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クレデンザ1926×78rpmの邂逅 #89~フローレンス・オストラル HMV レコーディングス

フローレンス・オストラル

フローレンス・オストラル(Florence Austral, 1892年4月26日-1968年5月15日)というオーストラリア出身のソプラノ・ドラマティコについて日本語でリサーチしようとしても、あまり芳しい結果は得られない。
試しに英語で検索すれば、ウィキペディアにプロフィールは掲載されているが、同時代に活躍した著名なソプラノ歌手の記事の詳細さには大分劣る。
因みに画像検索に変えてみると、ヒットするのはオストラルが『ワルキューレ』ブリュンヒルデに扮した画像ばかりだ。

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オストラルは、年代的にはワーグナー・ソプラノとして一世を風靡したキルステン・フラグスタート(Kirsten Malfrid Flagstad, 1895年-1962年)の3歳年長に過ぎず、やはり時代を代表するワーグナー・ソプラノだった。
しかしウィーンベルリンメトロポリタン、そしてバイロイトといった当時のワーグナー上演の拠点には出演歴がなく、専らロンドンで活躍したことで、フラグスタートと較べて現代の知名度は低い、というのが実情だろう。
1919年、ニューヨークに向かったオストラルは、リサイタルでニューヨークの音楽ファンに感銘を与え、メトロポリタン・オペラから出演契約のオファーを受けたが、彼女はイギリスでの経験を得ることを優先しそのオファーを断り、メトロポリタ・オペラから二度とオファーが来ることはなかった、という。

1920年代、コヴェント・ガーデン・ロイヤル・オペラ、そしてイングリッシュ・ナショナル・オペラで活躍したオストラルは、HMVにも数多くの録音、それはちょうどアコースティック録音から電気録音への過渡期にあたる。
資料をあたればワーグナーを取り上げたものが多いが、市場でそのワーグナーにお目にかかることは残念ながら少ない。

【ターンテーブル動画】

今、手元にあるオストラルの78rpmは10inchの2枚。
1枚はオペラではなく通俗名曲2曲を取り上げたもの。
19世紀に活躍したアイルランド出身のオペラ作曲家、バルフェの歌曲『カラーニー』とアイルランド民謡として名高い『夏の名残のバラ』

名称未設定のデザイン

もう一枚はワーグナーとともにオストラルのレパートリーの中心を成したであろうヴェルディの歌劇『アイーダ』から『勝ちて帰れ』

名称未設定のデザイン (1)

余裕のあるトルクで、落ち着きをもって歌われるポピュラー・ソングと、エチオピアの王女としての気高さを。


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