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【ゲスト尾崎とインタビュアー尾崎のlong対談】「芸術家になったワケ」「作品について」「天才とは?」「個展後の展開」

インタビュースタート。

今日はお時間をいただき、ありがとうございます。「凡人と天才ごっこ展」についてご質問をさせていただきますので、よろしくお願いいたします。

<ゲスト尾崎>
よろしくお願いします。なんだか照れますね。

<インタビュアー尾崎>
早速、インタビューに入りますね。
そもそも、なぜ今回個展を開こうとおもったのですか?

芸大生にも、芸大の先生にもなれない。だから、芸術家になろうと思いました。

38年間、アートや美術には全く興味がありませんでした。むしろ苦手でした。中学校で美術の成績が悪く、絵を笑われたあたりから「二度とやらない」と心に決めて、美術館に足を踏み入れることもしませんでした。

そんな私が、去年、私が関わっている学童で1年かけてミュージアムを作るプロジェクトを行いました。

子どもたちに作品を作る面白さやこれからの社会におけるアート思考の重要性などを話していたのですが、偉そうに語っている私が逃げているわけですよ。正解のないものを人前に晒すことを怖がっている。言動不一致なんてかっこ悪すぎると思い、アートともう一度向き合うことにしました。

向き合う方法として、まずは芸大に入ろうと思いました。入学試験が厳しくない社会人向けの通信制学校などを調べました。でも、シラバスなどを見ても「大変そうだな。。」と思ってしまい。
次に芸大でキャリアデザインを教える先生になったら良いんじゃないかと思って、大学の非常勤講師サイトを調べたのですが、そんなに簡単に見つかるわけもなく。
そこで、ふと気が付いたんです。
「芸大生」と語るのも「芸大の先生」と名乗るのにも資格が入りますが、「芸術家」という肩書きには誰の許可もいらないということに。

「芸術家」と名乗れるなら、こんなカッコいい肩書きを使わないなんて、もったいないですよね。
個展を開くことで「名乗っているだけでなく、活動している」という実績になるので、すぐに開くことを決めました。

<インタビュアー尾崎>
なるほど。さすが、尾崎さんですね。
楽して「なんか人と違う!」と思われる方法をすぐに見つけ出すのが上手ですよね。
次の質問ですが、どんなことを考えながら作品を作っていますか?

村の自然✖︎教育✖︎体験を形にするのが今回の作品です。

今回は住んでいる村の自然を活かしたいと思っています。
木、石、廃墟、川、土、鹿、苺など「当たり前にある普通のもの」をどこまで面白がれるか?が勝負だと思っています。
もちろん、お金がないので、できるだけ安く手に入るものを使いたいという理由もあります。

木の廃材にレーザー刻印
そのあたりに生えている草や花
鹿や猪を捕まえる罠をお借りする

あとは、私から湧き上がる情熱は全て、子どもたちへのメッセージなので、いつも授業で話している内容が伝わる作品にしようというのも強く意識しています。
「自分の軸を知ることって大切だよ」
「モヤモヤは体の外に吐き出さないと、体の中に入れておくと大きくなって苦しいよ」
「無駄がいかに楽しみを生み出すか?」
「視点を変えると、なんでも面白く見える」
そんなことを感じてもらえると嬉しいです。

そして、最後に「体験」です。
作品を直に触って、揺らして、照らして、漬けて、漕いで、投げて、捕まって、回してもらいたいです。頭ではなく、楽しみながら体で感じてもらいたいです。

<インタビュアー尾崎>
尾崎さんは不器用で有名ですし、図工や美術の腕からすると、かなりザックリした作品になっている気はしますが、楽しみですね。ところで、尾崎さんにとって天才ってどんな人なんでしょうか?

人は天才として生まれ、秀才を目指し、凡人になっていく。

先日、天才に会ってきました。
「おままごとごっこ」でも「お医者さんごっこ」でも本物を真似ますよね。
「天才ごっこ」を本気でするためには本物に会って、その所作や言葉を真似る必要があります。
今回、お会いした女性は私がイメージしている「天才の条件」をほぼ完璧に満たしています。
いくつか例に出します。

①みえない違いが見えている。
2枚の写真を私に見せながら、「この写真では私はここにいるんだけど、こっちの写真はここにいるんでした!!!」とすごいテンションで笑うのですが、私には違いがわからないんです。同じ場所にいるように見える。しかし、それは目に見える違いがないというだけで、本人の中には心のあり方が違うのかもしれないし、写真にはみえない部分で大きな変化があるのかもしれない。見ているものが違う。

