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青春のエキサイトメント

 幼少期、私は母の好きな曲を聴いていたが、そのうち自分で気になるものを見つけてくるようになった。自立の一部として徐々にそうなっていくことが多いのだろうが、私には鮮明に記憶に残っている一回目がある。

 小学5年生のある夜。リビングですっ転がってバラエティ番組を観ていると、LINEスピーカーのCMが流れた。
 商品そのものに興味は湧かなかったが、この曲好きだな、とぼんやり思った。忘れないうちにとスマホを手に取って、画面右下に表示されていた楽曲タイトルをアップルミュージックの検索欄に打ち込む。表示された真っ赤なジャケットをタップする。
 それが『ふたりの世界』だった。
 一言で表すならほろ苦いラブソング。でもたぶん、チョコレートならビターではなくミルクだと思う。そういう歌だ。
 大人っぽい声と力強い曲調、それらに反して恋する女の子の生々しくも可愛らしい歌詞、すべてが調和してきらきら響いた。その印象は褪せることなく残り続け、私は今でもこの曲を聴いている。

 完全なる余談なので段落まるまる飛ばしてもらっても構わないのだが、ふたりの世界を知った直後の母とのドライブでこの曲が流れたとき(家族皆音楽が好きなのでうちの自家用車にはいつも誰かのプレイリストが流れている)、私は大変焦った。なぜか。その理由は歌詞にある。

いってきますのキス
おかえりなさいのハグ
おやすみなさいのキス
まだ眠たくないのセックス
お風呂からあがったら
少し匂いを嗅がせて
まだタバコは吸わないで
赤いワインを飲もう

 シンプルながら相手にめろめろな様子が伝わる可愛いフレーズなのだが、何せ当時の私は小学生女児。セックスという何やら卑猥な意味を持つらしい言葉の使われた歌を聴いていることに少しの背徳を感じていた。そんな時期もあったのだ。そういうわけでこの曲を人前で歌ったり聴いたりすることを避けていたのだが、うっかり、それもよりにもよって母の前で流してしまったのだ。慌てて止めようとしたがかえってわざとらしいかと思い至ってやめ、私は「そういえば昨日Aちゃんがさあ…」と母に友人の話を始めた。母は私が焦り散らかしていることなどつゆ知らず、ハンドルを握りながら私の話に相槌を打っていた。
 例のワードが歌われ終わったのをしっかり聞き、思いきりほっとしたのをはっきり覚えている。今になって振り返るとなんとまあ可愛らしいもんである。

 さて。そんな調子で『ふたりの世界』にすっかりハマった私は、他の曲も聴いてみよう、と思い至った。出会いの夜にダウンロードしていたアルバム『青春のエキサイトメント』を一曲目から再生する。
 これがまあどれも鮮烈に素敵なのだ。

 真っ赤なジャケットが印象的だが、どの曲もなんというか、燃えている。愛や嫉妬や憂いや恋、さまざまな感情を火種にして、苛烈に燃えている。と感じる。大小さまざまな美しい炎が、めらめら、ぎらぎら、ゆらゆら、ごうごう、輝く。
 エキサイトメントという言葉の示すところは、大まかに言ってしまえば心揺さぶるものという意味だ。青春のエキサイトメント。彼女の心を揺さぶったであろう青春時代のいろいろを鮮やかに追体験できるから、私はこのアルバムが好きで仕方ないのかもしれない。

 パンピーなので包み隠さず言うが、私が好きなのはたぶんハイティーンの頃のあいみょんであって、今のあいみょんではない。だが私はそれを憂いているわけではなくて、寧ろそれでいいとさえ感じている。人は変わる。当たり前のことだ。子供は大人になるし、価値観は経験によって流動的に、時に劇的に更新される。私も大人になったら、最近の彼女の曲の方を好んで聞くようになるかもしれない、し、ならないかもしれない。そういうものだ。
 そうは言いつつ、やっぱり私のエキサイトメントはあの日あの頃を生きていたあいみょんの歌なのだ。

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