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クレデンザ1926×78rpmの邂逅 #98〜”竹針で再生したい歌” チャールズ・ハケットのシューベルト

鉄針

蓄音機本体の機能にはボリューム・コントロールとトーン・コントロールがない(できない)。
ではその2つをどうコントロールするか?(そもそも「する必要があるか?」という意見もあるかもしれない)
その答えは「再生針」である。
最も多く使われてきた蓄音機用の針は鉄針だ。コントロールの観点から言えば、鉄針の「太さ」「長さ」「先端の形状(角度)」という3つのポイントがそれに影響する。
簡略に言えば、太くて短くて針先の尖り方が鈍ければ大きく、太い音になり、その逆ならば音は小さくなり、繊細になる。
好みの問題と蓄音機との相性や住環境に左右されるところが大きいので、正解はない。
因みに現在我が家にある鉄針を並べてみた。

名称未設定のデザイン (90)

上の理屈から言えば右から3番目が一番大きく、太い音が鳴る。逆にその左隣が一番小さく、繊細な音がする。太さと先端の角度が78rpmのグルーヴ(溝)にどう接地するか?によって変わるわけだ。
因みに我が家で普段使いしているのは一番左の針。これは日本が世界に誇るレコード針メーカー(ダイヤモンド研磨技術を用いてレコード針の分野に進出した)JICOが現在生産しているもの。耐用回数(時間)が昔の針と較べて数段多く、180本で2,000円ちょっと。購入もアマゾンで簡単にできるのでコスト・パフォーマンスがいいのと、ハイカーボンタイプで音質もよく、音量もそこそこなので、現代の蓄音機再生事情にはとてもマッチしている。

竹針

蓄音機による78rpm再生は鉄針によることが多いわけだが、それに対して竹針の存在も無視できない。特に日本では竹針の愛好者が他の国と較べれば多い。
鉄針と比較してその材質上音が柔らかで、音量も抑えられている。独奏曲や歌曲などの再生には竹針によって引き出される繊細な音が心地よい。

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ただし、ノイズも少ない代わりにダイナミックレンジも狭くなるので、大編成のオーケストラなどの再生にはあまり向かない。
また、グルーヴとの相性が鉄針以上にセンシティヴなのでレコードによってはしっかりと再生できないこともあるし、1面演奏が終われば先を専用のカッター(鋏)でカットして、新しい接地面を作ってあげないといけない。カットして行けば1本で複数回の使用が可能だが、1本単価は鉄針よりも高い。

名称未設定のデザイン (91)

竹針カッターも中古品でもそれなりの値段がするし、某有名蓄音機ショップオリジナルの鋏は、それがハイクオリティであったとしても38,000円というお値段はいかがなものか?

というわけで、我が家で竹針を使う、使いたい、使えるという機会は実はそんなに多くない。
プロセスとしては新しい78rpmを手にしたら、先ず鉄針で再生してみて、「これはもしや、竹針で再生したら・・・」と思ったら初めて竹針をサウンボックスに装着する。思いに反して溝との相性が良くないこともあるが、上手くはまればそれはもう夢心地な音質だ。

これまで【ターンテーブル動画】をアップしてきた中で、最も竹針再生が功を奏したと思われるものが、ソプラノのニノ・ヴァランが歌う『君は知るや南の国』(トマ作曲『ミニョン』より)だ。彼女のシルキーな歌声と、この曲の優しいメロディー、サウンドが見事に再生される。

相対的に言えば「人間の声」と竹針のマッチングには目を見張ることが多い。

チャールズ・ハケットのシューベルト

ニノ・ヴァランと同じく、あるいはそれ以上に竹針との相性がいい78rpmを最近手に入れた。
アメリカのテノール、チャールズ・ハケット(Charles Hackett, 1889年11月4日-1942年1月1日)が弦楽四重奏団をバックに歌ったシューベルトの歌曲『シルヴィアに』と『セレナーデ』のカップリング。英コロンビアの12inchで、1926年にリリースされたと言われている(我が家のクレデンザと同い年)。78回転ではなく80回転仕様だ。

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電気録音が本格稼働したのは1926年のことで、この78rpmのレーベルには殊更電気録音である旨は記載されていないので、恐らくアコースティック録音(ラッパ吹き込み)末期の録音だと思われる。元々ダイナミックレンジの広くないアコースティック録音と竹針は相性が良いと言われることも多い。

ハケットはボストンのニューイングランド音楽院で学び、イタリアに渡り、1914年ジェノヴァで、トマ『ミニョン』のヴィルヘルム役でとしてデビューした。
また彼はアルゼンチン・ブエノスアイレスのコロン劇場にもたびたび出演、1919年にはメトロポリタン・オペラでデビュー。名作のテノール役の数多くをものにし、出演している。
1923年からはシカゴ・オペラで10年以上歌い、その後メトに戻り5年間を過ごした。
78rpmの録音はやはりオペラのアリアが多く、特にマリア・バリエントスとローザ・ポンゼルという二人のソプラノとのデュエットは当時を代表する録音と言われている(ソロだがバリエントスとポンセルの音源を挙げておく)。

残念ながらハケッとは 1942年1月 1日, マンハッタンで52歳の生涯を閉じた。

【ターンテーブル動画】

オペラがメインフィールドだったからと言って、リートを歌うハケットを侮るなかれ。
バス/バリトンと比較して自国のテノールをあまり多く輩出していないアメリカだが、ハケットの張りと柔らかさを併せ持った凛とした声の表情、そしてそれを優しくサポートするカルテットの演奏を聴けば、彼がリートの分野でも一流であったことが理解できる。
竹針とハケットの声のマリアージュをご一緒に。



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