やっぱり赤川次郎

中学3年生が、私の人生で最も多くの本を読んだ1年だった。
645冊。
これが私の最高記録。
中でも400冊以上は赤川次郎だった。

そう、赤川次郎にどハマりしていたのだ。

うるう年に生まれた、4年に1歳しか歳を取らない彼。
その当時私と同じティーンエイジャーだったのも相俟って親しみを感じていた。
本当は1年に一度ずつ歳を重ねているのだから、しっかり還暦手前…だったはずだけれど。

私は彼の、わかり易く優しい表現の虜だった。
どこに行くにも持ち歩いたし、授業中は教科書を盾にして文庫本を読んでいた。
そんなだから、1日に3〜4冊読んでしまう日もあった。

ちょうどその頃、24歳になったばかりの従兄弟が亡くなった。

彼は、重度の脳性麻痺を持って産まれてきた。
意味を持つ言葉は話せないし、肢体も不自由で完全介護が必要だった。
だけど彼は感じていたし、考えていたし、訴えていた、と私は今でも思っている。思っているというよりもっと確かに、確信している。

祖父母と叔父叔母と三世代一家で暮らす彼は、縁側で日向ぼっこをするのが日課だった。
私も近所に住んでいたので、祖父母の家をほとんど毎日訪れていた。
だから、日向ぼっこをしている彼の隣で、無言で絵本を読み、猫とまどろみ、時々話しかけたりして過ごしていた。

そんな彼の死は、私の身近に起きた、初めての死だった。中学生とは本当に多感で、生来からの感受性豊かな方の私の心は、大きく大きく揺さぶられた。
読書好きも相俟って、彼の死や、死というものに取り憑かれてしまった。

そんな時に赤川次郎の本は、心が、現世への意識に留まることが出来る旅先案内人のような役割を果たしてくれた。

彼の文章は、どこまでも生きていた。

頁の中で、息をしていた。

彼の物語は大抵が推理小説なので、殺人事件や死がセットになっているというのに。

物語の中の主人公たちも、ときどき死に打ちひしがれる様が描かれていたが、彼らもまた私と同様に、
誰かがこの世界から消えてしまっても、相も変わらず生きていて、時にはその事に戸惑っていた。

そんな中、こんな風な一文があった。

―どんなに悲しくても、時間が経てばお腹は空くし、トイレにも行く。時には風邪だってひくし、とびきりの大爆笑までには時間がかかるけれど、面白い出来事があればクスりとなり、猫がじゃれ合っていればふっと笑みがこぼれる。
そうだ、私たちは生きているのだ。―

確かこんなような表現だったと思う。
至極当たり前のことを当たり前に言っているのだけれど、私はそのことにハッとしたのだ。
死について、感じて、考えている間もまた、私には生命が息づき、続いているということに。
従兄弟は死んでいて、私は生きている。
だから、夕方になればお腹が空くし、テレビのバラエティ番組を観て笑ったりする時もある。
どんなに、どんなに悲しくても。

そういう、シリアスとリアルの表現が驚くほどに絶妙に物語中に散りばめられている。
赤川次郎の凄さは、まさにそこにあると思っている。

四六時中、何年も、一瞬のすき間もなく悲劇に浸り続ける事はできない。でも、それでいい、それが生きているという事なんだ。

だから人は、悲しめるのかも知れない。
それでも生き続けているから。

高校を卒業する頃には、当時出版されていた赤川次郎の本で、手に入るものはほぼ全て読み尽くしていた私は、赤川次郎もまた卒業した。

そしてそれから15年近く経って、今、未曾有の災難が起こっている。

自粛生活を送りながら、連日のニュースや情報に、すっかり心が疲弊していた。

ふと、優しい文章が読みたくなった。
優しいことばに触れて、やさしい気持ちを思い出したくなった。

またまた皮肉にも、テーマは相変わらず殺人事件。
コロナも死、殺人事件も死。
それでも、赤川次郎は今日も、私たち人間の日常をありのままに、表現している。
驚くほど緻密に繊細に、だけれどとても優しい表現で。
その事に救われる。
本を読み終えたときに思う。

たくさん、たっくさんの作家の本を読んできたけれど、やっぱり赤川次郎には敵わんわ。

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