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邦楽と世界音楽(西洋音楽)を考える

 馬鹿な奴(私)は、以前能楽を習っていました。このことはこのブログの最初のころに述べさせていただきました。私が能楽を習い始めた理由は種々ありますが、西洋音楽のメロディーがどうしても私の心に響かなかったことも大きな理由の一つでした。また、絶対的な音程が取れなかったことも事実です。約30年間能楽を師匠から懇切丁寧に、かつ、極めて厳しく教えていただきました。と同時に、芸術を極めた人の人生観、弟子に対する対応の仕方も見せていただきました。現在の私が存在するための大きな教えとなったことは間違いありません。                               
 ところで余分ですが、私の父(昭和20年戦死)は、昭和10年代にいわゆる旦那芸としてでとは思うのですが琵琶を習っていました。実家の2階の棚には古い琵琶と楽譜が残されていました。父を偲ぶ大切な遺品です。このことも私が能楽を習う一つの理由だったのでしょう。

 さて今回馬鹿な意見を述べたいのは邦楽と西洋音楽の違い、あるいは邦楽の継承への努力の問題です。日本の芸能「邦楽」は以下の通り多岐にわたります。
邦楽のジャンル(インターネットより)
雅楽                                                                                                                         (国風歌舞(御神楽など)、唐楽、高麗楽、謡物、催馬楽、朗詠、今様
能楽 (能、謡曲、能楽囃子、狂言)能楽                                                        仏教音楽 (念仏、和讃、踊念仏、曲題目、ご詠歌、声明)
浄瑠璃                                                                                                              (義太夫節、常磐津節、清元節、新内節、河東節、一中節、宮薗節)
唄もの                                                                                                                    (地歌(地唄)、長唄、長唄鳴物(長唄囃子、邦楽囃子)、荻江節、 大和楽、東明流)
俗謡、民謡                                                                                                       (歌沢、小唄、端唄、都々逸、各地の民謡・民舞、「何々節」、「何々甚句」、「何々馬子唄」、「何々追分」、「何々音頭」、吟詠、詩吟
器楽 (箏曲(琴)、尺八、胡弓、一弦琴、二弦琴、琵琶楽、和太鼓)
祭礼音楽 (祭囃子、祭太鼓、神楽、田楽、獅子舞)

(以下の文章に対し、浄土真宗を学ぶ中央仏教学院通信教育学部の大変尊敬している先輩で、得度され僧侶となられた元音楽教師のM先輩から大変貴重なご意見をいただきました。ここに感謝申し上げますとともに、ご意見は「M先輩」として注書きさせていただきました。)

 西洋音楽にも多岐にわたることでしょう。
 しかしながら、邦楽と西洋音楽とはその前提においてその音楽構成、考え方が違います。この違いを馬鹿な奴が説明することは大変難しいです。インターネット等で調べて見てください。西洋音楽が、ドレミファソラシドを基調としていますが、邦楽は、宗教音楽の「声明」を基調としています。そして音符がありますが、詳細は口伝に依っているためその継承は非常に難しいものです。
【M先輩】
私は大学時代民族音楽を研究しており教授について、島根県の民族音楽について調査したことがあります。
音階については、約2千5百年前に中国で笛を使って音階が作られました、これは、2年専修の教科書に書かれている三分損一法です(おつとめ)、これが日本に伝わってきたものです、また同じ頃ギリシャでは数学者ピタゴラスが鍛冶屋の音から音階を発見しました。この二つ音階はよく似たようなものです。

 ここまで説明しましたが、馬鹿な奴が言いたいのはそんなことではありません。義務教育では西洋音楽しか教えられておらず、邦楽については、見学等で多少習っているに過ぎないと思うのです(間違っていましたら謝ります)。そのくせ、前記のとおり、邦楽のメロディーが市中にあふれています。それにもかかわらず義務教育等で教えないということはどうしてなのでしょうか。不思議でなりません。
【M先輩】                                                                                                         学校では邦楽教えていますよ、私は、お琴の授業で新聞に載り、教育長から直々に褒められました。琴の団体は学校に琴を寄付しています。
 琴は本当は筝と言います、立てて弾くのが琴で下に置くのが筝ですがいつのまにか琴というようになってしましました。

 例えば宗教音楽について考察してみましょう。日本には仏教をはじめ、神道、キリスト教、イスラム教党種々の宗教が存在しています。そして宗教には各宗教音楽があります。キリスト教には讃美歌があり、そのメロディーは西洋音楽によって構成されています。では仏教はどうなのでしょうか?日本における仏教徒数は仏教系団体の信者数は8770万人とされ、日本の人口1億2,557万人の約69%に当たる人がいます。仏教における礼拝(読経)は、基本的には「声明」に基づいていますが、これは西洋音楽とその構成法が相違しています。例えば浄土真宗の場合には、お経をあげる場合の節回しには約30種類の方法があり、それぞれ独自の節回しです。私が依然習っていた能楽でも西洋音楽と違った音階がありました。都会ではお経をあげることに抵抗がある者もおられると思いますが、故郷に帰れば子供たちを含め家族全員で読経をしています。そして、仏教だけでなく神道においてもお祭りでは邦楽が奏でられています。
【M先輩】
 音階は世界に非常にたくさんあります。インドなどは微分音と言ってドレミより更に細かい音の音階があります。しかもその日よって音階が変わったりします。
 したがって西洋と日本だけに音階あるわけではないわけです。
 今日、朝の築地本願寺のYouTubeでは正信偈は西洋音階を使い、宗務長が上手にお唱えしていました。声明は本来10ヘルツ程低く唱えますが時代の流れでしょうか。変化していくのが浄土真宗かもしれませんね。

 日本も世界の一員である以上、同化しなければならないという考え方もあるでしょうが馬鹿な奴は反対です。それぞれの国、民族は独自の文化・音楽を守って、そして他の国・民族の音楽も楽しむというのが本来の姿ではないでしょうか。
【M先輩】
 西洋にも演歌と同じ音階があります、ペンタトニックと言って五つ音でできています、下校時流されているのも、チェコのドボルザークの新世界よりの曲です。蛍の光もようです。

 私は日本の義務教育においてなぜ邦楽の学習がなされないのか非常に理解に苦しんでいます。子供たちに学習させることによってその先生を通して伝承されていくことは間違いないでしょう。邦楽の伝承という意味からも再考してほしいものです。
そしてこれらの邦楽を継承していくためには、一部の者(楽器)を除きその技芸を受け継いだ者の各個人の犠牲的努力、奉仕によって技能が継承されているのです。邦楽を次の時代に継承するためには、国を始めとする援助が必須であると考えるのは、考えすぎでしょうか。
【M先輩】
 私は、教科書の編集にも携わっていましたが非常に考慮して作られています、文科省も力を入れていますが、結局は教師の問題でしょうか。
 余談ですが、三味線はまだ300年ほどの歴史しかありません、したがって正倉院には影も形もありません。私は、三味線も尺八も持っていますが面白いですよ。

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