ダイヤモンド

「あー、今日も遅くなった。
これじゃあ、今日もコンビニご飯だな。」

私は30歳のおひとり様女子。
あ、正確にはもう女子ではない。
毎日こんな感じを繰り返している。
朝起きる。
仕事に行く。
家に帰る。
寝る。
この何の楽しい事もないある意味シンプルイズベストな生活を日々繰り返している。
何とも味気のない毎日だ。

「あ、今日もやってる。」
思わずそう言ってしまう、そしてバレないようにチラリとだけ見る。
毎日通勤で通ってる道に、綺麗な鏡が沢山置いてある部屋がある。
何の知識もない私からしたら、どれだけ自分の事が好きなナルシストさんがいる部屋なんだろうと、間抜けな事を想像してしまうような部屋で。
でも、1週間前、その部屋で黒いフードを被った女の子?がしなやかなダンスを踊っていたのだ。
しなやかと言っても、日舞やバレエのようなしなやかさではなく、TVで見かけるようなダンスだった。
フードを被った彼女?の顔は全く見えない。
だから彼女?としている。
どれくらいの時間踊っているのかは分からないが、私の帰宅時間が遅い日も彼女?は踊っていた。
正直、私にはダンスの種類も良さも分からない。
TVを見ていても、
「よくあんなにジャンプできるなぁ」とか
「うわっ、身体柔らか!」
とか思うくらいで。
そんな私が彼女?の踊る姿を見てから、ちょっとした帰り道の楽しみができたような気がしていた。
うん、何の楽しみもない毎日にちょっとだけの好奇心が生まれていた。
数分、チラリチラリと彼女?の踊る姿を見て、
「今日もありがとう、お疲れ様。」
と心の中で呟き、くるりと身体の向きを変え、歩き出した時だった。
彼女?のいる部屋の方から大きな音が聞こえた。
いや、正確には大きな声、言い争いをしている声だった。
「いやや、まだ練習するんや。
邪魔せんで下さい!」
こちらからは彼女?が誰に向かってそう言ってるのかは分からない。
でも、彼女?はまだ練習したいと懇願していた。
「どんな世界も大変なんだな。
あの子、あんなに頑張ってるのに、まだ頑張るんだ。
凄いなぁ…。」
なんて思いながらも、何だかこれ以上は見ても聞いてもいけないような気がして、歩き出した。

数歩、数十歩歩いた時、後ろからバタバタと走ってくる音が聞こえた。
まぁ、時間も時間だし、帰る時間に遅れてタクシー捕まえられなかったサラリーマンが奥さんに怒られるのを防ぐ為に走っているのだろうくらいに思えた。
「お疲れさまだなぁ…。」
そう呟いた瞬間だった。
すぐ後ろにその音が近づいてきて、避けようと左に寄った瞬間、私の右腕はその音の主に掴まれた。
変出者?痴漢?まさかのストーカー?
とりあえず警察、とりあえずスマホと頭の中では考えているのに何もできない。
ただ、掴まれた腕を振り払う事もできずに、一緒に走っていた。
でも、いつまでも並走してる訳には行かない。
さすがに真っ暗な道は避けて、明るい店の前でやっとその腕を掴む手を振り払った。
「ちょっと!
いきなり何するんですか?!
警察呼びますよ!」
わざと店の中に聞こえるように自分の中のMAXの声で叫んだ。
息切れしてるからちゃんと聞こえたかは分からないけど。
すると、目の前で膝に手を付いて、同じように息を切らしている謎すぎる人が顔を上げた。
「ちょっと待ってや。
俺は怪しいもんちゃう。
アンタ、俺の事知っとるやろ?」
そう言われても、まだ息切れが収まらない酸素の足りない頭では思い出そうにも思い出せない。
「え、ちょ…」
そこまで言いかけると、私の叫び声が聞こえたのか、店の中からお腹がぽよんと出ているおじさんが出てきた。
「ねえちゃん、警察呼ぼうか?」
そう声を掛けられたが、どうにも目の前の謎すぎる人は知り合いらしいのでそれは止めてもらった。
私とおじさんが話してる間に謎すぎる人は隣のコンビニに入って行った。
おじさんに迷惑をかけた謝罪をし、そのまま無視して歩きだそうとした時、目の前に水の入ったペットボトルが差し出された。
「ほい、これ飲んで。
とりあえず落ち着こ。」
そう言って、ペットボトルの蓋を開けてくれた。
私は黙ってそのペットボトルを受け取ると、その謎すぎる人をじっと見た。
黒いフードを被っていた。
顔はあまり見えない。
こんな知り合いはいない。
さすがに人の顔を忘れてる程、まだ記憶力もなくしてない…はず。
「あの…、やっぱり私、あなたの事知らないんだけど?
あなた、一体誰?」
そう言った私の方を見ながら、その謎すぎる人はフードを取りながらこう言ってきた。
「実はな、俺もアンタの事、詳しく知らんねん。
ただ、この1週間くらい?アンタが俺の事見てたんは知っとる。
ほら、これ見たら思い出すんちゃうん?」
その謎すぎる人は私の前でいきなり踊り出した。
いきなり踊り出された衝撃とその謎すぎる人が誰か分かった時の衝撃、衝撃と衝撃がぶつかって、頭に隕石でも落ちてきたのかと思った。
「あ、あなた…。
女の子じゃなかったの!?」
きっと声は上ずっていたと思う。
頭の中はもはや、隕石が落ちてきた衝撃でお星様がぐるぐる回っていて、整理なんてとてもつかない。
そんな私を見ながら彼女…、いや、彼は笑っていた。
「アンタ、俺の事、女だと思ってたん?
それは完全にアンタの思い違いや。
それはアンタが悪いんやで?
あとから謝ってな?」
なんて言いながら、近くにあったバス停のベンチに座り、座った横のスペースをトントンと叩いた。
無言の「座れ」アピール…。
よく分からないまま、私はベンチに近づき、そのまま座った。

