「書く習慣」で気持ちが楽になる
いしかわゆきさん(ゆぴ)さんの「書く習慣」を読んで気付いたことがありました。今日はそのことを書いてみます。
身構えていた自分を知る
21年の10月くらいにnoteを始めて、今はnote歴約3カ月。
自分が生業としているゲームのアートディレクションって探しても情報が少ない。そこで将来、自分と同じ仕事を目指す人の役に立てば。
と、後進が出て来て楽になればっていう下心もあって慣れない書くことを始めたのでした。
でも自分の仕事を文章で説明するのってこんなに大変とは…
いや、大変にしているのは自分自身だったようです。
ってことに「書く習慣」が教えてくれました。
noteという場
noteという存在は知っていたものの、実際にどんなものかは全く知りませんでした。
ただブログを自分で作るのと比較して入りやすそうって面に惹かれてまずは飛び込もうと思ったのがきっかけ。
当初は書くこと自体を始めようと飛び込んだはず。
要はハードル低そうってことで入り込んだだけで…
でもその見方は間違いではなく、それがnoteのいいところなはず。入るきっかけは間違って無かったのかも。
でも、せっかくそんな入りやい場を選んでおいて”大変”と思ってしまったのは背伸びしてたからなのかなと。
社内wikiとか仕様書的なドキュメント作りは実務で数もこなしていたので、その感覚で文章はまあまあ書けるはず。
と思っていたものの文章を書くこととドキュメント作りが根本的に違うものっていうのは想像してなかった。
仕事で書くドキュメント
ドキュメントは対象とその用途がはっきりしているので宛先と目的が最初から明確にある。
機能で言うと手紙のようなもの。だから書く自分も読み手も迷わない。
noteで不特定多数に向けて書く文章
noteは何となく書くと宛先らしきものを仮定して自分の文章をどう受け取って貰えそうか想像しながら書く。素で書けば目的、読み手が何のために読むのか?は無い。
機能的には宛先が無い文章をポスティングしてまわるチラシのようなものになってしまう。
書き手がかなり明確に設定して誰に向けたものか定義しない限りは仕事で言うドキュメント的な機能は果たさない。
でもそんなの関係無い
そもそも
自分のような者でも入りやすそう
まずは文章書こう
が出発点でアートディレクションがどうのっていうもの後付けのようなもののはず。
誰かのために役に立つ文章を書こうとして大変って思うのは違うのかもしれない。誰かも役に立つとかもいっそ後付けでいいのでは?という思いに至りました。
飛べる高さのハードル
まずは「自分の文章を書く」を目的にハードルを下げて、その先で色々と展開を考えることにしよう。
そんな感じで肩の力を抜いて文章と向き合うって意外と勇気がいる。本来、勇気なんか必要ないことのはずなのにどうしても身構えてしまう。
そういう気持ちというか無駄な見栄のようなものを取り去ってくれる名著でした。
早く読みたかったから電子書籍を買ってしまったんだが読んでみると紙の書籍で欲しい本ってことが分かる。
文章を書くというアウトプットだけでなく本の読み方やインプット方面の内容も書かれており、そのあたりを読んでしまうとリアルな本として欲しくなってしまうはず。
手軽な電子書籍もいいけどリアル書籍で購入することをお勧めします。
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