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凄いぞ!カーチュン・ウォン

6月10日、日本センチュリー交響楽団の定期演奏会を大阪・ザ・シンフォニーホールへ聴きに行った。

ハイドンマラソンが縁で

私はこのオーケストラが首席指揮者の飯森範親の下、ハイドンの全104曲の交響曲を演奏し、そして録音するという「ハイドンマラソン」の定期会員で、年に4回ほどこのシリーズを聴きに行っている。
その過程でこのオーケストラのメンバー各人の自主的な表現意欲と協調性、特に木管楽器奏者の妙技が素晴らしいことに気づかされ、「マラソン」以外にもその演奏会を聴きに行く機会が多くなった。ハイドンを継続的に演奏することで、明らかにこのオーケストラのアンサンブル能力がより精緻となったと思われ、それは意図的なものか否かは別として、「マラソン」のもたらした大きな副産物だ。

第256回定期演奏会

そんな日本センチュリーの6月の第256回定演は、ジョセフ・ウォルフが客演指揮者として登場することになっていた。
この名前ではピンとこないが、ウォルフは故サー・コリン・デイヴィスの子息であり、父と同じく指揮者となった人だ。私はサー・コリンのハイドンやモーツァルト、ブラームスなどに親しんできて、ドイツ人よりもドイツ音楽の何たるかを熟知しているこのイギリス人指揮者が好きだった。
よって、その血を受け継いでいるであろうウォルフの音楽を、聴いてみたいと思ったのだ。
しかも、ソリストに新日本フィルの首席でセンチュリーの客演首席ホルン奏者でもある日高剛を迎え、リヒャルト・シュトラウスの『ホルン協奏曲第2番』が演奏されることにもなっていた。恐らく現在日本で最高のホルン奏者である彼の妙技が堪能できると思ったら、演奏会への期待はさらに高まった。
プログラムは他にモーツァルトの『交響曲第31番”パリ”』とブラームスの『交響曲第4番』。プログラムの並びも素晴らしい。

これは余談だが、1978年にヘルベルト・ブロムシュテットドレスデン・シュターツカペレが来日公演を行った際、モーツァルトとシュトラウスは全く同じ、ブラームスが第4番でなく、第2番というプログラムがあった。
もちろんホルン独奏はペーター・ダム!  

ところがである。
コロナの影響でウォルフが来日できなくなり、カーチュン・ウォンが代演、プログラムもモーツァルトがシューベルトの『未完成」に変更されるという発表が、5月25日にあった。
さらに31日には大阪府の要請により、コンサートを21時までに終えなくてはいけなくなり、『未完成』がプログラムから省かれる旨の発表が続いた。

「カーチュン・ウォン?」

この時点では彼のことは全く知らず、どうせなら知らぬまま当日を迎え、お手並み拝見、というのも悪くないかと思い、その名前からアジア系の人であろうことを想像しつつ、一切の情報をシャットアウトした。

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当日ザ・シンフォニー・ホールに到着し、プログラムを見て初めてカーチュン・ウォン(Kahchun Wong)という指揮者がどんなプロフィールを持つ人なのかが分かってきた。

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●シンガポール出身であること
●故クルト・マズアのお弟子であること
●2016 年 グスタフ・マーラー国際指揮者コンクール優勝者であること
●グスターボ・ドゥダメルの下、ロスアンジェルス・フィルでアシスタント・コンダクターを務めていたこと
●現在はニュルンベルク交響楽団首席指揮者であること

