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「取り繕えないからこそ、面白い人が生まれる」 役者廃業の危機から人気ストリーマーに転じたMOTHER3の“演じない”魅力

ストリーマーの才能はいつどこで花開くのか、誰にも分からない。しかし、目指す人が増えれば増えるほど才能が集まってくるのは間違いない。プロeスポーツチーム「REJECT」に所属し、『VALORANT』などのタイトルを中心に活躍するストリーマーMOTHER3も、集まった大勢の中から見出された稀有な才能の持ち主だ。

彼が配信を始めたのは2021年。たった一年強という短い期間で大成するストリーマーは、かなり珍しい。つまりそれだけ人を惹きつける魅力があるということだ。

ゲーマー、高校球児、役者、失職。

汗臭くてほろ苦い経験にこそ、MOTHER3の魅力が詰まっているのかもしれない。ストイックなのに軽やか。その独特なスタイルの源泉を、掘りあてていく。

MOTHER3の原体験はゲームにあり

大阪府大阪市に生まれたMOTHER3は、よく遊び、よく食べる、かなり活発な子どもだった。彼が初めてPCゲームに触れたのは小学2年生の頃だ。兄がプレイしていた『ラグナロクオンライン』を、隣で食い入るように覗き込んでいた。

「あまりに夢中でPCの画面を見るもんだから、鼻息がずっと兄の二の腕に当たってたみたいで、よく怒られました。『気が散るわ』ってね」

懐かしむように笑うMOTHER3。兄が家にいない時は自身も『ラグナロクオンライン』をプレイすることが日課になった。同年代でPCゲームをプレイしてた子どもはほとんどおらず、当時にしては珍しい環境だったかもしれない。小学3年生の頃には野球も始め、外で野球をしては、帰ってPCゲームで遊ぶ日々だった。

「中学生になると仲のいい友人と一緒にPCゲームをプレイするようになりました」

その際に始めたゲームが『Counter-Strike Online(以下、CSO)』だった。友達と同じクランへ加入しチーム活動を行うようになると、対戦ゲームの魅力にすっかり引き込まれた。

「同じチームメンバーに(現在は『VALORANT』公式大会でキャスターとして活躍する)OooDaさんがいたり、当時強かったチームに小学校の頃の同級生が居たり、今は『VALORANT』の競技シーンで活躍している方達と知り合ったりと、色々な人達と縁のある時期でしたね」

このゲームでの青春が、MOTHER3にとっての原体験の一つとなっている。中学校3年間の生活は、ゲームなくして語れない。しかし、しばらくして彼の生活に変化が訪れた。

一度目の転機 目指せ甲子園

中学3年生は一般的に進路について大いに悩む時期だが、当時のMOTHER3には明確な将来の夢はなかった。だが、父親からはよく「甲子園に出てほしい」という願いを聞かされていた。

やりたいことがあるわけでもない。それならば甲子園を目指してみるのも悪くないかもしれない。小学生の頃からゲームと野球だけは続けてきたのだから、甲子園を目指すことに異論はなかった。

「野球部が強い高校に進学しようとなって、島根の名門校に行くことを決めました」

高校に進学してから、環境は一変した。寮生活を余儀なくされ、電子機器も全て禁止。実家に帰れるのは年に3日で、その時に総理大臣が交代したことを初めて知るような野球漬けの生活が始まった。もちろん、PCゲームには触れなくなった。

約120人もの部員を誇る名門野球部ではレギュラー争いも熾烈だ。周囲は全国からスカウトされた優秀な選手ばかり。対してMOTHER3はセレクションを受けて入学した身だ。先輩やコーチは名前すら覚えてくれない。そんな環境だった。

「入部当初は色々と課題やトラブルも多い時期でした」

当時のMOTHER3は、高校1年生にして体重120kgに達していた。そのままの体重では練習そのものが危険と判断され、「まずは外で歩いて痩せてこい」と宣言されてしまい、部活動はひたすら外を歩き続けるだけの時間帯となった。

また、進学先では特進コースに籍を置いたのだが、これがまた悪目立ちした。特進コースの学生は授業の関係で、部活動に遅れて参加せざるを得ず、しかも同じコースにいた野球部員は2人だけだった。

