期待の機械と奇怪な機会

これは、勧めてくれた方へのお手紙のようなものだ。
タイトルを考えるだけで力尽きた。
特に、意味はない。
初めは「ご飯は美味しく食べないと身にならない」にしようと思っていた(ただの日記)。

さて、ガラージュをジュースルートでクリアした。

ちなみに私はWindowsがあまり良い環境ではないのでiOS版でプレイした。
iPadでは動作するが、Macではダウンロードできないらしい。
一部画像が差し代わっているそうだが、どこなんだろうなぁと思った。

クリアしたというが、本当にクリアできたのだろうか?
少なくとも頭はクリアにはなっていない気がする。

初見ではないが、既プレイでもないので、手こずりながらほどほどに、実績なんかのやり込み要素は(ほぼ)手をつけ(られ)ずに、さっくりとプレイしたように思う。
実況で見ていたのもジュースルートだったから、同じルートを実況目線と、プレイヤ目線との両方で見たことになる。
最終章あたり最後の最後で色々とアイテム収集をしたとき、割と序盤の見過ごしが多かったことに気がつく。
まぁ良いだろう、拘らないことに拘っている主義なんだ。

プレイし始めて何日か経ったくらいに、翌日がゴミの日なのを思い出してキッチンの掃除をした。
排水溝の掃除をした時、ヌメっとした嫌な感覚と戦いながら、歯ブラシで「ここは君たちの場所じゃないよ」と汚れを落としていった。

その時、ガラージュのあの汚水に塗れた世界は、こういった感じなのかなぁと思ったりした。
生きているとは、全くもってあぁいう感じなのだろう。

日常生活の中で発生したものは何もかもが汚れていって、その中の何かを拾い上げるような、そんな印象だった。

これ以上の感想は多分出せないから、以下は蛇足。
ダニングクルーガー効果のバカの山から見下ろしての発言である。
全ての語尾に「しらんけど」がついていると思って欲しい。

難解さ以上に単純なゲーム

いっていることや話は難解だが、ゲームの方は至ってシンプルだった。
これが第一の感想である。

釣りは良い。
(リアルの釣りは小学生の時以来やっていないが)

逃してしまった時の「今のは大物だったな」というあのワクワク感が1番楽しいものだろう。
ゲームらしいゲーム要素だと思った。

謎解きも特別な知識が必要、という作りにはなっていなかったように思う。
途中でちょっと諦めたが。

その謎解きの収集で強烈に纏わりつくものが「順応度(EGO)」だと思う。

初めのうちは、ゲームの中での制約事項として設けられたもの、だという理解だった。
しかし、だとすれば、燃料だけでも良いはずである。
あえて似たような制限時間を、2種類も用意すると少し冗長には感じる。
いわゆるMPのように、順応度があるから特殊な技が使えるというわけでもない。

ゲーム内での説明通り「私がどれだけ私らしいか」が順応度であり、これがなくなると私がなくなり、この世界に飲まれてゲームオーバになる。
ただまぁ注意していればゲームオーバにはならずにすむ程度の調整だと思う。
一方で、謎解きに夢中でこのゲーム内の探索に没頭すれば没頭するほど、減っていく順応度を気にしなければならない。
ここでふと、プレイヤは自身の順応度(ゲームにいかに入り込んでしまっているか)とも向き合う構図に見えてくる。
どんどんゲームに集中すると、自分の順応度も減っていくようなそんな錯覚。
これはプレイしてみないとわからなかった体験だった。

なので、あの順応度は、このプレイヤの私のためにあるものだ、と後半に行くにつれて感じるようになった。


エントロピーは増大する

急に横文字出てくるじゃん。
これは、熱力学や統計学で出現する単語である。

よくわからない場合には、水は低きに流れるし、熱い水と冷たい水をまぜるといずれぬるい水になる、で良いだろう。
平たく言えば、散らかるのは自然の摂理、ということである。
これを知って「私の部屋が汚いのはエントロピーが増大するという自然の摂理であって仕方がないのである」というのを言い訳として使う人は少なくない。
汚さが一種のテーマみたいに見えるのは、こういうことだろうか(違います)。

あと、あのゲームの中では、蒸気を動力としていろんなものを動かしているらしい。

発生したエネルギはどうやって伝達しているのだろう?
発電はしているらしい。
あるいは、純粋に圧力差のみで動くものばかりなのだろうか。

ただ、その蒸気タービンなどの技術は後々開拓されたものらしいが、あの機械たちはどういった 機構で動いているのだろう。
内燃機関(エンジン)ではあるらしいので触ると暖かい(か熱い)はずだ。

