安土往還記 辻邦生 著 読書メモ
久々の大当たり。
終盤は鳥肌立ちっぱなしで読んだ。
この本、読み終わって原典はどんなものなの?って冒頭に色々書いてあったのを頼りにググったら、原典への記述も含めフィクションとのこと。少しがっかり。。
史実ベースで書き表した歴史小説。まぁ、流石に私信にしては長すぎるし、文章が上手すぎるとは思ったけど。
私はかなり信長が好き。私を信長好きにさせたのはクアトロラガッツィという宣教師の視点の記録から信長の治世を読ませてくれた超大作かつ超良作の小説。マジでこれまでに読んだ本の中でも指折りに好き。
以下、当時はまだ手探りでメモしていたから荒れてるけど読書メモ。
当時、安土に築かれた城と城下町が信長の優れた思想を持って設計されたことが偲ばれ、今でもタイムマシンに乗れるなら?で行ってみたい所の1つ。この本を読んだ時、まだ三宮に住んでいたので、即新快速野洲行きに乗って安土まで行って妄想しまくった。その時の記録もある。
ちなみに、今回読んだ安土往還記のラストでヴァリニャーノが帰国するが、その際に確かクワトロラガッツィたちをヴァチカンまで連れて行くはず。
そしてなんとかミッションを果たし日本に向かう途上、東の拠点のマカオにて信長の死とその後の情勢変化を聞くことになる。
マカオにも当時行ってヴァリニャーノらの最後の地も行ってきた。
さて、過去の振り返りはこの辺まで。
今回も史実と創作の範囲はよくわかってないけど、とにかくペルソナがめちゃくちゃ高精度で読んでて感情移入しまくってしまった。ここが1番良かった。
日本の仏教勢力は、当時のヨーロッパでのカトリック勢力と近い、権威をもとにやりたい放題の既得権益者になっていた。
それによって起こる無益な争いの当事者にされてしまう諸勢力たちをなんとか理に適った判断をさせたかったのが信長の立ち位置なのかなと思った。
巻末の解説に書いてあった、「生の無意味な重さ」という言葉が非常に響いたが、彼は何かを成さなければならないという強迫観念のもと、上記を善として実現に奔走したのだろう。
その際、仏教などの信仰と盲信は当たり前の価値観として存在したが打破すべきものだった。
その際になんのために行うのか、様々な戦や政治施策など行う中で、目的をぼやかす曖昧な態度を許さなかったようだ。
その曖昧な態度こそ美徳とされていた日本で、信長は恐れられ、孤立してしまった。
そんな中で、カトリックとはいえ日本の仏教よりは合理的な考え方が出来る(流石に、プロテスタントの台頭によって考え方もシフトしてただろう)イエズス会の人々との会話に信長は癒しを得ていたのだろう。
こう捉えた時に、信長と家臣団の関係が、仕事の出来る上司と仕事のできない部下の関係性と近く見える。
何故、何のためにやるのか?を考えない仕事は本質的にやらない方がマシな場合もある。
信長は恐らく何を目指しているかを天下布武とかはあれど、わかりやすく、メッセージング出来てなかったと思われるのでビジョンとかを伝えてたら部下も違ってたかもとか妄想した。
明智光秀も含めて登場人物の気持ちの持ち方が本当に納得できるもので、このシナリオなら本能寺の変は仕方ないなと、初めて思わされた。
今回はイタリア人船乗りの一人称視点で、様々な人への観察や聞いた話で書かれているが、信長はやはりホームズのように一人称視点で描かずに誰かが彼を見て描写した姿のみで語られることにロマンを感じる。それこそが不世出の天才を語るお作法な気がする。
やはり、信長が生き続けたらどうなったのか?これを考えずにはいられない。。
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