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雀荘のバカ、或いはなぜ僕は雀荘から帰れないのか【雑記】

僕は昔から、雀荘から帰る事が苦手だ。他者にはあまり共感されがたい特徴だろう。一度雀荘に足を踏み入れると自発的に卓を離れることができない。そういう生まれ育ちと言って良い。しかしながら、雀荘は風営法に守られた業態であるために「深夜の12時から日の出まで」は営業禁止とされている。だからどれだけ卓から離れ難くとも12時には外に放り出される仕組みとなっている。何とも有難いことだ。

しかし、とある並行世界の日本では雀荘は24時間営業であるとすればどうだろうか。勿論、法治国家日本でそんな営業が許されるはずがない。真夜中に制服警官がやってきて「ロンの声がうるさいと近所から苦情が来ています」と注意を受けるなんてありえないことだ。だから仮にだ。ある並行世界NIPPONでは雀荘が24時間営業しているとする。すると僕はとんでもない問題に直面することとなる。どうやったって雀荘から帰れないのである。

時として時空が交差し、並行世界の僕がSNSに現れることがある
どうやらNIPPONにいる僕は本当に雀荘から帰れていないらしい

ではここからの文章は並行世界NIPPONに暮らす僕が書いたという設定の純然たるフィクションである。賢明なる読者諸兄は是非ともそのつもりで読んでいただきたい。野暮は無しだ。


僕たちは雀荘のバカだ

そう、僕は雀荘から帰ることができない。なぜなのかと問われれば僕が雀荘のバカだからだ。麻雀のバカではない、雀荘のバカだ。そして雀荘のバカは全国的に分布し生息している。彼らは、つまり僕らは一体どういった成り立ちで生まれるのだろうか。

場末生まれUFO育ち

人間はおおまかには深夜の雀荘で『UFO』を食べたことがあるかどうかで二分できる。「私は『一平ちゃん』派なんだけどな」といった意見は受け付けない。『ゴツ盛り』でも『焼きそば弁当』でも好きに平らげてくれれば良い(ちなみに僕は『俺の塩』派である)。

高校生の頃、4号機と共に暮らした僕にこのパッケージは強く刺さった

と、これは一般的な麻雀好きであるかどうかの線引きに過ぎない。そして更にそこから人生の道は二手に分かれる。雀荘のソファで寝たことがあるかどうかだ。「えっ、みんな一度は寝たことあるでしょ?」と思ったそこの貴方、君は既に雀荘のバカである。時間経過の停止した空間で毛布をひっかぶってのごろ寝、このごく自然な行為が僕たちの身体構造を人間からバカへと変容させる。後は「麻雀をする為に人から金を借りた事があるか」であるとか「仕事や人との約束を吹き飛ばした事があるか」といった些細な分岐がある。当然全てYESだ。

可処分時間が問われる令和の時代に

前提として僕たちは誰しもが消費社会に組み込まれた歯車である。時間を費やして金を稼ぎ、その金を費やして時間を過ごし、寿命を消費していく。ではここで人間が一般的にどう日々を過ごしているのかを表で見てみよう。

総務省『令和3年社会生活基本調査』より抜粋

趣味・娯楽に費やされる時間は1日平均で1時間、月30時間。四麻東南として換算するならばおおよそ40~50半荘。ここに休養とくつろぎの時間を足せば月90時間。これでおおよそ120~150半荘となる。しかしこれでもまだ「超常連」と呼ばれるバカの費やす時間には遠く及ばない。そう、雀荘のバカは常人に許された可処分時間の全てを雀荘に叩き込んでいる。だからなんとか金も続く。他の事に金を使おうにも時間がないからだ。

日に30時間の闘牌という矛盾のみを条件にフリー雀荘は存在する

僕たちはなぜ雀荘から帰れないのか?


そして一度雀荘のバカと成り果てれば、住民票を移したわけでもないのに雀卓の前に定住することとなる。それはなぜか?我が事であるが故の最大の疑問にここで2つの仮説を提示したい。

仮説①生き様だから

遡る事2年程前だ。あるnoteが麻雀TLで物議を醸した。

タイトルは穏便で論調は穏やかだが、内容はといえばかなりロマンチックかつエキセントリックなものだった。主張の軸はこうある。

麻雀のプロは、何を売り物にされているのでしょうか。

該当noteより抜粋

 私は打牌だと思っています。その打牌に人生を重ねて見てしまいます。小島武夫はこう打つ、伊集院静はこう打つ、しかし沢崎誠はこう打つ。それはその人の哲学であり美学であり人生である。そう思って見て来ました。

該当noteより抜粋

(中略)

もっと言えば、打牌は選手の人格の一部であると勝手に思っていました。打牌から選手の人格を切り離すことは可能なのでしょうか。この打牌には選手の人格は関係ない、そういう打牌をみて心が躍るのでしょうか。

該当noteより抜粋

キレキレのロマンチズムが飛び交っている。そして最終的にはこう結ぶ。

 結局の所、私は打牌の議論を良いと思っておらず、議論をする方が限られていけばいいな、それは麻雀界に対して何らかの責任をおって生きている人だけになればいいなと思っています。その覚悟がなければ議論するべきではないと思います

