よくあるバンドマンみたいな話

深夜2時に書いてるのでとりあえずこんばんは。

遂に2023年も終わり2024年になりましたね。あけましておめでとうございます。今年ものんびりnoteを更新していくので、お時間ある時に覗いてもらえたら嬉しいです。

今回は新年早々あまり楽しい話ではないが、人生で誰と一緒にいるか?という話です。全然タイトル通りの記事ではないが、人生で誰と一緒にいるかをバンドとして考えてもらうと分かりやすいかな、と思います。

みなさんは自分の人生でどんな人と一緒に居られると思いますか?
パートナーの人、友達、両親、兄弟、姉妹、色々な人と時間を共に過ごしいていく。
その中でこの人とは一生居られるな、人生を共に過ごしたいなと思える人はどんな人ですか?
私は何年か前にテレビか人づてに聞いたのか忘れしまったけれど、うまくいく夫婦の話を聞いたことがある。
うまくいく夫婦は食卓を囲むテーブルで喩えられる。

ファミレスの4人掛けの座席を想像してほしい。そこに夫婦が訪れ、向かい合うように腰掛ける。向かい合わせで座る夫婦はお互いのことしか見えておらず、お互い越しに見る景色は多少違う。
その4人掛けの座席は人生のテーブルと考え、見ている景色はお互いの将来像と言われている。(その話の中で)
つまり向かい合わせに座る夫婦は将来の目指すところが違っている。
では将来の目指す方向が同じ場合はどうなるのか、というとその4人掛けの席に横並びで座る。横並びで座り見る景色は、見ている方向が同じで目指す将来像や目標が同じということ。

よくあるバンドマンの解散理由「音楽性の違い」「音楽の方向性の違い」も同じで、上手くいけばバンドというテーブルに着席し続けなければならない。しかし見ている方向が違えば同じテーブルに着席し続けるのは難しい。だからバンドもある意味人生の縮図のように私は考えている。よくある理由なんて言われるがそれは人生の真理でもあるような気がしている。よくある、ということはそれだけ同じところでつまづく人が多いということの証明でもある。

だから私は人生を共にできるのは人生の目指すべきところが概ね一致している人だと思う。

そこで生じた悩みが好きな人との将来像の乖離だった。
私の好きな人は今は一緒にいてくれているけど、今の仕事をやめて転職し海外で暮らしたいと言っている。
前回のどこかで話した配信者も同じようなことを言っていて、「海外で暮らしたい、海外に行きたい」と言っていてその人に恋愛感情を抱いている時は私はこの人と目指すところが違うと明確に感じていた。もし恋愛として上手くいくことがあればこの人に付いて行かなければならないだろうし、私はそうまでしてこの人と一緒に居られるのか?一緒に居るための努力が出来るのか?と考えてしまう。それは恋人でも同じだ。
恋人と一緒に居るためには同じ目標を持ち目指す必要がある。今いる恋人とも目指す目標が違うのではないかと感じているし、私はその人のためにどこまで出来るのだろうか、自分が足枷になってしまうのではないか、という不安に駆られる日々を過ごしてる。

私は現状としてまず海外に行きたい気持ちはないし、現在勤めている職場も海外展開することはしばらくない。そこでパートナーのために自分の仕事を変えてまで、一緒に居たいかという疑問点が生じるのだ。お互いの目指すところが違うからこそ分岐点が生まれるし、それが別れにも繋がっていく。

だから人生においては目指すところが同じでないと人生を供に過ごすことはできない。



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