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1980年代終盤から1990年代初頭の女性アイドル・ポップスの完成度 #5~ribbon

「note」では、主にニッチなクラシック音楽や古い音盤について綴っているが、昨年夏頃から「1980年代終盤から1990年代初頭の女性アイドル・ポップス」という、私のアナザー・サイドのテリトリーについて記事を綴っている。
理由はともかく、こちらの想像を遥かに超え、ご笑読いただいているようで、当の本人はびっくりしているのだが・・・。

お正月休みを利用して、だいぶサボっていたこのシリーズの第5弾をお届けしようと思う。

テーマは「ribbon」だ。

このシリーズで扱っているアイドル・ポップス、そしてアーティストは、所謂「アイドル冬の時代」に登場しては消えていった音楽、そしてアーティストだ。
何度も言っているように、この時代の女性アイドル・ポップスは実は音楽の完成度が高く、手が凝っている。もっと下世話に言えばお金とプロの才能ががたくさん投下されて作られている。
ではそんなにお金がかけられ、完成度が高い作品が生み出されたはずなのに、何故売れなかったのか?については第4回の記事に綴った。

個人的にはこれまでの記事で一番読んでいただきたいのはこの回なのだが、「💗」の数は一番少ない。どうしたものか・・・。

さて、これも既述したことだが、その「アイドル冬の時代」にソロ・アーティスト(このシリーズで、それは南野陽子、中山美穂、酒井法子、工藤静香、浅香唯の5名を指すとご理解いただきたい)を除いたグループ/ユニットで世間的認知を得た数少ない例外が、乙女塾出身のCoCo、ribbon、そして東京パフォーマンスドールだ。

ribbonは永作博美松野有里巳佐藤愛子の3人組。
乙女塾の一期生、三期生(佐藤)であった彼女たちは、1989年12月6日にシングル『リトル☆デイト』でデビューした。
3人ともビジュアル、一定以上の歌唱力が備わって、しかもキャラ立ちがよかったので、万能型アイドルといった存在だった。コントなどにも違和感なくその存在感を発揮していた。
中でも永作博美はそのベイビーフェイスと、それに似つかわしくない発言力や演技力が注目され、ribbon解散後女優としてその才能が開花したのはご承知の通りである。
第3回のLip'sの稿の最後に付記したが、同じく解散後、やはり女優として開花したLip'sの加藤貴子と永作は生年月日が全く同じ(1970年10月14日)である。

ベイビーフェイスであることも共通している二人だが、何という巡り合わせか・・・。

私は当時、ラジオ局でこの時代には珍しかったアイドル・ポップス専門の週1回2時間の音楽バラエティ番組を制作していたので、当時女性アイドルと言われた人たちには有名/無名を問わず、大体実際にお会いしたことがある。
ただ、実はribbonには一度もお会いしたことはないし、正直当時ribbonの存在、その楽曲については、正面から向き合おうと思ったことがなかった。

何故か?

それはそのアイドル番組をLip’sと一緒に作っていて、残念ながら同じ3人組でも、世間的認知はribbonの足元にも及ばなかった彼女たちへの「義理」のような心情があって、ribbonに触れることを意識的に避けていたからだ。
LIP'sへの忖度・・・。

これが同じ3人組でも年齢が下で、事実Lip'sを慕っていたフシさえあるQlairだったら何の問題もなかったのだが・・・。

しかしその番組も終わり、改めてribbonの楽曲をいろいろな角度から眺めてみると、そこには3人組アイドル・ポップスの王道のようなものがあり、すべての点においてクオリティが一様に高いことに改めて気づかされた。

3人の個性はありながらも、ribbonとして表現する際は、誰か一人が前に出過ぎない。もちろん初期を除けば永作がセンターだったわけだが、かと言って松野と佐藤が霞むわけではない。絶妙なバランスが意識されていた。

ribbonのオリコン・シングル・ランキングでの最高位は1990年11月14日リリースの4thシングル『Virgin Snow』の8位だが、そのランキング以上に彼女たちの優秀性がはっきりと見て取れるのが、実は一作前、同年7月25日にリリースされた『あのコによろしく』だと言ったら、疑問を持たれるだろうか?
いや、恐らく今この議論に参加してくれる方がどれいるかが疑わしくはあるが、私のこの意見に同意していただける方は少なくないはずだ。

当時「『あのコによろしく』には2パターン(3パターン説もあり)の振り付けとパート分けがある」と言われていて、実際に現在試聴できるYouTube動画を見てもそれが確認できる。
しかもそれは別の時期にそれぞれ存在していたのではなく、同時進行でテレビなどで披露された。
振り付けはともかく、パート割りの違いは音を聴いていただけでは区別がつかないと言っていいくらい、どちらも自然で両方とも「あり」な状態だ。
これは他のグループ/ユニットではちょっと考えられないことで、まさにこういうことができてしまうのは、先ほどから言っているribbonのクオリティの高さ故と言っていいだろう。
もちろん、実験、試験的な試みであったのかもしれないが、AKB48のように「センターが卒業したから」とか「今日はたまたま本来のセンター不在だから」「今日の公演は選抜メンバーではないから」といった理由で、パート割りが変わってしまうのとはわけが違う。
「しようがない」だからではなく「両方とも必然」なのだ。

『あのコによろしく』は失恋ソングだ。
しかし、主人公の女の子の潔い、さっぱりとしたボーイッシュなキャラクターを表すかのように、コードはメジャーで振り付けもキレがいい。

当時我々業界人はアイドル・ポップスの二大レーベル、SONYPONY CANYONのそれぞれのイメージカラー、ブルーオレンジに重ね合わせて、それぞれから登場するアーティストも「ソニーは青、ポニキャンはオレンジっぽい」とこじつけていたりしたが、ribbonはまさにそのオレンジ色だ。


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