幻の花火

ここ最近の記憶が全てぼやけている。
9月初旬、快晴の昼下がり。
クーラーの効いた部屋でぼーっとしていると外の気候は掴めないが、近くのコンビニまでなら歩けるだろうと意を決して玄関のドアを開けマンションの外に出た。
もう長袖でもちょうどいいと思っていたが、まだまだ夏の暑さが街に腰を下ろしていた。
周りの人たちはまだ半袖を着ている。
自分の時間がかなり止まっているように思えた。
風邪を引き3日間部屋に閉じこもっていただけだが、それが思いの外心身に堪えていた。
やりたいことはなにもできず、ただテレビを見るかぼーっとするだけ。
ついでにちょうど食料も切れているし、ゴミ袋もなくなってしまったのでゴミも散らかしっぱなし。
この休みに買い物やいろいろ全部やろうと思っていたのに、なにもかも未達成のまま。
仕方なく昨日病院へ行き、風邪薬をもらってきたのだった。
夏風邪を引いた3日目のこと。
日が暮れだして、ソファから窓の外が暗くなっていくのを見ていると、恐ろしく深い悲しみとフラストレーションが急にやってきてわたしの肩を叩いた。
久しぶり。
恐ろしく深い悲しみがわたしの耳元でそう言うと、途端に涙が溢れ出てきて絶望の淵に立たされたような気持ちが襲ってきた。
少し嫌なことを考えてしまっただけ、ほんの少し嫌なことを考えるのに時間を使ってしまっただけなのに、恐ろしく深い悲しみはその隙を見逃さなかった。
1人でいるところを見逃さないで、遠い記憶に戻りたがるとすぐにその気持ちはやってくる。
君の居場所はここだよと言いながら。
恐ろしく深い悲しみは、その一瞬で全てを我が色に染め上げてしまう。その瞬間わたしは心のコントロールが効かなくなる。
荒波が体を覆い、必死に耐えるしかなくなる。
見たくもない想像や妄想が、次々と勝手に頭に映し出される。
ただ家に1人でいると歯止めが効かず際限がない。電気もついていない。だが飲み込まれてしまうわけにもいかないので、ゆっくりと冷静を取り戻していく。現実を掴み、ネガティヴな誇張を取り払う。
そろそろ18時になる。
処方された薬を飲んでもいい頃だった。
薬だけではなんとなく良くない気がして、カステラを一切れ食べた。
それだけでお腹はいっぱいになるが、もっとおいしいものを好きな誰かと一緒に食べたかった。
カーテンを閉めようかと窓の方を見ると、花火の音が聞こえた。方向は、ちょうど窓の方らしかった。
窓のそばに行き顔を近づけると、微かに花火が上がっているのが見えた。
今日神社でお祭りがあるのは知っていたが、神社とは全然別の方向だった。
どこから上がっているのか気になり、外に出て窓から見えた方向の道へと出た。
しかし花火は見えず、音だけが当たりを照らしている。
家々の陰に隠れてしまってここからでは見えないのだろうか…
次第に雲と火薬の煙を照らす僅かな光さえも見えなくなり、音もしなくなった。
花火は幻のように思えた。
ただ夜風は気持ち良く、わたしを恐ろしく深い悲しみから解放してくれていた。

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