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「インド人を右に」を超える誤植は誕生するのか

人類には越えられない壁が多々あるが、その中の一つであり我々日本のネット民にとって身近なものの代表といえば、

「インド人を右に」

という伝説的な誤植を超える誤植が未だに現れない、という事だろう。

それなりにネットをウロウロする方ならば、「インド人を右に」の誤植を見た事がある方も多い事と思う。
私は息抜きや気晴らしにまとめサイトを御用達にしているが、そこでも度々(むしろ定期的に)

「『インド人を右に』を超える誤植を見つけようぜ!!」

という未来への希望に心燃やすスレを見つけたりする。

しかし、無いのだ。
未だかつて、「インド人を右に」の誤植を超える誤植を、誰も発見していない。
ここに元ネタとなる画像を貼りたいところだが、あまりに有名な誤植過ぎてネットのあらゆる場所で拡散されまくっており本家(元祖投稿者)がわからないため、万が一にも著作権に触れてはならないので画像掲載はしない。

安心して下さい、「インド人を右に」でググればおそらく画像なんて秒で見つかるから。


インド人を右に、に対抗出来る誤植は無いのか。
ネットでは割と昔から議論(という名の面白画像貼り付け大会)が繰り広げられてきた。

確かにそれらのどれも、面白い。
目に入った瞬間に秒で吹く能力を、どれも持ち合わせている。

しかし何故か、「インド人を右に」に勝てないのだ。

私はふと思った。

「インド人を右に  を超える誤植を見つけよう」と宣言してしまった時点で、「インド人を右に」は金メダルに輝いてしまったのではないか。

「越えよう」というその提案こそが、「インド人を右に」を不動たらしめたのではないのか。

「コレには敵わない」という設定を植え付けた事で、いくら「越えよう」としてもそれは越えられないものとして確立してしまったのではないか。

もしも、優れた面白さを持つ他の誤植が先に注目を浴び、同じように「この誤植を超える誤植を見つけよう」とされていたら、後発の「インド人を右に」は勝てたのだろうか?
もしそうであったならば勝てなかったのではないか? とふと考えてしまったのだ。

先に金メダル認定されたからこその不動の強さというものは、あると思う。
そしてそれは、後からいくら名作(迷作?)が登場したところで
「やはり元祖のコイツには及ばないな」
という心理的評価を人に与えると思うのだ。


実際、笑えるレベルだけでいえば「インド人を右に」より笑ってしまう誤植は多々ある。

しかし、真っ先に「チャンピオン認定」されたからという理由だけで「インド人を右に」がこんなにも長く輝いている訳でもない。

もしこれが、

「奈良県を右に」とか、
「ドイツ人を右に」ならば、
やはりインパクトは下がる。
もうこれは、日本人向けの語感やイメージの問題だと思う。

その地方だからわかるネタや面白さなど、「何となく通じるもの」が日本人の中のインド人にはあるのだ。

何となくミステリアスで、何となく踊ってるイメージで、何となく破天荒な感覚(先入観)。
このイメージが日本人の中のインド人にあったからこそ、「インド人を右に」はなるべくしてチャンピオンとなったのだと思う。

また、主語が「インド人」というデカさなのも良い。
もしも、「キャロラインを右に」ならば、たいしたインパクトは無かったはずだ。


そんな事をふと思いつき、本記事を書いてみた。
「インド人を右に」が誤植のチャンピオンとして君臨するのはいつまでか。
時代が変われば、未来の若者は
「昔のヤツらってこんなもので笑ったり面白いと思っていたとか理解出来ん」
と言うかもしれない。

それでも私は、「インド人を右に」が誤植のチャンピオンとして君臨する「今」を覚えている事だろう。

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