家事も育児も大変だと思っていいし、楽していいし、時間をかけてもいいし、好きにしていい

「頑張りすぎない」が、増えたのは

育児雑誌などで最近よく見るのは、ママは大変だから無理しなくていい、というもの。時短や楽ちんの言葉も踊るし、ブログなどでも手を抜こうよ!と発信しているものもよく見る。勿論私は無理しない派なのだけれど、これほど言い続けられるのは何故なのかとも思っていた。でも、それは「手は抜けない」呪縛がそれ以上に強固であることの証左なのだと思う。

なぜ手は抜けないのか

①ママイメージの刷り込み、ロールモデルが母親など。

どこでどう植えつけられてしまったのか、私達の中にある完璧なママのイメージ。ママはいつも手作りのご飯を作り、洗濯物を溜めず、子どもとにこやかに遊び…という、あまりにも理想化された目標が、まずは一つ目の壁になっている。その上で、自分の母親はここまでやっていた…というようなことがあれば、それがロールモデルとなって余計に頑張りすぎる母像を形成してしまう。そして、そう出来ないと何故か罪悪感がうまれてしまうということにも。

②雑誌のママも街中のママもSNSのママもすごい。

雑誌の中のママはオシャレで可愛いし、部屋は片付いているし、離乳食も手が込んでいて、パパはすごく育児に参加している。ボサボサの髪にすっぴんジャージで部屋の中ぐちゃぐちゃな中そんなものを見ると、その差に慄いたりする。とはいえ、雑誌はある意味フィクションだし…と思って街中に出れば、やっぱりオシャレだったり、きちんとしたりしているママ達が目につく。挙げ句の果てにはSNSにあげられる友達の完璧な写真や、知らないママのブログの豪華な料理を見たりして、「普通」の在りどころがそこなのでは…と思ってしまう。

③子どもの為だから。とパートナーの目。

①、②は勿論大きな呪縛だけれど、一番は、子どもの為により良い状態のものを提供してあげたい気持ちが、手抜き=悪になってしまうのだと思う。そして、子どもの為とはいえ少しは手を抜かないとやってられん、と抜け出しかけたとしても、帰ってきた時にそれを見るパートナーの目が気になったりもする。それは面と向かって批判するようなパートナーではなかったとしても。夫が出張の時の方が、ホッとして手を抜けたりすることありませんか?(私だけ?)

家事も育児も大きな労働

上記のように、手を抜くと、みんなはちゃんとやっているのに…と罪悪感がうまれてしまう、そんな仕組みになっている、家事育児。しかし、家事労働、育児労働が楽な訳ではない事実は認めてもいいのでは。家事なんて誰でもやっているし…となりがちだけれど、だからといって、それは楽なもの、簡単なものというわけではないし、育児は経験者なら誰でも一筋縄ではいかないと知っている。自分の希望で産んだのに、大変だなんて言いづらいと思う人もいるかもしれないけれど、それとこれとは話が別。十分大変だと自分の労働を認めてしまっていいと思います。

どうやってもいい

以下はうまく手が抜けない人へ。私達はサイボーグではないから、疲れるし眠いし、体調も色々だし、気分もムラがある。家事や育児は何十年と1日も休みなく続くものだから、今日100%やって、次の日から30%くらいのパフォーマンスが続くより、60%を続けた方が全体のパフォーマンスは上がるし、不測の事態が起きた時に対処する余裕もできる。自分の家の中は家族のものだから、他人と比較せず、(そもそも家庭の状況はみんな違うのだし)自分が心地よい形で続けていくのが一番良い。

その上で、一番自分にストレスがかからない形を選択していくといいと思う。例えば、家事代行でお掃除をお願いするにしても、自分の家に人が来ると思うと先に掃除してしまう…という人にとって、家事代行を頼むよりは自分で掃除の手間を省いた方が気持ちが楽だろうし、手を抜く方がかえってストレスになる部分というのがある人も結構いるのでは。手を抜いてもストレスに感じない部分で大いに手を抜いて、自分の気持ちが一番楽な場所を探していくのはどうでしょう。生活ってそういうものではないかな、と思います。

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