クレデンザ1926×78rpmの邂逅 #99~H.v.カラヤン、人生初のレコーディング モーツァルト『魔笛』序曲 1938.12.9
カラヤン、作曲家最後のオペラ作品レコーディング
今思えば、ヘルベルト・フォン・カラヤン(Herbert von Karajan, , 1908年4月5日 - 1989年7月16日)の指揮者人生がもうそれほど多くは残っていなかったのだ、と思う1980年代初頭、彼は偉大なオペラ作曲家の(実質)生涯最後の作品を立て続けに取り上げ、録音していた。
『魔笛』(モーツァルト)、『パルジファル』(ワーグナー)、『ファルスタッフ』(ヴェルディ)、『トゥーランドット』(プッチーニ)・・・。
そしてオペラではないがマーラーの『交響曲第9番』も。
これは恐らく偶然ではなく、必然、意図されて行われたプロジェクトと見るのが自然だろう。その後、ベルリン・フィルとの決裂とウィーン・フィルへの接近が世間を騒がす頃には、もうカラヤンにはこれら、その作曲家の掉尾を飾る重要作を録音する体力も気力も無かったであろう。そういう意味ではカラヤン自身、そして彼を取り巻くマネージメント、レコード・プロデューサーの判断は正しかったと言える。カラヤン芸術、最高峰の峰々を見上げる感だ。
その中のひとつ、モーツァルトの『魔笛』のLPがリリースされた時、1938年12月9日、カラヤンがベルリン国立歌劇場管弦楽団(シュターツカペレ・ベルリン)と録音した『魔笛』序曲の78rpm(SP盤)の復刻盤が初回限定特典盤として供されていたように思う。
私はその時、懐具合と相談してこの『魔笛』のセットを購入しなかったが、その後、カラヤンが戦前ベルリンやアムステルダムで録音した78rpmの音源がLPやCDで復刻され、この序曲も含まれていた。
この『魔笛』序曲こそ、その後「レコード音楽産業」という巨大なマーケットのトップに君臨することになるヘルベルト・フォン・カラヤン、人生初レコーディング盤である。
1938年、「奇跡のカラヤン」
「奇跡のカラヤン」という言葉がある。
これは1938年10月21日、前年9月のデビュー以来2回目となるベルリン国立歌劇場への客演で、カラヤンが取り上げたワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』公演の新聞批評(「ベルリナー・ツァイトゥンク・アム・ミターク」紙のE.v.d.ニュルの手になる)の見出しに掲げられた言葉、というのは有名なエピソードだ。
これによりそれまでドイツの一若手有望指揮者だった30歳の青年が、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーが支配していたベルリンの聴衆の関心を集め、本人はまだそれほどの危機感はなかったが、フルトヴェングラーの指揮者人生に脅威を与える存在になったことを意味する。ニュルは「30歳の男が50代の偉人たちも羨むようなことをやってのけた」とカラヤンを持ち上げた。これに52歳のフルトヴァングラーは激怒したという。
本当にカラヤンの実力がそこまでのものだったのか?については疑問を差し込む余地がある、という人もいる。
前に指揮者レオ・ブレッヒについてこの「note」に綴った時にも触れたが、当時ベルリン国立歌劇場を管轄していた組織のトップはナチスNo.2のヘルマン・ゲーリングで、一方のベルリン・フィルハーモニーはプロパガンダの天才であり、ゲーリングとは犬猿の仲であったヨーゼフ・ゲッペルスが実権を握っていた。
つまり「フルトヴェングラーvsカラヤン」という構図は「ゲッペルスvsゲーリング」の音楽を用いたプロパガンダの主導権代理戦争ということも出来た。「カラヤンの奇跡」と掲げられた新聞記事もゲーリングの意図が練り込まれた文章だった、ということも十分あり得る。
しかし事実がどうであれ、カラヤンは一気にベルリンに欠くべからずな指揮者となった。既に38年4月にはフルトヴェングラーのベルリン・フィルハーモニーの演奏会に初登場もしていた。
そして、『トリスタンとイゾルデ』以外にもベートーヴェンの『フィデリオ』、そして『魔笛』と、カラヤンからすれば「鉄板レパートリー」で、その実力のほどを広く流布することに成功したのである。
【ターンテーブル動画】
こうした時代背景や「政治と音楽」「ナチスと音楽」というキーワードがあるから、そしてそれが世界で最もたくさんの音盤をリリースしたアーティストであるカラヤンのデビュー盤だから、という点で、この『魔笛』の価値が高まっているのでは決してない。
ここに聴かれるカラヤンの音楽には、間違いなくフルトヴェングラーの音楽にはない颯爽とした歩みがある。肉体的な躍動感がある。
それはカラヤンがフルトヴェングラーへの畏敬の念とは異なり、一音楽ファンとしてアルトゥーロ・トスカニーニを理想としていたことにも関連しているかもしれない。
仮にブラインドでこの78rpmを聴いても、多くの人がその音楽の強さ、しなやかさ、明確な意思を感じることだろう。
幸い手元にある78rpmのコンディションはすこぶる良い。
1938年、生まれたての音楽の感動を是非。
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