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自分の音楽遍歴〜三つ子の魂百まで(高校生編)〜

高校生になるとなぜだか運動部(どマイナー競技)に入りあまり休みのない生活を送っていたので、バンドらしきものを組む余裕は一切なく、ほぼ一人遊びのような感じでギターの練習をしていました。引き続きLDのコマ送りで運指をチェックしコピーするっていう。

そんな中で、ビートルズ→ポール・マッカートニーのソロを追いかけている中で、"Fowers in The Dart"というアルバムのリード曲"My Brave Face"をエルビス・コステロという人と共作していることを知りました。しばらくして、またTVKかなんかでエルビス・コステロが弦楽四重奏だけで一枚のアルバムを作ったというニュースを聴いて、すぐに買ったのが”Juliet Letters"。これは本当に名盤です。

このPVがまた素晴らしく、これもLDで持っていましたね。そう思うとLD資産結構すごいし、実家にはまだあるのだけれど、どうやって再生するか、が問題。。。なお、Youtubeで見つけたのは下記のみ。雰囲気だけでも掴んでください。90年代前半、学校のギターキッズたちはBOOWYのコピーバンドをやっていて、世の中のヒットチャートはMr.Childrenが出てきた頃、なんて渋い高校生だったのでしょうか。

同じ頃に発売されたスティングの"Ten Summoner's Tales"も聴き込みました。1曲めの"If I Ever Lose My Faith In You"のイントロを聴くと、部活帰りの学校最寄りの駅を思い出します。

その次の年、イーグルスが再結成。"Hell Freezes Over"のLDとアルバムを買って、"Desperado"のドン・ヘンリーのような声で歌えたらいいな、と本気で思ったものでした。この頃、ジョン・レノンの"Imagine"なら簡単だと思ってピアノを弾きはじめ、いや右手がコード左手がベースで歌の伴奏をするためだけのピアノでよく歌っていたものでした。

ピアノを伴奏に歌うようになってエルトン・ジョンやビリー・ジョエルも聴いたり歌ったり。まあ、この辺りでわかってくれる友人はあんまりいませんでしたね。。。

ただ、吹奏楽部の友人が多く、うちで日本のフォークを歌ったり当時流行の曲をセッションしたり、バンドはしていなくても人と演奏することの楽しみを覚えたのもこの頃でした。

部活仲間といっていたカラオケだと、サザンオールスターズの「涙のキッス」とか歌っていたような気がします。友達との演奏やカラオケのために月刊歌謡曲を毎月のように買ってはじからギターやピアノを弾きながら歌っていたのでした。

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