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さてと、書きますか

研究室に用もないのに通い続けること6週目、拠点の移動や一旦小論書いて発表も終わり暇すぎるから実験1人だけ先にやりましょうという話になった。

特に何も考えずに継続できること、ここでは用もなく研究室に顔を出すことなどは人間関係の構築の上では大事なのではと若輩者ながら感じている。
ということで、
さてと、電池作りますか。

話は変わって、先日私が頻繁に見に行くようになった横浜F・マリノスはアジア王者になれず時間をおいてから選手のコメントを見て泣きそうになる程悲しかった。
ここであえて「応援している」と言う表現を使わなかったのは、今まで自分が出場した経験上応援の力と言われるものを感覚として持ち合わせていないためである。
某サッカー部某顧問は応援していなかった生徒に対して殺意を持っていましたが、それも含めて応援とは形式化した、部員を統制するためのものとしか感じなかった。
だからこそ、私はJリーグの試合を観に行くときは基本的に手拍子はするが声出しはしない。
声を出さないしょうもない屁理屈として、あまりにうるさい場合、監督の指示やピッチ内のコミュニケーションに支障が出るだろと考えている。
実際ACL(Asia Champions League)では試合後の監督や通訳の喉の調子を鑑みると相当な声を張り上げなければ指示が通らなかったことは容易に想像がつく。
ただ頑固逆張りクンの首根っこ掴んででも応援歌を口ずさんでしまうぐらいに苦しかった準決勝を乗り越えた、最終結果が決勝の大敗で準優勝に終わったことはサッカー観戦において忘れられないと思う。
これだけ応援に抵抗があっても苦しいときは声を出そうと思わせる、いつも声を張り上げている人達には頭が上がらない。たまには自分を曲げるのも悪くないと少し思った。

暇があったらACLの準決勝から決勝までハイライトでも見て欲しいと思う。

あとキーパーって凄い。外から見たら優勝かかった試合で何してくれてんだってなるだろうけど、彼らがいなかったら確実に決勝まで来れなかった、それでも一個のプレーのみで批判の的にされるの怖スンギ。


最初書こうと思ってた研究話は消し飛んでしまったが、まだ話があまり進んでいないのてわ量少なかったため書きたいこと書いたしもういいや。

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