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島のインじぃ言いたい砲台26 〜第2海堡に上陸せよ in 東京湾要塞〜 2023.7.15
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NO.2 SEA FORT ミッション・インポッシブル率1/3
東京湾に人工島をつくり設置された3砲台が第1〜3海堡です。このうち第2海堡は2019年から入島が許可されたそうです。こっそり船をチャーターして不法侵入する訳ではありません、ローソントラベルで申し込んで下さい。
ただ今回よくわかったのが、東京湾の湾奥はともかく、湾の入口付近は風も波もけっこうあるんだという事です。船が着岸できて上陸できる率は60数%だそうで、着岸できない場合は島を2周して帰っていくそうです。関西から来てインポッシブルなら😭のじぃさん・ハントになる所でした。
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第2海保に上陸
上陸に成功\(^o^)/、船長に感謝m(_ _)m
第2海堡は明治22年から25年の歳月をかけて大正3年にやっと完成したものの、関東大震災の大きな被害を受け、たった9年で使命を終えることになります。
ただし人工島の礎となる部分、日本の伝統的技術でつくられた間知石は震災の揺れにも耐え抜いたそうで、この優れた築造技術は戦後アメリカに情報提供を求められたそうです。
石の上にも25年、明治の人は我慢と粘りが強みです。ただ明治生まれの祖母を思い出すと、自分の損得と行動の目的は度外視して、結果の良し悪しは結局運まかせみたいな所があったと思います。はたして第2海堡は運が悪かっただけなのか?🤔
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船着き場沖のブロック積みは、日本で最初の防波堤だそうです。
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第2海保は、への字型の中央に口径27㎝カノン砲2門、右翼に15㎝カノン砲6門と27㎝カノン砲2門、左翼に27㎝カノン砲2門を配置します。
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口径27㎝カノン砲(中央砲塔)
まずへの字中央の口径27㎝カノン砲(砲塔)です。このシリーズで砲塔ははじめて出てきましたが、砲身が2門付いている戦艦の大砲を思い浮かべてください。
実際、使わなくなった戦艦の大砲を地中に埋め込む場合が多いです。でも埋め込むというより、組み立て直すと言った方が正確か?
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中央砲塔横に観測台があります。ただし中央砲塔は震災で斜めに傾いて使えなくなりましたが、この観測台は水平を保っているので震災後に建てられたようです(映えるけども…)。周辺のコンクリート構造物も明治でないかもしれません。
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口径15㎝カノン砲(砲塔)
次は右翼の口径15㎝カノン砲の砲座へ向かいます。これも2門が付いた砲塔で、⑦左の写真が当時の状況です。
現在の灯台は砲座(⑤−2)の上に建てられています。
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砲座の右側にコンクリート構造物がありますが、砲床に少しはみだしてるのでこれも15㎝カノン砲を使わなくなった震災後のものかもしれません。
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右側に小型の砲か何かを設置したアンカーボルトが残っています。
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15㎝カノン砲砲座前面は円錐形のコンクリート台になっています。冒頭写真も御覧ください。
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口径27㎝カノン砲(隠顕砲)
15㎝カノン砲2門✕3砲座の奥に、27㎝カノン砲(隠顕砲)2門を配置します。隠顕砲もはじめてですが、普段は砲座の下に隠れていて、砲撃時に上に出す昇降式の大砲です。
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震災の影響なのか無茶苦茶に壊れていて、元の形が良くわかりません。また隠顕砲のわかりやすい写真や図があれば付け加えます。
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地下掩蔽部
への字右翼の地下には掩蔽部があります。
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地下施設は立ち入り禁止です。横から掩蔽部の入口のみ。
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普段はあまり入りたくない掩蔽部ですが、立ち入り禁止だと入ってみたくなりますね。
レンガ積み、長か半か、?
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このイギリス積みは変に凝ったやり方をしてると思います。レンガ積みで一番やったらアカンのはレンガ間のモルタルの縦目が揃う事です。そこが縦に剥がれやすくなるからです。イギリス積みは強くてしかもレンガを割らなくていい合理的が取り柄ですが、明治の人は強くてもなんか合理的でない気がするネ🤔昭和でスンマセンm(_ _)m
東京湾要塞がしばらく続きます。
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