ただ、マフラーは生えてないように見える。
とすると、白瓦斯は排気でガスなりは出ないのかもしれない。
あまり詳しくないが、熱力学によると熱機関では原理的に超えられない効率の壁というものがあり、排熱を減らすようにどんどん効率を高めると、結果として動力として出力するエネルギ(仕事率)がどんどん減ってしまうらしい。
イメージとしては、倒れない自転車があるとして、とってもゆっくり漕ぐと足は疲れないが、全然前には進めない、といったところか。

代わりに雌機械が汚水として排出するのだろうか。
とすればあの給油は、必要なものと不要なものを相互に交換してのいるのかもしれない。

循環系としては、すごく閉じているな、と感じた。
人と人との複雑な関係性と対比されて、機械と機械との関係は率直らしい。

ヤンは相当優秀な人間だったのだろうという妄想

この物語はヤンという人間が、精神的な問題を解決するという話だった(ということを今思い出した)。
本当に人間か?というアイデアはちょっと頭から外しておきたい。

悩みを抱え過ぎたのであろう。
おそらく当人にとっては複雑だが、外部の人間が言葉にするとこうもあっけない。

悩むのは悪いことではないが、ずっと悩み続けるのは良くない、という話を聞いたことがある。

ここからはガラージュという装置についての妄想。
プレイヤがゲーム開始時点では、ヤンがガラージュに接続されるところから始まり、めまい、ゲーム開始となるのだが、あの世界はかなり長い時間をかけて出来上がっているように見える(し、そんなふうな話に見える)。
主人公はその中でも突如現れた特異な存在として描かれているが、もし、ガラージュという装置で生まれる世界が全てあのように機械が過ごす世界であったならば、主人公がたまたますごい存在だっただけ、になる。
ただまぁガラージュは治療装置らしいので、治療者によって差があるのも如何なものか、という率直な疑問もある。
むしろリハビリに近い。
なので、遠回りをしたが、あの世界はヤンの精神世界で、だから自分だけを特異な存在にした、というものなのだろう。

精神世界というか、想像通りの世界なのかもしれない。

だから極端な言い方をすれば、あの世界が最も心地よかったのかなと思う。
もしかすると、何度かやり直して出来上がったのだろうか。

全てが思い通りな世界で気ままに振る舞ったが、トドのつまり現実と同じような悩みを抱えてしまい、最終的には元々の自分自身を自ら消すような形で、新しく生まれた自分に託して、解決への道を辿ったように思った。

ここで、代数的だなと思った。
代数のアプローチをわかりやすく表現するなら、学校の先生から教えてもらった受け売りだが「現実世界では治せない病気の人を、一回天国に連れていって治してから現実の方に返す」が最も単純だと思っている。
こういった形で置き換えないと、直視できなかった悩みなのかもしれない。

機械なのか生命なのか

あのゲームにはいわゆる生命体みたいなものは出てこずに全て機械だったと思う。
機械が生活しているあの空間をみて、ふと思ったことがあった。

生命、つまり生き物ってどんなものだろうか。

これが結構難しい。

とある小説で、コンピュータウイルスって生き物みたいなものですか?というものがあった。
うろ覚えだが、キャラクタ同士のちょっとした会話で、質問した側は、「自律的に動く」「有機物」「増える」の3つを生物の定義として挙げたと思う。
その定義だと、コンピュータウイルスは生物ではないと思う(増えはする)。
ただ、「起き上がり小法師」は生物じゃないか?という話に発展する。
起き上がり小法師は勝手に立ち上がるし、有機物の木でできているし、とても可愛らしいのでどんどん生産されて増えてしまうのだから生物の要件を満たすよね、という論法(もちろんジョーク)。

脱線したが、あの世界の機械達は生命なのだろうか。
違うゲームだと機械生命体というものはいたりする(あちらはいわゆる知性あるロボット)。

自律して動いているし、人と同じように悩みもしているし、ぼやきもしている気はする。

主人公も元々は人間のはずだし。

ただ、機械っぽさを痛烈に感じるのは、解体される時である。
ここで機械の定義(のようなもの)を見てみたい。

機械・・・物体を組み合わせ、動力によって一定の運動を起こし、その結果、有用な仕事をするもの。

役割を終えた時、機械は機械である意味が無くなるから解体、だと思った。

じゃあ、生物は?

生物でないものを抽象的に、それでいて生物っぽくリアル描くことで、生きているとはこういうことかな、というのを感じた。
考え過ぎかな。

そんな感情でした。

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