「アンタさ、何で見とったん?
初日は暇な人が覗いとるんやろなくらいに思っとったけど、アンタ、それから毎日見とったやんか。
しかも、俺が窓の方見たら、サッと隠れて。
それこそ、ストーカーか思ったわ。
なぁ、なんでなん?」
なんで?
確かに、ちょっとした好奇心から見ていて、そしたらちょっと楽しみになって…、なんて説明しても分かってはもらえなさそうだ。
自分が彼の立場なら、気持ち悪くも感じただろうし、下手したら恐怖すら感じていたと思う。
でも…、とりあえず正直に話して謝ろう。
「ご、ごめんなさい!
ダンスなんて全然知らないからちょっとした好奇心で…。
あと見てたらなんかちょっと楽しくなって…。
でもあなたからしたらいい気持ちもしかなかっただろうし、気持ち悪かっただろうし。
本当に本当にごめんなさい!!」
そう言って彼に頭を下げた。
彼はしばらく黙っていた。
そして不意に頭をぽんぽんと2回優しく叩かれた。
「そんな事やろうなーとは思っとった。
そんなに謝らんでえぇよ。
可愛ええな、食ってやろうかーとか言われたらさすがの俺もすぐ逃げるわ。
それにしても、アンタ素直やな。
全部言わんでもえぇのに。」
彼はそう言いながらケラケラ笑った。
私は笑えなかったけど。
笑う彼に聞く事にした。
「じゃあ…、じゃあ何で追い掛けてきたの?
やっぱり気が変わって警察に突き出すとか…?」
私のその言葉を聞くと彼はより大きな声で笑いだした。
「ちゃうわ、そんなつもりは全然ないから安心せぇ。
いや、アンタ、あれ聞いとったろ?
俺とせんせ…、あの人の話。」
あぁ、あの言い争いかぁ…。
「ちょっとだけ、あなたの声だけ聞こえた。
まだ練習したかったんでしょ?」
「そやねんけど…。
ま、この話はまたでえぇわ。
でな、アンタには俺の踊りはどう見えてんの?
それが聞きたかったから追い掛けてきたんや。
アンタ、急におらんくなるから。」
え、これは何のお話でしょう?
話の展開が分からなさすぎて、少し頭痛が…。
「いや、私、ダンスの事、本当に分かんないから。
だいたい、そんなどう見えるとかそんなの私に聞いても何の役にも立たないと思う…、んだけど…。」
私のその言葉を聞いた彼は、顔を私の方に向けて言った。
「楽しそうに見えた?
嬉しそうに見えた?
苦しそうに見えた?
つまんなそうに見えた?
アンタが思った事を聞きたいんや。」
どう答えれば良いのか分からずに困っている私を見て、彼は溜息をついた。
よし、これは諦めたでしょ!と思ってサヨナラしようと立ち上がろうとすると、彼は私の目の前に手のひらを出した。
「え…?
この手は…、何…?」
「スマホ、スマホ出して。
連絡先交換すんの、ほら、はよう出して!」
全く想定外の展開。
いやいや、今日会った、いや、今日話したばかりの明らかに私より若い彼と連絡先交換?
え、新手のロマンス詐欺的な?
混乱する私を見ながら、彼はポケットから自分のスマホを取り出し、素早く操作している。
「ほら、出して。
どうせ、友達居らんのやろ?
アンタのスマホ、1回も鳴らんやん。」
いきなりグサリと刺さる事を言われ、これはいかんと強がる。
「仕事中にマナーにしてて、そのまま忘れてただけだから。
と、友達はちゃんと居るし…。」
そう言い返したけど、どう見ても彼の目は信用しているようには見ていない。
「今日話したばっかりの人に連絡先教える訳ないでしょ!」
と、少し強めに言っても彼は手を引っ込めない。
「別に悪用とかせんし。
ほら、SNSで知り合ってLINE交換するみたいな気持ちで…、ってはよ出してやー。」
どう言っても逃げられない、逃げられる気が全くしない。
遂に諦めた私は溜息と一緒にバックからスマホを取り出し、ロックを解除してから彼の手のひらに置いた。
「コレとコレをこうして…、できた!」
彼は満足そうに私にスマホを返してきた。
「なぁ、名前、教えてよ?」
彼は自分のスマホを操作しながら聞いてくる。
実は私の仕事は職場で使う携帯は会社支給の物を使うから、自分のスマホには自分の名前は存在しない。
私は思わずこう答えた。
「私、私の名前はサチ。」
「サチね、オッケー。
俺はね…、レン。」
「レン…くん…?」
「レンでええから。
俺もサチって呼ばせてもらうわ。
いきなり呼び捨て?
しかも、私、年上ですけど?
そんな私の中では当たり前に浮かぶ事を簡単に壊して行く彼、レンと始めて話した夜。
「またね、サチ。」
レンはそう言って、あの部屋の方に走って行った。
この数時間に起きたあまりにも突飛な出来事を整理出来ないまま、家に帰った。
そして、全てを終わらせ、横になろうと思った時、スマホが震えた。
「おやすみ」
の一言と、小さな男の子が「おやすみ」と言って寝ようとしている可愛らしいスタンプ。
「変な子…。」
少し、私の人生の中で感じた事のないようなほんのりあたたかさを感じて、私は目を閉じた。
勿論、返信はしなかった。

それが、レンと名乗った彼とサチと名乗った私の始まりだった。
ただお互いが嘘の名前を名乗っているとは知らずに…。



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