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クレデンザ1926×78rpの邂逅 #56~エリーザベト・シューマン『シューベルト歌曲集』

このノートではたびたび20世紀を代表するソプラノ歌手、ロッテ・レーマンについて触れてきた。例えば最も新しい記事はこちら。

二人のソプラノ、ロッテ・レーマンとエリーザベト・シューマン

ロッテ・レーマンに触れる時、エリーザベト・シューマン(Elisabeth Schumann, 1888年6月13日 - 1952年4月23日 ニューヨーク)というレーマンと同い年(85年生説もあり)で、しかもウィーンやベルリンで活躍しアメリカへ移住した、という似たようなプロフィールを持つソプラノ歌手の名を挙げることが多かった。
そして、レーマンとシューマンは同じ舞台でオペラに出演し、リートのフィールでもドイツ・リートの王道のレパートリーを共に持ち、そして二人は何より親友であった
共にウィーンでの活動(ベルリンもそれに次ぐ)が多かったので、二人に共通の音楽家仲間は多い。例えば、リヒャルト・シュトラウス、そしてブルーノ・ヴァルター・・・。

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同じソプラノであってもレーマンとシューマンはその声質がやや異なり、結果的にオペラで演じる役柄にも違いがあった(同時に重なる部分もあったが)。
結果的にこれは当時の、そして直接彼女たちのステージに触れたことがない現代人にとっても天の恩恵となるのだ。
レーマンはソプラノ・リリコからスピント、シューマンは一番軽いソプラノ・レッジェーロからリリコの声質。
具体的な例を出せば、モーツァルトの『フィガロの結婚』であれば、レーマンが伯爵夫人で、シューマンはスザンヌ『コジ・ファン・トゥッテ』はレーマンがフィオルディリージ、シューマンがデスピーナ、R.シュトラウスの『ばらの騎士』ならばレーマンは元帥婦人で、シューマンはゾフィー、ということになる。実際に二人が共演した『ばらの騎士』(抜粋)の78rpm、LPがリリースされている。

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エリーザベト・シューマン

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シューマンは1909年にハンブルク州立歌劇場でデビューした。
1912年には『フィガロの結婚』のケルビーノ、そしてその後はスザンヌで旋風を巻き起こし、第一次世界大戦が勃発するまではニューヨーク・メトロポリタン・オペラ、1919年からはウィーン国立歌劇場、20年代、30年代はザルツブルク音楽祭の常連、中心人物になった。
そのオペラ・レパートリーは有名無名の作品に限らず、80役以上に及んでいる。

1938年、ナチス・ドイツがオーストリアを併合(アンシュルス)すると、シューマンはイギリス、アメリカと渡り、1944年にはアメリカの市民権を得た。フィラデルフィアのカーティス音楽院で教える一方、リサイタルも開催し、第ニ次世界大戦後はヨーロッパも再訪し、特にイギリスで成功を収めた。
しかし、イギリスに移住しようと思っていた矢先の1952年4月23日に亡くなった。63歳だった。

恋多きソプラノ

20世紀に活躍した女性歌手たちのプロフィールを見ると、結婚、離婚を繰り返している人が多いことに気が付く。オペラ歌手すべてが自らが出演するオペラの役と同じように恋多き女性だとは限らないし、「好き嫌い」ではなく、例えば自分、そして相手がユダヤ人であるがために、ナチス・ドイツから逃れるために別れざるを得なかったという不可抗力な事情も多々ある。

シューマンは恋多きソプラノ歌手の中でも特筆に値する人生を歩んでいる。
最初の結婚相手は建築家ヴァルター・プリッツ。
1919年には彼女のピアノ伴奏者としても知られる指揮者、作曲家でもあったカール・アルヴィンと2度目の結婚。
1932年には医師のハンス・クリューガーと恋愛関係になり、翌33年にはアルヴィンと離婚。
1938年にユダヤ系だったクリューガーと共にイギリスへ行き、結婚。
そのクリューガーとも1944年に離婚している。
3回の結婚-離婚を繰り返した3」。

オットー・クレンペラーと結ばれた赤い糸

そして、これは有名な話だが、彼女が最初の大きなキャリアを築いたハンブルク時代、晩年の満身創痍な佇まいとは大きく異なり、精悍で男性的魅力を放ち、音楽界でもモードの最先端を走っていた指揮者、オットー・クレンペラーと深い関係となり、2回の駆け落ちまでしている。

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それが最初の夫プリッツとの離婚原因にもなった。

ロッテ・レーマンはその回想録で、シューマンに死が迫っていた1952年4月、シューマンを見舞った際、その場でクレンペラーに電話をかけ、シューマンとクレンペラーの間で最後の会話が交わされた、と綴っている。
シューマンは電話を終えた後、レーマンにこう言ったという。

「この人が私の人生の中で、赤い糸によって結ばれたその人だった。」

【ターンテーブル動画】

先に記したようにエリザベス・シューマンはオペラのみならず、ロッテ・レーマンと並び、当時のドイツ・リートの最高の解釈者、歌い手であった。78rpmも数多く残されており、現代ではCDや配信でそのほとんどを楽しむことができる。
今回はそんな中、彼女が最も多く録音したと思われるシューベルトのリートを何曲かまとめてクレデンザ蓄音機で再生した動画をお届けしたいと思う。
レーマンよりも少し軽い、可憐な花を思わせるようなチャーミングな歌声。
今の季節にぴったりのまさにリリックな歌声である。

まずは、1927年11月14日の録音、ピアノはその2番目の夫、カール・アーヴィンで、『郵便馬車』(『冬の旅』D.911より)『どこへ?』(『美しい水車小屋の娘』D.795より)『夕映えの中で』D.799『鳥たち』D.691の4曲。

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1933年11月19日の録音で『ナイチンゲールに寄す』D.497『千変万化する恋人』D.558。ピアノはジョージ・リーヴス。

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3枚目は日本ビクター盤。

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1936年9月7日の録音で『水の上で歌う』D.774『泉のほとりの若者』D.300『秘めごと』D.719。ピアノはエリーザベト・コールマン。

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最後は1938年1月1日の録音で、『夜咲きすみれ』D.752『恋人に』D.303。ピアノはレオ・ロザネク。

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11曲をお楽しみください。


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