情緒Part2
情緒の分化
上の図は20世紀初頭にアメリカで活躍した心理学者のブリッジスとルイスの研究に基づいた脳の発達と情緒の分化を表したものです。
彼らは人間の情緒と感情について研究を行いました。彼らの研究により、情緒と感情は、異なるものであることが示され、感情が身体的な反応に影響を与えることが判明しました。
そして情緒は、生まれて間もなく脳の発達とともに親子関係や保育・教育施設でのコミュニケーションを通して分化します。
つまり、長期間のマスク着用は、感染リスクと比較にならないほど有害であることがわかると思います。前回に続きアーサー・ケストラーの名著「ホロン革命」から情緒のスペクトルを考えていきます。
情緒を彩る三変数
ここで、三つの特徴にみられる共通点をあげていきます。人は純粋な感情を経験することが少ないため、欲望はあらゆる衝動と結びつき、快・不快ののニュアンスによって、混乱や複雑な感情を引き起こします。
なぜこのようなことが起こるかというと、想像力が感情を刺激する重要な役割を果たすことで、矛盾を引き起こすためです。想像に感情に入ると、結果への期待が高くなり、その思考が現実的なものではないとわかっていても、感情的に現実味を帯びてしまい、結果に対する期待を手放せなくなってしまいます。
これが「執着」の正体です。
例えるなら、「目の前に恋人がいるよりも、それを想像する方が楽しい」ということです。さらに、感情にはさまざまな色のスペクトルがあり、それぞれに快楽のニュアンスがあります。
ここから、ロバート・スタンバーグの愛の三角理論を引用して恋から愛に向かうスペクトルを抽出していきます。
愛の三角理論
このスペクトルをみていくと、愛する事に「苦か楽か」を問うのは、心の「明暗」を問うのと同じだと思いました。
「恋は盲目なり」とは言葉の通りで、盲目である事が恋を助長し、恋が盲目だからこそ苦しむ。そして、他者に対する支配や攻撃の欲求と共感や共有の欲求は、度合いによって以下のようになります。
情緒のスペクトラム
性欲の場合は「強姦」から「プラトニック・ラブ」
食欲の場合は「燔祭」から「食事会や晩餐会」
好奇心は「逸脱」から「探究や自己啓発」
親の愛は「過保護やDV」や「厳格と寛容」
このように情緒のスペクトラムは、受け入れがたい行為から理想的な行為へと変化します。先天的な要因もあると思いますが、家庭環境や生活環境によって、認知や感じ方に偏りが出てくると思います。
そうなると他罰的になり、必要以上に自分を責める傾向になりがちだと思います。私もその結果、他人を巻き込んでしまうことがよくありました。
「汝の隣人を愛せよ」とは、自分と正反対の人や思考が極端な人を見下したり、差別してはいけないということだと思います。
さらに状況によっては「自分にもそういう時がある」と認識するまで、相当な忍耐と勇気が必要です。私はその過程で精神不安になり、自己受容できない問題が出ました。
その時に効果的な方法は、共感と思いやりにつながるプロセスを内外で構築することだと気づきました。
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