たくさんいた反面教師

今回からちゃんとタイトルをつけてみます。

 ここ数ヶ月、SNSなどで色んな言葉が飛び交っているのですが、言葉をきっかけに悲しい事件も起こったりしています。そんな中、僕自身が気になったのは言葉を使う仕事に従事されてる方たちの書き込み。
 凄く美しい言葉で発信している方もいれば、激しい言葉を使って発信されてる方もいたり、いろいろいらっしゃいました。表現の方法は自由ですし、主義主張も自由です。しかし、同じ批判をするにしても言葉を扱う仕事をしているのに、あんな汚い言葉を使うのはどうなのだろうかとも感じさせられることもあったのは事実です。同じ意味でもおそらく、表現が美しい言葉はやはり癒されるし、考えさせられると思いますが、汚い言葉は「ひどいな!」という感想が先に来て、それ以外の感情は産みにくいんだと言うことにも気づいたのです。
 ましてや言葉を使うお仕事をしているのだから、一つの言葉やそれが発する音やイメージなどなど、、、、どれだけ響くか、影響があるかなんて僕らなんかよりもわかってるはず、なのに。なぜこんな書き込みをしてるんだろう。

 例えばうちは空間を創る、彩る仕事をしておりますが、「こんなクソみたいな店作りやがって」とか「こんなんにするなんて何もわかってないな、素人かボケ!」とか普段から発言したり、家具を雑に扱ったりしている人が、場を、空間を大事にするでしょうか?100000歩譲って、それが愛情の裏返しだとしましょう。だとしてもいやいや、、、、ってなりませんか。

 もちろん、批評は大事です。それがないと健全とは言えないでしょうし、その先の成長はありません。しかし、非難や中傷、人をネガティブにする行為や発言はやっぱりNGです。ましてや言葉を生業にしている人が考えさせもしない発言をするだなんて問題外なのでは、、、、と。言葉が関係なさそうな僕らでもかなり発信には気を使うのに。

 そう言う部分がちらりとでも見えてしまったら、「この人に仕事をお願いしようかな」という気が無くなりますよね。「付き合うのを辞めとこう」とすら考えるかもしれないです。まず気持ちよく仕事に取り組めないだろうし、間違いなくいい仕事はできない。。。丁寧な仕事を期待できない気が凄くします。

 いろんな面で間違いがあれば謝ればいいし、ちゃんと反省すれば問題はないとは思いますが、自分の世界(仕事)に関しては他のところ以上に気を遣わないといけないなと、この特殊な世の中の書き込みを見て反面教師として学んだ気がします。まあ怖がりすぎたり、萎縮しすぎたりもいいもの産み出せないので、「意識しすぎ」はNGなので、あくまでも「丁寧に」ということでしょうか。

という感じで今日はここまで。


 

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