ゾンビ~ボケの受けと笑いの反復~ 愛を添えて

「和牛の漫才について語ります」と言ってnote開設しておいて、語った漫才が「オレオレ詐欺」だけ。これはいかん。

今回は私がお二人の漫才を初めてきちんと見た「ゾンビ」を語ります。

(以下、一部敬称略)

「ゾンビ」
M-1グランプリ2018、ファーストラウンドの最後に登場した和牛のお二人が披露した漫才である。

水田「あのまあ、こんなことはね、ほんまは考えんでもええのかもしれんのやけど」
川西「どうしたん」

「もし俺がゾンビに噛まれて感染させられたら、お前俺のこと、殺してくれる?」
「ほんまに考えんでええよ、そんなこと」

この漫才、スロースタートな始まりなのであるが、注目してほしい点がある。

「お前俺のこと殺してくれる?」がハッキリ聞き取れるのだ。

けれど間髪入れずに「ほんまに考えんでええよ、そんなこと」と続く。

ともすれば、普通の会話であれば、「ゾンビに噛まれて感染させられたら」のあたりで「あるわけないじゃん」と言いたくなる。
しかし、一拍置くことによって、お二人のスロースタートがより際立ち、独特の空気が形成されている。
そして注目してほしいのが「殺してくれる?」のあと、川西さんが小さく頷いている点と、水田さんのセリフが終了するまで、表情が変わらない点である。

水田「殺してくれる?」
川西「(コクン)(険しい表情)ほんまに考えんでええよ」

コンマ何秒?!この一連の流れである。この態度・表情・セリフの瞬発力である。

これと同じ態度が後の川西さんのセリフ「殺す殺す殺す殺す殺す」にも見て取れる。
「殺す×5」の直前、呆れたように遠くを見ていた川西さんは、かすかに頷いている。
頷いていると言えないほど微かに。
しかも「殺す×5」の直前まで、お二人はマイクを挟んで

仮想ゾンビの水田さんは左へ前進
呆れる川西さんの視線は右の遠方

と、「オレオレ詐欺」の時でも触れた「弛緩」の状態である。
そこから観客の注目は「殺す」という物騒なセリフとともにサンパチマイクへと収束するのだ。

一旦、ツッコミにより分断させられそうになったゾンビという題材へ、再度、注目が集まるとともに、「答え」が出てしまう。

しかしそれだけで終わらないのが水田信二という男で、「ゾンビになるちょっと手前」の状況の話を始める。
珍しくはない「ゾンビ」という題材から「ゾンビちょっと手前」という、考えたこともない状況を提示することで、観客の注目の維持を図っているのがすごい。

見ている私も、「え、そんな状況あんの?」となる。
たぶん、みんながみんな、「そんな状況あんの?」となることだろう。

そして次に提示される「水田)ふぉーって言いだしたら」という状態。
「えwwふぉー?」と思うタイミングでの「川西)あんのかそんな状態」
かゆいところに手の届くツッコミである。

さらに提示される「水田)声変わり」という概念。
「声変わりww」と思うタイミングでの「川西)あれのこと声変わりて言うなよ」

そしてここでも見られる、ボケを全て受け取ってからのツッコミ。まるで私たちが心の中で「声変わりww」と反芻するのを見越しているかのような受けである。
この「ボケをいったん受け取る」姿勢は随所に見られるので、ぜひ、このネタを見る時は川西さんの態度にも注目してもらいたい。
なんでこんなこと挟むかというと、随所にある受けを一つ一つ拾い上げたくなるので、ここで終了しますねって宣言である。終わらなくなってしまうので。

その後川西さんより「色が変わったら殺す」という提案がされる。
しかし間髪入れず「水田)普通に喋ってたら殺さんといてな」と続く。
これには流石に「川西)おれへんやん、そんな奴!」とツッコむ。
確かに私たちも知らない。色が変わっても「普通に喋り続けるゾンビ」

それはゾンビなのか?まだ人間なのか?