 このうち、私的にこの若い(30代半ば)の指揮者の「気になりポイント」は「マズアの弟子」という点だった。

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マズアは好きな指揮者の一人である。40年前も昔に地元で行われたライツィヒ・ゲヴァントハウスの来日公演を聴きにきに行ったこともある。その時、現在ほど会場関係者入口のセキュリティーがしっかりしていなかったこともあり、高校生の私はマズアの楽屋に容易くたどり着き、プログラムにサインをもらい、握手もさせてもらった。
マズアと言うと、どうしても東西ドイツ再統一のきっかけともなったライプィヒの市民運動の象徴的存在、という点に興味が集まりがちだ。
さらにステレオタイプに「ドイツ音楽の伝統を頑なに守る職人」的な表現も見かけるが、それもほぼ的を得ていないことも含めて、理解が進んでいない指揮者だと思う。
ニューヨーク・フィルロンドン・フィルフランス国立管弦楽団のシェフを務めていたことからしても、決してマズアは「ドイツ音楽の権化」ではなかった。十八番のメンデルスゾーンやシューマンでさえ、イメージするような頑強な音楽、というより、しなやかな感性が光るナイーブな心の声を聴かせるようなものだった。
ゲヴァントハウスを指揮して録音した2回目の「ベートーヴェン交響曲全集」は、新原典版を使った率直な音楽で、恐らく21世紀に入ってブロムシュテットが同じくゲヴァントハウスを指揮して録音する以前の全集としては、その存在価値は別格だったようにも思う。

そんなマズアが、ウォンに限らず弟子にどのように指揮法を伝授したのか?とても興味があった。因みにマズアの子息、ケン=デイヴィッド・マズアも指揮者であり、父の教えを受けている。

開演

そんなことを思いつつ、1曲目のR.シュトラウスの『ホルン協奏曲第2番』を聴く。日高氏の完璧にコントロールされたテクニックにより生み出される滑らかで躍動するホルンの音色。
晩年、困窮の中にあったモーツァルトの音楽がそうであったように、澄み切った空のような清新さ溢れる音楽を作っていた晩年のシュトラウスの名曲を堪能した。まるで自分が今いる場所は天国かと錯覚するような音楽だった。
ここでのウォンはオーケストラのコントロールに徹し、シュトラウス晩年の不純物のない音楽を日高氏のソロに添えつつ、時折訪れるフォルテ、フォルテッシモのところではオーケストラの力強さも引き出していたように思う。
何より思ったのは音楽そのものよりも、ウォンの指揮動作だった。特徴的なのは時折体を客席から見て、逆「く」の字になるように曲げる(腰を右側に突き出す)こと、そして腕を前に突き出すような形で打点をしっかりと示し、アンサンブルの精度を高めているように思えたことだった。

ブラームス『交響曲第4番 ホ短調 作品98』

休憩を挟んでいよいよブラームスの『交響曲第4番』。
シュトラウスの時は指揮棒を持っていなかったウォンだが、ここでは指揮棒を構えた。
第一楽章Allegro non troppo。
よくこの楽章で出だし、アウフタクトで始まるヴァイオリンの旋律を「ため息が出るような」といった言葉で表現し、その代表例がブルーノ・ワルターの哀愁とロマンをたたえた演奏、といった話を聞く。まさにこの曲の流布されたイメージ「諦観」「懐古(回顧)」の象徴的部分である。
ウォンの指揮はそういったイメージに完全に寄りかかるものではなく、大きくテンポが揺れ動くようなものではなかったが、それ以前に何よりテンポが我々がイメージするものとは大きくかけ離れ、遅かった。音楽がフォルムを保てるギリギリのテンポというものがあれば、まさにその限界点だったように思う。
しかし、それは例えばS.チェリビダッケや晩年のC.M.ジュリーニがウィーン・フィルと録音した演奏のように、生理的感覚を超えた=フォルムが崩れ、だらしなく聴こえてしまう、というものではなかった。正確に測ったわけではないので感覚上での話だが、物理的なテンポはこの二人の巨匠のそれとほとんど変わらなかったのではないか?しかし、ダラダラした音楽ではなく、明確なフォルムをウォンは示していた。

打点をはっきり示すという点はシュトラウスと変わりなかったが、それに加え印象的だったのは「音を空間に放つ」という言葉で表現したくなるような指揮動作で、実際にステージ上方、そしてコンサートホール全体に音がポーンと投げられ、それが拡がっていく、という感覚をオーケストラから引き出していたことだった。
そういう場面でウォンは両腕を上に向かって投げ出す仕草をしていた。それは力を籠めずに、野球選手が肩慣らしで遠投をするような力加減で行われていた。その視覚的効果も相まって、ブラームスが緻密に作り上げ、彼の音楽のすべてが凝縮(結晶)されたようなこの音楽を、まさに解きほぐして放つ、といった趣きだった。

