「譲カード」に関して
先日テレビを見ていましたら、コロナウイルスに関する報道がありました。非常に関心がありましたのでこの記事を書いてみました。
大阪大人間科学研究科未来共創センター招聘教授で、循環器科専門医の石蔵文信氏は、「新型コロナウイルスの感染症で人工呼吸器や人工肺などの高度治療を受けている時に機器が不足した場合には、私は高度医療を譲ります」として「譲カード(ユズリカード)」を作られました。終末医療を想定し事前に作成される「尊厳死宣言」とある程度似ています。今回のコロナ感染にかかる医療現場では、人工呼吸器や人工肺などの高度治療を受けている時に医療従事者及び機器の不足が言われています。このような場合には、若い第三者に高度医療にかかる治療の優先順位を譲りますという意志を予め明らかにしておくのです。馬鹿な奴(私)のように余命も短く、感染リスクの高い高齢者として、私の気持ちを表現する、意思を示すよい機会なるかもしれません。石蔵文信氏は病を患っており、余命が短いことを自覚されたうえで、このように提案をされました。
この宣言に対し反対意見もありました。
宗澤忠雄氏は埼玉大学 教育学部の 准教授であり、さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組まれている方ですが、石蔵氏の提案に強く反対されています。その反対理由として、医師が「生命の優先順位を決めることは責任を問われるので、後回しにしてもらっていいという高齢者は自ら名乗り出ておいて欲しい」として、医師が優生思想に抵触することなく個別の医療行為を「安心して」行うことのできるよう、高齢患者の側に優先順位を落としておく条件づくりをさせるからであるとしています。みんなに「生きる権利」のあることを明確に否定していますから、高齢者だけでなく、障害のある人が反対の声を上げることは当たり前です。
(参考)優生思想 (ゆうせいしそう)
身体的、精神的に秀でた能力を有する者の遺伝子を保護し、逆にこれらの能力に劣っている者の遺伝子を排除して、優秀な人類を後世に遺そうという思想。優生学の成果に立脚する。人種差別や障害者差別を理論的に正当化することになったといわれる。
でも、石蔵氏は本当に優生思想に依った考えなのでしょうか。馬鹿な奴はそうは考えられません。宗澤氏は、大学の先生であり、理論的に種々考えられていることでしょう。しかしながら、同氏の考えには「生きる意味」「人生哲学」「人生論」等に何ら触れられていないことです。余命が少ない人が、どのようにしたら自分の「生きてきた意味」を考えればいいのでしょうか。
コロナに罹患し、重症化し高度医療にかかる治療受けたとしても生存率はあまり高くはありませんし、ましてや基礎疾患のある者は、生存率はかなり低くなります。
別の面から考えてみましょう。馬鹿な奴(私)がコロナにかかり、併せて子供、孫が同様にかかり同時に重症化した場合、高度医療の治療は誰からするのでしょう。もし馬鹿な奴に判断能力があれば子供、孫を優先するよう切に願うでしょう。馬鹿な奴も生きておられるのは長くて10年から20年ぐらい(平均寿命を考えればもっと短い)でしょう。そうだとすれば、自分の意思として若い重症患者(この場合は子供、孫)に高度医療を優先させ、人生の役割を自覚するのも一つの人生だと思うのです。自分の命と第三者の命を考えること自体が優先思想になるのでしょうか。
報道された中には、線路に転落した人を助けようとして死んだ人の話を聞きます。助けようとした者の瞬間的判断に拠ったものでありましょうが、そこには他人を助けようとする気持ちがあるから行っているのです。その者の人生観の顕れだと思うのは間違っているでしょうか。
この「譲カード」も同じだと思うのです。自分の意思で、他人の考えに左右されることなく意思表示することに何か問題があるのでしょうか。もちろん、他人から押し付けられることは大変大きな問題があります。絶対行ってはならないことです。
ただこれは馬鹿な奴の個人的見解であり、絶対に他の病人あるいは老齢者に強制するものではありません。個々人が自分の意思を持って判断すべきものであり、他の者がどうこう言うべきものではありません。
そして何よりも、高度医療を行わなければならない患者がなくなることを祈念し、併せて高度医療当たる医療関係者及び設備の充実を早急に行っていただかなければならないことは当然のことです。
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