②動物的本能と人間的思考のギリギリを歩く
常識では「それはちょっとやめたほうがいいよ」と思うことも、本能の赴くままやろうとするのですが、ギリギリで思いとどまる場面を何度も見ました。人間的思考はchat GPTに敵わない部分がありますが、動物的本能は自然界の不思議で溢れているので、唯一無二の答えに辿り着きやすいです。とはいえ、人間界で生活するには本能だけでは大変なので、そのギリギリを歩きながら彼女は葛藤していました。

③当たり前が違う。
「飛べますか?(ジャンプできるか?という意味)」と聞くと「飛べないよ。私は鳥じゃないから」と答えたりします。凡人の「当たり前」が天才にとっては「当たり前ではないので、言わないといけないこと」であるという事実に気付かされます。

④人の名前を覚えない
余計な記憶メモリを使いたくないのではないかと勝手に思っています。何度名前を伝えても「あの子」と私のことを呼びますが、彼女に悪気は全くありません。天才の脳を私の名前のメモリで邪魔したくないので、覚えてもらえなくても構いません。

などなど。他にも条件を挙げればキリがないですが、私の中では間違いなく天才です。
それが彼女です。





私のお友達の娘さん(3歳)

人は生まれた時は天才なんだと思います。
人間の言葉と行動で、独創的なものを作り出すから3歳が1番認識しやすい天才です。
そこから徐々に「どれほど記憶でき、ロジカルに考え、人より高い結果を出せるか」という競争が始まり、秀才を目指し始めます。しかし、多くの人がその競争に負けたと感じ、凡人と自己認識しながら長い人生を送ります。私は約33年間、ずっと凡人コンプレックスを抱えたままです。

天才と遊んだあと、芸術家にも会いに行きました。

京セラ美術館の「跳躍するつくり手たち」のギャラリートーク。
芸術家たちが自分の作品を説明してくれるイベントです。
「人と自然の未来」というテーマは私の個展とも重なる部分が多かったので、見に行きました。

芸術家の石塚源太さん。私より1歳年下の芸術家さんです。
芸大を卒業し、イギリスに留学し、院を出て、たくさんの賞を受賞し、大英博物館にも作品が展示されている方だという情報と現地ですんごい作品を見て、「これは絶対理解し難い天才っぽい感じの人だろう。」とドキドキしていました。

石塚源太「感触の表裏」
「感触の表裏」は漆が何重にも塗られてできている。

しかし、実際お会いしたら、わかりやすい説明で、自然体で穏やか。ずっと話していたいような雰囲気。同級生で学校にいたら、絶対友達になりたいような優しい感じ。

「ふむ。天才ってなんだろう」とずっと石塚さんを観察していました。
共通点を探したくて、中川周士さんという、木工職人の方のお話もお聞きしました。

お二人とも愛するものがある(漆や木)。そして、それに関わる全てのものをめちゃくちゃ勉強している。その知識は歴史、生活、文化、物理、科学、生物などあらゆる分野にまたがる。そして、常に「自分」ではなく、「愛するもの(素材)」が中心にある。

かっこいいなーと思いながらも、中途半端な気持ちと自己顕示欲で動いている私にとっては芸術家たちの純粋さを真似することはできません。

真似できるのは使う言葉くらい。
「有機性」「質感」「身体性」「奥行き」「素材の表情」「完璧ではない(あやふやな存在)」「ノイズ」「許容範囲」「心地よさ」「ミクロとマクロ」「変化」みたいな天才が使っているキーワードを必死にメモを取りました。インタビューの際に使っていきたいと思います。
天才ごっこで大切なことは「表面をなぞる」ことを楽しめるかどうかですから。

<インタビュアー尾崎>
「ごっこ」って言えば、浅いことでも許されるので、非常に便利なワードですね。では、最後に個展開催後の展開を教えてください。

サーカスのように全国を回るか、公園や学校に遊具として設置したい

山の個展が成功したら、作品を全てキャンピングカーに詰めて、サーカスみたいに全国を回りたいですね。公園とかに常設できる作品(遊具)になって、日本中の子どもたちが遊びながらメッセージを受け取れる環境ができればと思います。

しかし、作品作るってやっぱり「ごっこ」だとしても結構お金かかるので、昔の芸術家がそうであったように、私にも芸術活動を支援してくれるパトロンが必要だな、と思う今日この頃です。

個展は5月6日13時から15時に西粟倉村で行います。
詳細はホームページから。


おしまい。

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