ある元サクラナイツファンはどのように2021シーズンの10月20日で挫折したか

 サクラナイツが好きでした。

 サクラナイツの選手のみなさんが、監督が、マネージャーが、ファンの皆さんが好きでした。

 2020シーズンに不調だった沢崎さんがトップを決めて、翌週の火曜日にトップを決めた時は快哉を叫びました。

 そして、2021シーズンもこのまま楽しく、みなさんと一緒にずっとサクラナイツを応援していきたいと思っていました。

 心が急に冷えたのは10月20日のことでした。

 それは、堀さんがダブルブッキングでご出演を延期された『堀慎吾の好きに言わせろ』ではなくて、平澤元気さんと森井監督の出演された『平澤元気麻雀ch.from雀劇tv』でした。平澤さんは麻雀を伝導するということについてのパイオニアで、多くのファンに愛されているYoutuberで、天鳳十段位になったこともあるほどの実力者です。

 『沢崎さんと村上さんの、目無し問題』が話題になっていたころ、そりゃ沢崎さんはサクラナイツのために、村上さんはドリブンズのために、そのファンのために打つんだから違うやろと思ってみていましたが。

『私は競技性を歪めるので沢崎さんの打牌は嫌いです』

とおっしゃられていました。沢崎さんが誰のためにあの麻雀を打たれたか。私にはわかりません。が、そのうちの何割かはサクラナイツのファンのためにしてくださったのだと思っています。その行為を嫌いであると否定されたので、きっと平澤さんはサクラナイツのファンのことが嫌いなんだろうなと推測したことを思い出しました。

 そのことをもっと早く思い出すべきでした。

 『平澤元気麻雀ch.from雀劇tv』さんの『【Mリーグ対談】サクラナイツ森井監督と開幕直後のMリーグを振り返る』を拝見したときでした。

 最初のうちはめったに聞かれぬマネタイズについて説明されていらっしゃって、なるほどなぁと思っておりました。特に全体が盛り上がる、潤うというのは大変重要な視点でありました。

 また、最初は選手から入って、チームにファンがつく、という構造の変化も正しいと思います。私も内川さんから入って、沢崎さんに魅了され、岡田さんを応援したくなった2019シーズンからサクラナイツというチームを好きになり、2020シーズンは堀さんを応援するようになりました。『チームきっかけで選手にファンがついていく』という言葉もそのとおりと思います。

 一方で、この視点をオフシーズン中ではなく、レギュラーシーズンが開幕した後にご提示されているのはどうなのかと思って視聴していました。私はサクラナイツの裏方がどんどん前に出るのが大好きです。稲垣マネージャーが「メガドライブ最高」と叫んだのは私にとっても最高の場面でした。稲垣マネージャーが見事なラインナップでボードゲーム(中には絶版のものも!)をカプリティオさんとのコラボ企画で持ってきたところも大好きです。

 ただその一方で、レギュラーシーズンは選手が主役、オフシーズンは裏方が主役であればいいなと思っています。

 ニーズがあるから前に出られたのでしょうが、であれば、堀選手がAbemaプレミアムで語られていた『推しチームの次くらいに応援してください』という言葉と、齟齬があるなとそこに話の噛み合わなさを感じました。もちろん、森井監督が前述のご意見についてはオフシーズンにもおっしゃっていましたし、それを繰り返されただけなんですが、今がレギューラーシーズン中であることから違和感を感じました。

 とはいえ、それはおそらく限られた時間で限られた言葉をしゃべられていると思うので、そこはまぁ様々な考え方を許容するべきであろう、選手と裏方では別物ですし、と思いました。

 平澤さんが『選手の批判ではなく、打牌についての議論ができるようになればいい』というコメントを取り上げられて森井さんが「そうなんですよ」と語られた時、心臓を鷲掴みにされたような気持ちになりました。

 この後を引き継いで森井さんの言われたことは、プロ野球を引き合いに出し、市井の人々は160kmの球は投げられないから、「野次」を言ってもそれは「野次」にしかならない。麻雀は誰でも麻雀をでき打牌できるからこそ、打牌についての議論ができる、それは本当に良いことである、という趣旨だったと思いました。

 平澤さんはこの意見に重ねるかたちで、「議論も嫌だという方が結構いらっしゃる」という現状について、「打牌のこれは間違いじゃないのという声に対して、自分の好きな選手を否定して欲しくないのだな、という声がある」とされた上で、「僕自体は打牌議論自体はいいことだと思っている」と語られました。平澤さんのご発言の本質は、批評するものも、選手ではなくて打牌の方にしましょう、という話にすると、打牌とは関係なく選手を推せるのではないか、という意見だったと思います。