そこから始まる「心があるかないか」議論。
水田「喋ってるやん、まだまだ水田やん!
川西「そこそこゾンビよ!
水田「喋ってるってことは、心があるってことやん。心があるってことは人間やん。てことはまだまだ水田やん。ギリギリまだまだ水田やん
川西「ちょっとわからへん、何言ってるかもう!

ここで注目したいのは「ギリギリ」「まだまだ」水田やんのフレーズ。
これは触れていないけれど、オレオレ詐欺でも見られるフレーズである。
オレオレ詐欺では、「川西)たまたま信二ってなんやの」「川西)たまたま信二ちゃう、ガチガチ信二やん」と被せてきている。
他のコンビもこういった手法はよく使うが、「前の漫才でも似たようなフレーズ(似たような場面)あったね」と思うと、心の中で、ふつふつと笑いが込み上げてくる。
短時間で二種類の漫才を見られるショーレースならではの手法であろう。

これと同じ手法が直後にも見られるのだが、それが漫才中にボケ・水田がキレるというものである。
今回は
水田「見た目このまんまの俺が普通にしてても、ふぉーって言ってたら殺してくれていいから」
川西「これは殺されへんやん!」
のやり取りから始まる
水田「だから俺この話しときたかったんよ!」
であるが、同じ行為(ボケがキレる)は2016年のM-1のにて披露された「ドライブデート」「花火デート」でも見られる行為である。

2016年のM-1はお二人の知名度を全国区へ押し上げたステージとなったが、その際二度見られたボケがキレるを見せられることで、きっと、観客の終盤への期待値も上がることであろう。

余談
キレる場面が終わり、「川西)じゃあ逆に考えて、見た目このまんまの俺が急に、ふぉー「水田)パン!」殺せるんだー」「水田)殺せる!」「川西)ピストル持ってたなあ!」のやりとり、「殺せる!」って力強く頷く水田さんが可愛すぎる。
その後の、「水田)喋ってなかったら賢志郎じゃないもん!」「川西)えー、せ、線引きがすごいね、そこのぉ!」のところ、珍しく川西さんが噛んだけど、直後、面白くなったのか、少し笑っているのがこれまた微笑ましい。
しかし、直後、普段通りの漫才に軌道修正できているあたりが、半端ない。

そして終盤。今漫才中一貫して水田さんが主張する
「見た目が変わらなくてもふぉーって言いだしたら心がないから殺す」
「見た目が変わっても喋っていたら心があるから殺さない」
の話が、川西さんに置き換えられてクライマックスへと進んでいく。

そこに至るまで、流暢なやり取りで笑いをとるものの、「和牛ってこういう漫才なの?」と、一抹の不安を抱かせる内容であった。
それは実は今でも覚えている。
初めて和牛の漫才を見た私。
あれ?優勝候補と名高くて、面白いって言うよね?この程度なの?
「面白い和牛の漫才」を期待して見ていた私の心の中に「そうでもない?」と不安の影がおちる。

たぶん、見ていた人たちみんながそうだったであろう。
でも、見た人ならみんなわかると思う。
この直後、この日一番の笑いがスタジオに巻き起こる。
その時の興奮が、私は今でも忘れられないでいる。

心があるから人間である。人間の間は殺したらいけない、と主張する。
人間の尊厳とはなんなのだろう。
心とはいったい何なのだろう。

全身ねずみ色になって頭が一部腐っている賢志郎が
「これはもうゾンビやわ」と主張する状態になってもなお、
「喋ってるってことは、心、賢志郎やねん」と、賢志郎の存在を認め続け、
「ピストルで打って」と言われても、
「無理やって、ご飯作るから」と、食事の心配までする水田。

「崖から落ちて死んだる」と、他人様への迷惑をかけないようにする賢志郎は、
ゾンビになる前と変わらないように感じるし、
そんな、自分の死に方を選びたい賢志郎に対し、
「ロープ、ロープ、ロープ」「これでもう遠くいかれへんからな」と、その自死を拒む水田。

