接続者
ある方法により、肉体と心を切り離した結果、自分の人生を決定づける出来事が起きました。その過程で得られた叡智や物理法則の謎に挑み続ける間、数々の困難や警告等がありました。しかし、有効かつ有益な情報を自分だけに留めるのは本望ではなかったので、ブログを通して情報発信しようと覚悟を決めました。
人生の明確な目的と意思を意志に変えるべく、過去の学校教育で与えられたレッテルや知識を根本から見直し、直観から導き出されたサインをもとに読書や自己内観等で掘り進め、知識を実践しやすい知恵へと変換する作業を続けています。
その道は決して平坦ではなく、何度も挫けそうになりましたが、その状況を創りあげているのも、選択しているのも「自分だった」ということにも気がつきました。己を認識しながら意思を行動に移し、時間というラグやサイクルを通して自己受容していく。それが人生という自分の再発見への道。
過去(カルマ)に抵抗したり執着すると、同じような出来事が気づくまで起こるので要注意!その状況に湧き上がる情況こそ純粋理性を超え、自分の殻を破る行為そのものでした。一言で言うと突き抜ける!
自己成長の一助に天体運動や瞑想がありました。また、自分の問題に直面して最善を尽くそうと想像力を自由に躍動させるプロセスに「日記を書く」ことが、とても有効な手段になりました。
しかし、日記を書き続けることに意味も色も持たせないようにしていましたが、反省点として無意識に印象操作をしているのではないか?という懸念がありました。それも自分が探してきた真実を知ろうとする中で核心に迫る部分のひとつでした。
密かにプレッシャーを感じていたことを「正義感」という正当化で自分を盲目的にしていたことがありました。その過程で、もうひとつ大切なことに気づきます。
愛に
意味を見出そうとすると
愛は歪んでしまい
カタチをつけようとすると
愛は愛ではなくなる
愛は
無条件でカタチがない
愛は無常かつ
変化しながら成長する
拘束力を持たない力
神様は何もしてくれないと思いがちですが、そうではなく、「見る」という行為に集約しているのだと思いました。それは観察ではなく、傍観や監視でもなく、見守るという行為によって。
つまり世界とは、見るという「主体」と、見られているという「客体」が織りなす関係を投影しているので、『世界は量子情報でできている』という推論になりました。しかし、自分という存在も量子情報である。「我思う、故に我在り」
私の人生、みなさまの良心で成り立っております。私に「工作費」ではなく、「生活費」をご支援ください🥷