つまり当時のMOTHER3は、部活動に遅れて参加するにもかかわらず、野球の練習をせずにただ外周を歩くだけの、上級生からしたら「気に入らない1年生」だったのだ。キツい練習に耐えてきた先輩からはよく目を付けられたという。

「レギュラーになる目星すらつかない日々でしたが、メンタルコーチだけはずっと僕のことを励ましてくれて、それを支えに練習を続けてましたよ」

メンタルコーチは常にMOTHER3に対し「大丈夫だから」と声をかけ続け、MOTHER3もその言葉に応えた。高校2年の夏を過ぎてから、少しずつ代打で試合にも出られるようになり、8連続ヒットという驚異的な数字を記録。ようやくレギュラー入りを果たすことができた。そうして迎えた最後の夏。甲子園に出場するという夢も、少しずつ現実味を帯びてきていた。

「島根大会の決勝戦で負けちゃいましたけどね」

あっさりと笑いながら振り返ったMOTHER3。5-6。たった1点の差で、3年間掲げた「甲子園に出場する」との目標は潰えることとなった。

2度目の転機 演劇にハマる

「野球とは全く違う、真逆の何かをやりたくなったんですよね」

高校生活を野球に捧げた反動だったのか、今まで体験したことのないような世界に身を置きたくなったMOTHER3。その時に目に付いたのが大学の舞台芸術専攻学科だった。

演劇の道、良いな。次はここに打ち込もう。野球部時代のように演劇一筋のつもりで入学したが、思っていた環境とは違っていた。

「大学デビューとかサークルとか飲み会とか、そういうのばっかりで、舞台稽古を本気でやろうとしてる人が少なすぎて、何となく肌に合わないなと感じるようになりました」

ある演劇の稽古の授業では、ほとんどの生徒が欠席しており、MOTHER3も流石に呆れてしまった。

もし次の稽古に参加する生徒がいなかったら、大学を辞めよう。そう心に決めて稽古に出向いたが、とうとう生徒は集まらなかった。それで吹っ切れたMOTHER3は、翌日、大学を飛び出す形で上京した。

「教授とは仲が良く、事前に東京の劇団については教えてもらっていたので、上京してすぐに目的の劇団に突撃しました」

なんとか劇団の養成所に入ることができたMOTHER3は、下積み時代を経験したのち、翌年には希望どおり正式な劇団員としての活動をスタートさせることができた。上京して演劇で身を立てようとする生活はMOTHER3の性に合っていた。裸一貫の挑戦に心を躍らせる日々だった。

3度目の転機 配信にハマる

演劇の世界に身を投じて6年たった2020年。養成所の講師、舞台の物づくりや演出、出演。あらゆる仕事が順調に回るようになり、正にこれからが本番という時期を迎えていたMOTHER3。しかし、緊急事態宣言が全国で発令されたことで状況は暗転した

「出演舞台は15本消えましたし、講師として働いていた養成所も閉校、懇意にしてた小道具づくりの工場も閉鎖して……もうね、悲惨でした」

それまでは演劇に関わる仕事だけで生計を立てていたが、緊急事態宣言以降は演劇だけで食べていけるような状況ではなくなった。演劇とは関係の無い分野でアルバイトをしながら、家に引きこもる日々が続いた。当時同棲していた彼女とも別れた。この6年は何だったのだろう。そう頭によぎることもあった。

△現在は役者と配信者を並行して続けているが、2020年当時は厳しい状況だった

だが悪い事ばかりではない。何年かぶりにPCゲームに触れる時間ができたのだ。

「ここ数年は仕事が忙しくてゲームをやらなくなったんですけど、緊急事態宣言がきっかけで久しぶりにFPSをプレイできるようになって……久しぶりだったのもあって、凄く楽しかったんですよね」

昔からのゲーム友達とも一緒に遊ぶようになり、疎くなっていたゲーム界隈の情報も拾うようになった。いつの間にかOooDaさんはキャスターとして大成し、フレンドもプロゲーマーとして活躍していた。ゲームの世界も凄まじいスピードで変わっているのを実感した。

「『VALORANT』がリリースされた辺りで、周囲からの勧めもあって配信を始めてみました」

『CSO』時代の友人からは「ゲームを教えるよ」「OBS(配信ツール)の設定も教えてやる」「カメラ送るから絶対に顔出し配信しろよ」と毎日のように声をかけられるようになり、兄からも「演劇をやってたんだし、配信ぐらいやってみれば」と、背中を押された。