 私は即座に思いました。森井さん、これを否定してもらえないかと。

 とはいえ、これをおっしゃったのは平澤さんですから、いかに「つーかー」とされるとはいえ、これは森井さんのご意見と全く一緒かどうかは分かりません。私は、これは全く受け入れられない世界観でした。

 麻雀のプロは、何を売り物にされているのでしょうか。

 私は打牌だと思っています。その打牌に人生を重ねて見てしまいます。小島武夫はこう打つ、伊集院静はこう打つ、しかし沢崎誠はこう打つ。それはその人の哲学であり美学であり人生である。そう思って見て来ました。

 プロ雀士は打牌というものについて、責任を様々な形で背負われていると思います。よく Accountability と言われますが、これが日本では何故か「説明責任」と翻訳されますが、これは誤訳だと思っています。そもそも「説明責任」という言葉は造語です。言うなれば「結果責任」であると思います。結果に対して責任をとることが大事であって、結果に対して説明をすることはAccountabilityでもなんでも無いと思っている人間です。ですので、責任のとり方を打牌についての説明、打牌についての議論とは思っておりませんでした。

 もっと言えば、打牌は選手の人格の一部であると勝手に思っていました。打牌から選手の人格を切り離すことは可能なのでしょうか。この打牌には選手の人格は関係ない、そういう打牌をみて心が躍るのでしょうか。

 私には分かりません。ただ、選手が時間をかけて身につけてきた技術と戦略がその打牌を選ばせている以上、そこに選手の魂のようなものの欠片を感じるなというのは難しいと思っています。

 これはあくまで私の史観であって、この史観が正しいということではありません。ただ、この史観を前提とすると、打牌というものは軽々に議論するようなものではないなと思っております。

 では、どういう場面で議論されるのか。

 麻雀教室で講師と受講生という立場なら。

 麻雀チームで選手と監督という立場なら。

 雀荘のゲストとお客さんという立場なら。

 この立場であるなら、議論によって答えを得る側もそれ相応の対価を提出して問うているわけですから、打牌について議論するということに対しても納得できると思います。同じく心血を注いで牌譜を作られている同卓者、あるいは今後対戦される同業者(Mリーガーの皆様)でしたらこれを議論するのか、あるいはライバルチームには説明しないのか。そこにも様々な考え方があるでしょう。

 逆に言えば。

 多くの方は観る専門のファンであり、こういった特別な方々とは違うところにいらっしゃるかと思います。

 プロ雀士の方は打牌で商売をされているように思います。そのプロ雀士の方に、打牌の意図を聞くのは、商売のタネを気安くもらおうとしているように見えてしまいます。イラストレータに無料でイラストを書いてと頼むような、プログラマーに無料でプログラムを作ってと頼むような、もっと言えば手品師に無料で手品のタネを聞くような行為に見えてしまいます。

 私は職業が「学者」とされる人間らしいのですが、その学者は「議論」をするときには、論拠を求めた上で、どのようにすれば説得できるかという論陣を張り、相手の意見によって自分の意見を浮揚する。場合によって相手を深く理解し、相手を論破することだってある。そういうことをするのが生業の人間です。

 という人間にとって、打牌という相手の人生の一部を論破しにいく行為がどうしても好印象に見えません。これが「学問の発展のため」「文化の発展のため」というお題目があればわかるのですが。

 Mリーグを好きな方は麻雀のルールすらもわからないけれど、何となくMリーグを見ているという昨今で。

(まぁMリーグのルールは、牌を2つ同時に見せたらどうのとかを10月20日の深夜の松本吉弘選手のスペースでスピーカーをされていた方がどうなるの?と聞かれていましたし、別の日には数え役満はないのどうのとか、そういうことが起きていましたが)

 ルールもおぼつかずに見ている多くの層の方々が、果たして、麻雀文化の向上をお題目として打牌についての議論をするのでしょうか。ありていにいってしまえばTwitterでオープンに、公開議論されるのが良いのでしょうか。それを是とされるのでしょうか。

 というところで、どうしても同じところをグルグルしてしまいますが、これをまとめると、

・麻雀界の人間は、打牌に議論することもあるだろう

・一方で、麻雀界の人ではない人は、一視聴者は議論するべきか?