このテンポでフォルムを崩さず、しかも音が解放されるという感覚、これは面白い演奏では?と思い始め、より一層オーケストラの音とウォンの指揮姿を注意深く聴き、見つめることになった。

第2楽章Andante moderatoも第一楽章同様、ギリギリのテンポで進めていく。そもそもが緩徐楽章であるので、遅いテンポでそれが演奏されれば、当然オーケストラの各パートの音がより明確に立ち現れる。
そう思って聴いていると、ウォンの指揮は主旋律だけでなく、普通だったら陰に隠れてしまいそうな他の楽器が奏するリズムやハーモニーを、時折持ち上げてみたり、アクセントに用いたりしながら、オーケストレーションの巧妙さを明るみにする、といった意図があるようにも感じてきた。
事実、そういう場面になるとウォンは主旋律を演奏するパートの方ではなく、陰の主役の方に向かって明確に指示を出す。

私の経験上、それは何となくロリン・マゼールがクリーヴランド管弦楽団と入れたブラームスの交響曲全集、特にその第4番を想起させた。

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マゼールという指揮者の最大の凄さは「多眼的」ということだとずっと思っていた。彼は楽譜に書かれているすべての音符は、すべてその曲に絶対的に必要、と言わんばかりにそれを引き出し、そうする目的で2本の腕を、まるでそうではなくもっとあるように使って指揮をする。多元的な指揮、とでも言おうか。
それを作為的、恣意的と見て、彼を評価しない音楽ファンが、結構、特に日本には多かったように思う。

ウォンの音楽はマゼールのそれと同じ方向を向いているように思えた。

第3楽章Allegro giocosoは元々雄々しい音楽だが、ウォンもここではあまり細工はせず、テンポも標準的なもののように思えた。しかし、相変わらず音は放たれている。

第4楽章 Allegro energico e passionato。恐らくこの曲の白眉であり、ブラームスの碩学ぶり、バロックから古典を経てロマン派の音楽が成熟=行きつくところまでいきついた音楽の姿を感動的に示すこの最終楽章。一種の変奏曲形式であるパッサカリアという古い音楽形式を用いて、音が積み上げられ、変化していく音楽。
ウォンの多眼的音楽の描き方は、まさにこの第4楽章にはうってつけのもの、彼の指揮者としての美徳を分かり易く多くの人に伝えることができる音楽のように思った。
そして、コーダでその緊張感は高みに達し、やはりウォンは両腕を天に差し出すように上げて、最後の一音を空間に解き放った。

惜しむらくは、ウォンがその腕を下げる前に、フライングで拍手が起こり、解き放たれた音の余韻はかき消されたことか・・・。

若さー深み

いやはや、これは凄い発見をしてしまったものだ。
若い世代の指揮者には、こちらの想像を超えて、そのキャリアに似合わない音楽の深みを聴かせてくれる人が多い。ウォンはまさにその一人だ。

「マズアのお弟子」という文脈で彼を語ることは違う、とも思った。
身振りが最小限であっても、オーケストラから強靭な音を引き出すフリッツ・ライナーの弟子が、指揮台で飛び上がることは当たり前、汗をいっぱいかきながら音楽を作っていくレナード・バーンスタインである、ということと同じだろうか?
素晴らしい師から素晴らしい、しかし異なった音楽を作る弟子が登場する、というのが、まさに「指揮」という生業の面白さ、興味深さだ。

また、そのテンポ設定でのフォルムの在り方をしっかりと提示する、という点では、こちらも注目しているレミー・バローという指揮者とウォンには類似点が多いように思った。

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チェリビダッケの弟子であり、その音楽を継承、ザンクト・フローリアン教会というとてつもない残響を持つ会場で、ゆったりとしたテンポでブルックナーを演奏しても、師のように音楽が停滞することなく推進されていくバローの音楽。

若さと深みの共生。そしてこちらが想像だにしない新しい音楽の提示。
ただ20世紀の名演奏、巨匠の音楽に浸っていてはいけない。





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