
今回読んでいて韓非子も凄いなと思った。

趙の郭開という佞臣と李斯は似てる気がする。自分より有能な人材を謀殺し、相対的に自分を1番にする。趙では廉頗に李牧が殺され、秦でも韓非子など殺された。
化物語のレイニーデビルみたいな感じで、自分が1番になりたいという願望をネガティブに成し遂げる。これでは国は滅びる。
始皇帝の秦が早晩滅んだのは、この部分を趙高に競い負けた李斯の無能に尽きたのだろう。
管鮑の交わりが凄いのは、足の引っ張り合いを淘汰した共助での高め合いが成り立っていたこと。
現代でも、足の引っ張り合いは目につく。自己顕示欲の化け物みたいな輩の妄執は恐るべきものがあるなぁと思う。
一方で、ビジネスの前線では、競合という考えは減ってきて、共創やエコシステムといったものが共助の高め合いを起こしている。
それは解決しなければいけない問題がグローバルレベルに大きくなり、1つの企業の努力では微力過ぎるということになってきている。いわゆる社会課題やCSV経営というやつ。時代は変わるというのがこの本のメッセージとすれば、まさに変わっていると思う。
必要に駆られることこそ変化の原動力。マスメディアなど足の引っ張り合いをしているのは既得権益者だろう。春秋戦国時代でも功無き皇族は食えなくなるという状態になっていくはず。今後も楽しみに時代を見ていきたい。

滅亡年を列挙されて思ったが、楚は500年以上。それ以外は100年ちょっと。田斉も含めて確かに100年なんだなぁと。もし姜斉のままだったら900年くらいだったのかな?
秦も成立が古い。何気に1番古い国になってたんだなと思った。他国滅亡に遅れて楚漢戦争中に滅亡した秦は900年くらいだったのだろうか?
また、よくよく考えてみると三晋の趙魏韓はそれぞれの創始者の姓から名付けられた国名であり、実は珍しいんじゃないかな?と思った。
中国の国名は発祥の地名を使うことが普通だと思う。どうなんだろうか?

改めて、様々なストーリーを繋げて見られて本当に面白い本だった。楽しかった。
今の時代も、現代世界の諸子百家たちの発散と収束が起きているかと思うと、どうなっていくのだろうかとワクワクする。
胡服騎射や墾草令などのような価値観を変える革新的な施策はどこで起きているんだろうか。

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