該当noteより抜粋

ブッチギリである。まあそれでもあくまでも個人の意見だ、何の文句をつける所があろうか。とは思うが何とこれに乗っかったMリーガーがいた。

何喋ってんだよ、と僕は笑った。笑ってRTした。いくらなんでも無茶苦茶だ。ご自身の美学に通じ、その琴線に触れる何かがあったのかもしれないがガンギマリに過ぎる。プロは確かに打牌に人生が乗っているのかもしれない。しかし、そもそも卓の前に座っているだけで人生を体現できる人種を僕は知っている。そう、雀荘のバカだ。

「プロはプロ、アマはアマ」という肩書だけの意味のない線引きはもうやめよう。仕事よりも熱心に雀荘に通いつめ、ついつい仕事をサボって頭を丸める奴だっている。セブンイレブン一軒分負ける奴だっている。レジ金をパクって逃げてそこから歩いて10分の他所の雀荘でパクられた奴だっている。僕たちはみな全身全霊をもって卓に臨んでいる。計測したことはないが、雀荘に滞在した累計時間は恐らく実家で暮らした時間よりも長いだろう。皆が皆レペゼン場末でありナチュラルボーン雀キチなのだ。

そう、打牌に人生を載せているのがプロだとすれば、卓を前にして既に人生そのものであるのがバカだ。そんなバカにとって、卓に居る時こそが本来の人生であってそれ以外の時間は仮初のものでしかない。そんな僕たちが石ころ並べから一歩も退かないのは必然ではないだろうか?

仮説②量子力学的に徹底しているから

シュレディンガーの猫はみなさんご存じだろう。密閉された箱にとじ込まられた猫はその原理上、生きている猫と死んでいる猫との確率的重ね合わせの裡にある。そしてその状態は箱を開けて観測されるまで確定しない。

これがWikiPediaに登場する「シュレディンガーの猫」

そのシュレディンガーの猫の亜種、それが「雀荘のバカ」だ。密室の雀荘に自主的に軟禁されたバカは(かなり低確率の)勝ったバカと(とても高確率の)負けたバカの確率的重ね合わせの裡にいる。そして、その状態は店を出て財布の中身を観測するまで確定しない。ではここで、時間推移と共にバカが勝っている確率がどう推移するかについてを図示してみよう。

横軸をバカが雀荘のドアを開けて勝敗を確定させる時間t、縦軸をその時点でのバカの勝率P(V)とする。昼の12時から悠々と打ち始めたとした時、いつバカが雀荘のドアを開けて雀荘を後にするか、でその勝率は大きく異なる。一番絶望的なのは深夜の1~5時の間だ。終電もなくなって「さぁ朝までやるか」となったこの時間帯に雀荘を後にするとすれば、もはやパンク以外の可能性が残されていない。そして朝の6時~7時。ここが一旦熱いタイミングである。ここで終われるという事は勝ちを意味し、そして続行するという事は負けを意味する。しかしながらよく見て欲しい。その時点を過ぎれば勝率はゆるかやに上昇していくのである。ここまで卓が続くということは、熱くなっているのはバカ当人のみとは考え難いからだ。よって、20時間を超えるプレイによって僕たちは自身の勝率を自在に高めることができるのである。

勝つまで続ければ負けることはない。永遠に不滅である

「論理的に破綻しているよね」「それって生存性バイアスかかっていませんか?」などとみんなの心の中のひろゆきがザワつくのはもっともだ。しかし、だ。雀荘とはそもそも論理と倫理と法の外にある密室である。NIPPONにおける治外法権の最小単位と言っても過言ではない。そこではどんな不思議な事が起こってもおかしくはない。こう納得してほしい。

僕が僕たちの為にできること


ひとたび本腰を入れて打ち始めれば、僕が麻雀を辞める条件はおおよそ3つしかない。パンクするか、気絶するか、卓が割れるかだ。

パンクはアウトの概念と共に消滅した。現代日本を生きる雀士の皆さんには信じられない話かもしれないが、NIPPONにある場末の雀荘ではどこも、手を挙げればチップが追加される。いくらでもだ。勿論これは最終的には精算しなければいけない。だけれども、いつが最終であるかを決めるのは店ではない、自分自身だ。

無敗の男桜井章一氏も、勝つまで卓を立たなかったという

気絶もほとんどあり得ない。アドレナリンが全身に満ち満ちていれば睡魔など訪れる間もない。判断力が多少鈍りはするがまあそこは妥協点とするしかないだろう。

これさえあれば僕たちは不眠不休で戦える

とすれば、僕の敵は卓割れのみだ。そしてこれは最大の敵である。みんなそれぞれに予定の時間枠があって、その中でやりくりして遊びに来ている。どれだけ麻雀を続けたくても相手が居なければ話にならない。「センシューラク…」と力なくつぶやき精算を済ませるしかない。

では、そんな強敵『卓割れ』にどう立ち向かっていくのか。長年考え続けた末、遂に僕はある結論に達した。

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