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鍼治療に行ったら、私が紅茶になった話。

鍼に行った。半年ぶりの満身創痍。

やはり、腰痛には腹筋・背筋が効果がありそう。最近は筋トレもせず、休日出勤も重なり、身体のあちらこちらが痛かったので、久しぶりに予約。

家から徒歩3分ほどの鍼灸院。ここの特徴は、てい鍼(ていしん)と言って刺さない鍼。

最初は仰向けで脈診。その後、うつ伏せで治療開始。

刺さない鍼なので、言葉でいうと、「置く」に近い。
もちろん、刺す鍼でも腕が良い先生だと痛くない。

その鍼を置かれた時に、皮や肉を鋭く刺激される感覚がない。
置かれた鍼の先端を感じることなく、だがしかし確実に私の身体によい反応を与えてくれる。じわじわと。そして、やさしく。

その時、思った。

「私は紅茶だっ‼」

白磁の陶器に映える紅とオレンジ。その紅茶の中に落とした角砂糖の表面が優しくゆっくり溶けていくあの感じ。

そこに境界線はない。
まさにそれを感じた。

鍼と私の身体に境界線なんてない。
no border, yes cosmos.

鍼が角砂糖なら、私は紅茶。

この世のすべては認識である。諸行無常である。
今、この瞬間の私は存在しない。全て過去に滑り落ちていくため、「今ここ」を感じることはできない。
私の存在は全否定されるが、過去の自分でアイデンティティを感じとっている。
私は否定され、紅茶となった。

さて、ここで最上級の問題が出てくる。

紅茶になった私を、誰が飲むのかという点である。
無論、誰も飲まない。自分でも飲みたくない。

問題を変えよう。
誰に飲んでほしいか。

理解ある妻でもない。愛する娘たちでもない。
浮かんだのは、

”キャサリン・ゼダ・ジョーンズ” である。

「【オーシャンズ12】に出演していた頃の」のという修飾節がつくが。

なぜ、彼女が浮かんだか私でもわからない。私の存在は全否定されているので、わからなくて当然である。

そして紅茶となった私は、彼女に飲まれ、カフェイン作用で彼女を覚醒させる。そんな妄想を楽しんでいた。

しかし、そんな状況は長く続かない。
うつ伏せで寝ているため、枕に乗せていたおでこが痛くなってきた。
この痛覚で現実に戻され、私は紅茶でもなくなった。

次に行くときにも私は紅茶になれるだろうか。

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