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サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)を観た

サ店でたまたま雑誌を読んでいた時に見つけた映画の告知でこのドキュメンタリー映画の事を知った。
洋楽好きを謳うなら観なかんくね?と思い立ち観に行った次第である。
前情報として頭に入れていたこととしては、1969年の夏にニューヨークはハーレムにて行われた「ハーレム・カルチュラル・フェスティバル」の秘蔵フィルムのドキュメンタリー映画であること、加えてその「ハーレム・カルチュラル・フェスティバル」に出演したミュージシャンについて(と言ってもしっかり調べたわけではなかったのでスティービーワンダーがいた事くらいしか知らなかった)

自分としては、50年ニューヨークの地下に眠っていた秘蔵映像と共にアーティストの解説やどのような盛り上がりであったかを紹介する楽しい映画だと思っていたが、そのような事は無かった。
その内容は、今だからこそ知っておくべきアメリカの激動の時代そのものだった。

先に断っておくと、この映画に起承転結は無いのでネタバレというネタバレも無いが、自分の目で観たい方は読むのをやめた方がいいでしょう。

「ハーレム・カルチュラル・フェスティバル」はニューヨークのハーレム地区の公園に総動員30万人を集めた、黒人だけの野外コンサートであった。入場料は無料で、映像を見る限りほとんどの観客が黒人だった。
このコンサートはかの有名な「ウッド・ストック」と同じ頃に開催され、「ブラック・ウッドストック」とも呼ばれたとか。

このコンサートが開催される前には、キング牧師とマルコムX、ケネディ大統領が暗殺される事件が起きていた。彼らについては説明不要であると思うが、そんな黒人にとっての不安や怒り、悲しみが爆発する寸前で行われたのがこのコンサートだった。
コンサートの警備にはブラックパンサー党が就いた。警察は信用出来ないという理由からである。

アーティストも錚々たるメンツで、B.B.キングや、19歳のスティービーワンダーをはじめ、売り出し中のフィフスディメンション、ゴスペル界のレジェンドであるマヘリア・ジャクソンとメイヴィス・ステイプルズ、サイケデリックソウルのスライ&ザ・ファミリーストーン、強いメッセージを歌うニーナ・シモン、ジャズ界からはマックス・ローチやハービー・マン、ヒューマセケラ、他にも南アフリカ、キューバ、プエルトリコ、メキシコなど様々な国の黒人がアーティストとして参加した。(中には白人も数人いた)

これがまた面白いところで、皆差別されてきた背景を持つ黒人でありながら、それぞれのメッセージが違ったのである。
主に4つくらいのアプローチがあったように思った。

ひとつは、スティービーワンダーやフィフスディメンションといった当時の若手が音楽という手段で誇り高い黒人を表現していた。スティービーワンダーの演奏については筆舌し難いほど素晴らしいので特に言うことは無いが、フィフスディメンションは当時白人しか演奏しないポップスを黒人が演奏するということで、一種の暗黙の了解を破った。オレたち黒人でも白人と同じような音楽をしてもいいんだというメッセージがあったように思う。厳密に言えば、白人の音楽をしてるオレたちを受け入れてくれよ、という姿勢だったと思うが、音楽という手段を用いたことに変わりはない。

ひとつは、マヘリア・ジャクソンとメイヴィス・ステイプルズやジェシー・ジャクソン(牧師)は政治・宗教的な手段で訴えかけた。マヘリアとメイヴィスは圧倒的な歌唱によって神(イエス)の教えを歌った。自分はキリスト教徒では無いので、詳しくは分からないが、神に感謝をするといった内容だったように思うが、あの歌には魂がこもっていた。これは間違いない。それほどまでにすごい歌だった。ゴスペルの真髄を体感することが出来たと思う。ジェシー・ジャクソンは牧師で生前のキング牧師と一緒に活動していたようだ。コンサートでキング牧師の最後を語り(自身が居合わせたので)、恐らく民権拡大の主旨のことについて黒人に訴えかけていた。彼からは悲しみと怒りを感じた。

