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クレデンザ1926×78rpmの邂逅 #79〜エリーザベト・ヘンゲン ワーグナー『ヴェーゼンドンク歌曲集』より(1946-48)

神田神保町

先週末、プライヴェートな用事と2つのコンサート(ライブ)を観に聴きに1泊2日で上京した。あいにくの雨模様ではあったが、用事もコンサートも順調に、そして満足のいく時間を過ごすことができ、至高とはまさにこのこと。
何やかんやで東京の町で一番訪れることの多い神田神保町界隈で、古本屋、中古レコード屋、珈琲屋で時間を潰しながら、自分の中に何かが充填されていくような感覚は、この町に初めてやってきた40年以上も前の頃と全く変わらない(今や"古本の街”としてより”カレーの街”となった神保町だが、ぶっちゃけ「ボンディ」「エチオピア・カリー」以外でカレーを食べた経験がないような・・・)。

78rpm(SP盤)のことを少しでも知っている方にとって、神保町は「富士レコード社」がある街として外せない所。日本で最大の在庫数を誇り、歴史もあるこの店にも、買う買わないは別として足が自然と向く。
ここ10年程度で78rpmを購入する最大のプラットホームが「ヤフオク!」、そして「Discogs」「eBay」になった感が強く、富士レコード社で売っている78rpmが、これらのサイトで1/5、1/10の価格で買える(落札できる)ケースも実際に数えきれないくらいある。言わば78rpmの価格破壊が起こっていて、1stチョイスが富士レコード社、そして姉妹店のレコード社本店ではなくなっているのは事実。
しかし、やはりイ―コマースだけでは拾いきれない78rpmがあることも確かで、多少値段が張っても「恐らく今後ネットには出てこず、ここでしか手に入れられないだろう」と勘が働くものは、潔く富士レコード社で買う、という場合もある。
今回はそんな判断で購入した78rpmを。

以前「note」でエリーザベト・ヘンゲンシューマン『女の愛と生涯』を取り上げたことがあった。当時は我が家にクレデンザはなかったので、この78rpm(長時間録音盤)を、電気的に再生した【ターンテーブル動画】をアップしたことがある。

また、「note」では取り上げていないが、私が彼女の存在そのものに惹かれるきっかけとなったバッハカンタータ『満ち足れる安らい、嬉しき魂の悦びよ』BWV170(指揮はフリッツ・レーマン」の古いLPの【ターンテーブル動画】をアップもしている。

ズバリ「一番好きなアルト(コントラルト)を挙げよ」と問われれば、何の躊躇いもなく「それはエリーザベト・ヘンゲン」と答える。

エリーザベト・ヘンゲン

このBWV170 がレコーディングされたのと同年の1951年夏7月29日バイロイト音楽祭の戦後再開を記念して、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーが歴史的名演、ベートーヴェン「交響曲第9番 ニ短調 作品125『合唱』」を残したことはクラシック・ファンならよくご存じのことだろう。

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この音盤でのアルト独唱、それがヘンゲンだ。

更にヘルベルト・フォン・カラヤンの戦後復帰の最初のプロジェクト、EMIのプロデューサー、ウォルター・レッグと組んで行ったウィーン・フィルハーモニ―との録音シリーズにおいて、ベートーヴェンの『第9』を録音しているが、そのアルト独唱もヘンゲンが務めている。

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ということからも分かるように、ヘンゲンは当時のウィーンを代表するコントラルト、つまりウィーン国立歌劇場トップ・アルトであった。

『女の愛と生涯』の記事と重複するところがあるかもしれないが、ヘンゲンのプロフィールを。

エリザベート・ヘンゲン(Elisabeth Höngen 7 December 1906 – 7 August 1997)は少女時代はヴァイオリンを学んでいたが、ベルリン音楽大学でドイツ語と音楽科学を学ぶのと同時に声楽を学び、歌手になることを決意。
1933年にヴッパータールでデビューし、1935年から40年まではデュッセルドルフ、そして 1940年、彼女はドレスデン・シュターツカペレ、そして1943年にはウィーン国立歌劇場のメンバーにまで登り上り詰めた。
終戦後はミラノ・スカラ座、ロンドン・コヴェントガーデン、ブエノスアイレスのコロン劇場、アムステルダム、チューリッヒ、ベルリン、ミュンヘンの各オペラハウスでも活躍、1951から52年のシーズンは、ニューヨーク・メトロポリタン・オペラに出演している。