 と、冷ややかに見てしまいます。議論するのが、打牌であり、打牌に魂が宿ると考えている以上、全人格や生き様、そういったものを議論する、問いかけをすることが億劫に見えます。

 というより、平澤さんも森井さんも麻雀界で生きられる方々ですから、議論をされることはもちろん当然なのです。であり、議論が闊達になっていくことについて、麻雀界が広がりを見せるということなので、素晴らしいことであると位置づけられていることに不思議はありません。

 一方で、多くの視聴者が違和感をもったとするのであれば、そこだと思います。視聴者は結局は麻雀界の人間ではなく、麻雀界や選手の生き方に責任を持つ立場の人間ではない以上、その打牌について議論をすることが良いように思えないのです。その立場になるように、視聴者が自らを律することも、やはりToo Muchを求めているように思うのです。

 私はあくまで野次とは言わないまでも、すごく遠くから「すごい」と言い続けることが良いと思っています。全然選手のことは理解していませんし、麻雀のことも理解していません。

 Mリーガーである以上は、という声があるのもわかりますが、やっぱりそれを無料で問うことにいやらしさを感じます。Mリーガーの推定年収は全く存じないのですが、果たしてそこまでの説明を求めるものが必要なのでしょうか。(私は前述の通り説明責任という言葉を全く納得しておらず、結果に対してのみ責任を負えば良いと思っています)

 もっと言えば「なんか凄そう」これが伝わるだけで私は幸せです。まつかよアナウンサーがインタビューで打牌意図を問われたときに、沢崎さんの伝説の9pビタ止めや堀さんの至高の一局のように全くマネできないことをおっしゃられて「よくわからないけれど」「なんか凄そう」と思っていれば幸せになれます。ですので、そこが「議論」(=論拠、論陣、浮揚、論破)とかけ離れているように思います。

 この話をまとめると。

 結局の所、私は打牌の議論を良いと思っておらず、議論をする方が限られていけばいいな、それは麻雀界に対して何らかの責任をおって生きている人だけになればいいなと思っています。その覚悟がなければ議論するべきではないと思いますし、そうなれば、自由闊達、誰でも議論できるというのは若干違うなと思って見ています。

 この状況で考えるべきことは2通りです。

・自説が間違っている:議論はするべきである。

 この場合、私は明確に退場するべきでしょう。私の考えは害悪でしかない。自由闊達な議論を防ごうとしているのですから、自由な言論に対する侵害行為です。これは間違いなく、退出するべき行為です。

・自説が間違っていない:議論は責任とれる人以外はするべきではない。

KADOKAWAサクラナイツの監督としてご出演された森井様のお考え通りにサクラナイツ様は自由闊達に議論できる社会を目指されることになるでしょう。私が自説を取り下げない以上、サクラナイツ様にご迷惑をおかけするような自体になるかと思います。前もって、予防的な意味も含めて、私は退場しておいた方が良いかと思います。

 以上、自説に対する是非をどう勘案しても、私は退場するべきという考えに至りました。

 なんというか、私は浅いファンなので、このまま浅いファンのまま、「すごい」「すごい」「よくわからないけれど」「すごい」とだけ言い続けることができれば良いなと思っていました。それは良くないことで、もっと具体的に何がどう凄いのか、そして何がすごくないのかを語ることが麻雀文化の発展につながる、というのであればそれは遠くからいたいと思っていますし、永遠にその輪には入らないようにします。

 た、それが考え方の1つではなく、議論ありきになってしまうと正直厳しい、というのが心が冷えていった原因でした。

 私は自分の感情をロジックで説明しようとしていますが、もちろん急ごしらえですので抜けがあるかもしれません。ただ結局として、感情が強かったということになりますでしょうか。

 私は。

 サクラナイツ様が好きでした。

 サクラナイツの選手の皆様が、監督様が、マネージャー様が、ファンの皆様が好きでした。

 今でもサクラブレードを観るたびに、うっちー!おかぴー!まむたん!ぽりぽよ!と叫んでいた夢のような日々が思い出されます。連盟のチャンネルで見るとグッとくるものがあります。十段戦やFocusMでサクラナイツ様の選手の方々が対戦している姿は正視できないかもしれません。

 私はファンクラブもサポーターもAbemaプレミアムも2021年10月20日に解約してしまったので、もうこれ以上何かを思ったり語ったりはしない方がよいと思います。

 末筆ではございますが、サクラナイツ様の選手の皆様の、監督様の、マネージャー様の、ファンの皆様の益々のご活躍・ご発展をお祈りしております。

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