そこまで言うならと配信を始めてみたら、これがまた意外と楽しい。自然と毎日配信するようになると「だらだらとやるのは性に合わない。やるならある程度ちゃんとやりたい」と、Twitchでの配信に加えて、Twitterでの活動も増やした。配信終了後には毎回ツイートし、自分の配信を見返して面白かったシーンなどもTwitterに上げ、動画も自分で編集した。

「最初は演劇と配信にはシナジーみたいなものがあるんじゃないかと思ってたんです。ただある程度やってみると、その考えは変わりましたね」

演劇と配信の違いを、MOTHER3はこう分析する。

「演劇は数時間の舞台を演じ切る凝縮された熱量や演技力が重要なんですけど、配信はほぼ毎日何時間もぶっ続けで画面に映すことになるので、どんどん取り繕えなくなってくる。要は、素の状態を見せていかなきゃならないんです。だから配信者ってプライベートで付き合ってみると、良い人や面白い人が多いんですよね。演じる必要のない人っていうか。そういう人じゃないと必ずボロが出るので」

素の自分を曝け出すからこそ、視聴者がついてくれるのだと語ったMOTHER3。あと一歩届かなかった甲子園も、波乱万丈な役者人生も、今では飾らない配信者MOTHER3の魅力を形作る貴重な経験だ。

未来のストリーマーに望むこと

ストリーマーとしてのキャリアの転機が訪れたのは、2021年のある日のことだった。いつも一緒にプレイしている友人が「ライアットガーディアンズ」という見知らぬタグをつけてツイートをしていた。

「何となく気になって聞いてみたら『よく分からないけど、VALORANTの人達が皆このタグをつけてツイートしてるみたいだよ』と。正直なんじゃそりゃって感じでしたけど、これがきっかけでライアットガーディアンズの存在を初めて知りました」

ライアットガーディアンズとは、『VALORANT』などのタイトルを通じてライアットゲームズの魅力を自分なりに世間に発信する公認の広報大使だ。メンバーとして選考されることで、公式と手を取り合いながら配信活動をすることができる。MOTHER3としても配信活動が波に乗り始めた時期だった。「折角ならやるか!」と一念発起し、ライアットガーディアンズに応募した。
※現在ライアットガーディアンズの募集は終了しています。

MOTHER3が参加した第3期ライアットガーディアンズは、SNSや配信サイトでの活動をポイントとして加算し、最終的なランキングを競い合うインフルエンサーイベントだった。このイベントでMOTHER3は高いポイントを残したことで、最終的にはプロプレイヤーと共に公式イベントへ招待されるようになった。

「僕自身で掴んだチャンスでもあったけど、運も良かったと思ってます。早い時期に『VALORANT』で配信を始めて、毎日懸命に頑張ったからこそ配信者として成長しました。今は色んな人がストリーマーを目指しているんで、めちゃくちゃ厳しい世界になっていると思います」

しかし、だからこそとんでもないストリーマーが生まれるかもしれないとMOTHER3は語る。

「人気商売や芸事っていうのは目指す人が増えるほどに才能が集まってくるので、『この面白さには勝てないな』っていう人は必ず出てくるんじゃないかなと思ってます」

11月から12月にかけて行われるライアットゲームズのタイトルに貢献したストリーマーやファン達にフォーカスした大規模イベント「Riot Game ONE」。その一環として、誰でも参加できるストリーマーイベント「Riot Games ONE | STREAMING SPIKE(ストリーミングスパイク)」が開催される。

ストリーマーに特化したオープン型のランキングイベントであり、上位の参加者にはRiot Gamesから特別な賞品や特典が提供される。

「もしかしたらストリーミングスパイクがそういう才能ある人が出てくる場になるんじゃないかと、期待してます」

(取材・文 gappo3/写真 Ishikawa Takao)


誰でも参加可能なオンラインイベント「ストリーミングスパイク」の 詳細はRiot Games ONEのお知らせページでご確認ください。

オンライン・オフライン統合の大規模イベント「Riot Games ONE」は、11月初旬から12月22日にかけてオンラインイベントが実施され、12月23日・24日には横浜アリーナでフィナーレとなるオフラインイベントを開催する。イベントの詳細は随時公式サイトやライアットゲームズジャパン公式Twitterで告知される。


 


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