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自尊心とは他人から評価されたり、認められたりしなければ持つべきものではないと思い込んでいた。もしかしたら自意識と自尊心を混同していたのかもしれない。そんな私の行動や責任には、いつも疑問符がついていた。 薬物の使用は、常識的に考えれば道徳や倫理を著しく逸脱した行為だが、当時の私はそう考えることができず、欲望というより必要な行為だった。なぜかというと使用の目的は快楽ではなく、低すぎる自己肯定感や強迫観念を取り除くことに効果があると感じたことにあった。 しかし、それは一時
社会と自分をつなぐものをひとつずつ奪われ、そのたびに、これまでに感じたことのない挫折感と絶望感を味わった。警察署が私の住んでいた場所の近くにあったことで、距離とは単位ではなく「認識」なのだということに気づかされた。 抵抗すればするほど苦しんだ。人に見捨てられることを恐れたのか、留置所で何通も手紙を書いた。そこで気づいてしまった。自分には安全な帰る場所があるからこそ、現実逃避していたことに。選択肢がなくなるにつれ、言い訳をしてやり過ごすという事実に直面せざるを得なくなった