ロープを腰に回され、自由を奪われて腰が前後するだけの賢志郎に会場爆笑

ロープを「ほどけ!」と言う賢志郎に対して、
全身ねずみ色になる前となんら変わることなく接する水田は、
「鶏も豚も、どっちも食べる?どっちも焼こか?」とメニューの提案までする。
つられて自死まで考えていたはずの賢志郎も「……うん」と頷く。

題材はゾンビであるが、これは、コンビ愛を全面に打ち出す漫才だったのだろうか…。
いったい誰が想像したろう。
「殺す殺す殺す殺す殺す」とまで言っていた二人が、ご飯のメニューの話をしている。

人間はゾンビという得体のしれないものの前に、「自分の死に方」「大切な人の最期」そんなものを見ているのだろうか。

しかし、そんな愛も、いつしか終わりが訪れるのである。

水田氏、「ふぉー」と言い始める。

会場もテレビの前の客も一瞬固まり、直後、笑ったことであろう。

川西「嘘やろ、おい。お前噛まれてたん?お前も…?!」
水田「(うめき声をあげながらゾンビになる)」
川西「俺ここまでなってて抜かされることあんの?!」

時として、運命とは非情なものである。
「ゾンビになったら殺してほしい」と、大切な人に自らの命を託した水田は殺されることもなく
他のゾンビと合流するために歩みを進める。
「まだゾンビになってない」心のある賢志郎をロープでつないでしまったがために
本来であれば巻き込みたくなかった状況に、きっと巻き込んでいるのである。
「俺まだ(ゾンビに)なってないでー!!!」との叫びもむなしく響くだけである。

もう、そこに、互いを思いやり、自らの命を託しあった和牛の姿はないのである。

水田「ほら、こんなことになるやん」
川西「なれへんねん!」

……って、あれ?
なんで命の話を始めた?
自分の最期を決める権利の漫才だったっけ?



さて、最後、全身ねずみ色賢志郎は「これはもう、ゾンビやわ!ピストルで打って~」と懇願しているが、最終的に、「俺まだなってないでー!!!」と、自らの存在をゾンビではないと否定している。高度~ww高度な笑い~~ww
やはり、「なんか色だけ変わった~」状態でも喋れれば心があり、人間なのだろうか(笑)

さて、オレオレ詐欺では電話の持ち手に焦点を当てて、観客の注目を広域にするか、サンパチマイクに収束させるか操っていると話したが、今漫才でもそういった観客の視線を邪魔しない工夫がされている。
基本的に川西さんの挙動であるが、利き手とは逆の左手をよく使っているので注目してもらいたい。
利き手ではない左手を使っていることから、意識して使っているものと思われる。
(漫才中、観客から見て左の演者は右手を、右の演者は左手を使う挙動は、他の漫才コンビでも往々にして見られるので、その挙動に注目しながら見ると、とても面白い)

そして楽しみながら漫才をしているんだろうなあと感じるのは、賢志郎が全身ねずみ色になっても喋っていたら殺さないというくだりで「水田)水田、今日の晩御飯~」「川西)殺してくれてええよ~」のところの川西さんは笑っている
よほど水田さんの挙動が面白かったのかしらww

直後の「川西)喋れんねんな、俺きっと言うで。みずた~ころしてくれ~これはもう、ゾンビやわ!」の場面、二人の頷くタイミングが全く一緒である。きちんと目を見て話しているんだろうなあ。
よほどの稽古をつんだんだろうなあと想像させられるし、なにより水田さんの頷き方がとっても素直でかわいいのでぜひ注目してもらいたい

ところで、私がとっても気になる一言がある。
川西「崖から落ちて死ぬ!」
水田「またそれか」
とのやりとりがあるが、「また」とは…。以前もこんなことがあったのか…?

しかし、清潔でさわやかな印象の川西さんに腰振らせるとは思い切った漫才だったな~ww


おわりに。
あの日、この漫才に出会えたことに、感謝しています。
水田さん、川西さん、こんな素晴らしい漫才を作ってくれてありがとうございます。

これからも、漫才「ゾンビ」は、私の好きな漫才の一つとして、ずっと心の中にあるのでしょう。

おーわり!(・∀・)bachico87


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