ひとつは、色々な国をルーツに持つ黒人たちが、黒人だけでなく人類は皆平等であると訴えかけていた。色の名前を含む歌詞が散見されたが、白と黒だけでなく黄色やベージュなどアメリカで起きている人種差別に限定せず、グローバルなレイシズムに対する訴えを音楽を通して伝えていた。
音楽も楽しげな曲調で、ポジティブな印象を受けた。

ひとつは、純粋な黒人の怒りである。B.B.キングはこう歌っていた「皆はオレが何故ソウルを歌うのか知りたがる、長い間オレは辛い経験をしてきた、皆はオレが何故ソウルを歌うのか知りたがる、奴らに船に乗せられ連れてこられた、ひどく鞭でうたれた」
これを粛々とソウルフルに歌うB.B.キングがマジで怖かった。これがあの「スタンド・バイ・ミー」を歌ったB.B.キングなのか?と
そしてニーナ・シモン
「To Be Young, Gifted and Black」という歌を歌った。これは歌詞の和訳を全文載せておく。

[若く、才に恵まれ、黒人として生きる
なんと素敵でかけがえのない望みでしょう
若く、才に恵まれ、黒人として生きる
言葉に心をひらいてください]

[世界じゅうには何億人という
ちいさな男の子や女の子がいて
幼く、希望に満ち、黒人として生まれた
それは紛れもない事実!]

[若く、才に恵まれ、黒人として生きる
若者たちへ大人から伝えてゆきましょう
あなたたちは
若く、希望に満ち、黒人として生きる
世界が両手をひろげて待っています
人生の旅が始まったばかり]

[気持ちが鬱ぎ込んでしまったとき
この偉大な真実を思い出してほしい
若く、才に恵まれ、黒人として生きるーー
あなたの魂はぜったいに負けない!]

[若く、才を授かり、黒人として生きて
長いあいだ真実を探し求めた
過去を振りかえることもあった
子供のころの暗い時代に囚われていた
でも今は違う
私たち全員が大きな声で言える時代が来た]

[若く、才を授かり、黒人として生きる
それってカッコいい!
それってカッコいい!
それってカッコいい!]

これを飄々と、または堂々とピアノを弾きながら歌うニーナ・シモン。
この歌には引いたというのが正直な所であるが、現代の日本人の若者には到底理解できない当時の黒人の深い悲しみと怒り、怨念がつまっていた。
どれだけ人として侮辱され蔑まれるような体験をしたらあんな歌が歌えるのか。まだ、怒りに任せた歌い方なら分かるが、ソウルフルであるがどこか静かに淡々と希望を歌う彼女もとても怖かった。
怖かったが、同時に黒人としての誇りを持って歌う姿はかっこよくもあった。

アーティストや司会のトニーローレンスは「美しい黒人」という言葉を使っていた。彼らは決して白人になりたい訳ではなく、黒人として誇りを持って生きたいと思っていた。
ソウルというジャンルの由来について文字で理解はしていたが、この映画を通してソウルについて理解した。というか、完全に理解出来ないことが理解出来た。

彼らの本物の魂の叫びは彼らにしか伝わらないし、あの激動の時代を生き抜いた彼らだからこそ生まれた音楽であったということが理解出来た。
恐らく、当時の若者たちは最も酷かった時代を経験してはなくて、白人と黒人の融和という志の元音楽をしていたのだと思う。

対してその頃既にレジェンドと呼ばれた人達は地獄を見た世代だった為に、我々には理解の及ばない領域の音楽をしていたと勝手に推察する。我々はニーナ・シモンの曲を安易にいい曲だなぁなどと思ってはいけないのである。少なくともあの映画を観た自分は単純にいい曲だなどとは思わない。

この映画を通して音楽を嗜む身としては大変貴重な経験をしたと思う。自分としては黒人差別問題というシリアスな部分で思うことがあり、大分深く考えたが、ユーモラスな面もたくさんあったので、楽しく鑑賞できることもお伝えしたい。エンドロール後の茶番には思わず笑みがこぼれた。
歴史的、音楽的資料としても価値が高いと思う。

上映している映画館は少ないが是非とも鑑賞を薦めたい作品であった。

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