1957年、ヘンゲンはウィーン音楽アカデミーの教授に任命され後進の指導にあたり、1971年までウィーン国立歌劇場に出演し、ウィーンだけで44の役を演じたという。
得意とした役柄は、R.シュトラウス『エレクトラ』のクリュテムネストラ、同じく『サロメ』のヘロディアス、『カプリッチョ』のクレロン、ワーグナー『ローエングリン』のオルトルート、同じく『ワルキューレ』のフリッカ、『神々の黄昏』のヴァルトラウテ、モーツァルト『フィガロの結婚』のマルチェリーナ、フンパーティンク『ヘンゼルとグレーテル』のお菓子の魔女、独墺系以外の作品でもヴェルディ『アイーダ』のアムネリス、サン=サーンス『サムソンとデリラ』のタイトル役などがある。
最後のオペラ出演は1971年、ウィーン・フォルクスオーパーでのプッチーニ『修道女アンジェリカ』の侯爵夫人だったという。65歳の時だ。

アルト(メゾ・ソプラノではなく)が主役を務めるオペラは『サムソンとデリラ』ぐらいだけなので、表舞台に出ることは多くはないが、彼女の役柄、出演したオペラハウスの名前を見れば、彼女の偉大さはよく分かろうというもの。

E.ヘンゲンの78rpm

しかし、その割には彼女の魅力を全面的に、主役的に伝える音盤は決して多くなく、市場に出回ることも少ない。

私の手元にはカラヤンの「第9」を除けば、以前から以下の78rpmがある。

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シューマン『トランプ占いをする女』/ヴォルフ『ただ憧れを知る人だけが』(10inch)

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イルムガルト・ゼーフリートやハンス・ホッターと共演したブラームス『愛の歌 ワルツ集』(12inch 4枚組)

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キルステン・フラグスタッド(イゾルデ)と共演し、ブランジァンを歌ったワーグナー『トリスタンとイゾルデ』の一部(12inch 2枚組)

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先に挙げたシューマン『女の愛と生涯』(12inch VARIABLE GRADE 2枚組)ピアノはフェルナンド・ライトナー

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ライトナーが指揮したベルリン・フィルをバックに歌うブラームス『アルト・ラプソディ』(12inch VARIABLE GRADE)

以上である。このうち最初の3つ(EMI盤)は「ヤフオク!」で安価に手に入れた。
『女の愛と生涯』は富士レコード社で。
そして『アルト・ラプソディ』は”西の雄”大阪・梅田のストレイト・レコードで手に入れた。
この2セットをイ―コマースで手に入れるのは至難の業だと思ったのと、専門店での販売ながら、驚くほどの値段ではなかったから、というのが購入に至った理由。

【ターンテーブル動画】

そして先週の土曜日、富士レコード社で以前から売られていたワーグナー『ヴェーゼンドンク歌曲集』の一部、第1曲の『天使 Der Engel』第2曲の『とまれ Stehe still!』が収められた12inchを手に入れた。
ヘンゲンのこの曲集は全5曲録音されているので、今回手に入れることができた1枚は、その意味では「半端物」だ。ただし、全5曲を「揃え」で手に入れることは現実的にはあり得ないような気がした。そして「ここは手に入れておくべき」と天からの啓示があり、購入したというわけだ。
『ヴェーゼンドンク歌曲集』はLP時代には、それこそブラームスの『アルト・ラプソディ』やR.シュトラウス『最後の4つの歌』などとカップリングされリリースされることが多くなった、いわばアルトのためのマスターピーズ。
ワーグナーの不倫相手だったヴェーゼンドンク夫人の詩に、『トリスタンとイゾルデ』執筆中のワーグナーが曲をつけた濃密な歌たちだ。

ヘンゲンの歌は、この曲集が持つ官能性を前面に出すというより、女の強く、そして儚い情念を紺色の色調で紡ぎ出す、といった風合い。

威厳とたおやかさを感じさせる歌だ。


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