廻り、廻る
「お金とは何なのか」
ここ数年、お金に関する本を、本屋さんでよく目にするようになったような気がする。
きっと、それは、みんなが興味を持ちはじた、もしくは、疑問を抱き始めたということなのだろう。
そのうちの数冊を私も読んでみたが、結局、明確な答えが出ていない、というのが正直なところである。
お金はツールである。
多くの本でそう書いてあり、著名人もそのように言っている。
本当にそのとおりだと思う。
もし、お金がなければ、何も買うことは出来ない(交換出来ない)。
「寿司が食べたい」と思ったとする。
お金があれば、寿司屋に行って、スーパに行って、買えばいいだけの話だが、そのお金というツールがない。
となると、まずは、自ら魚を釣る必要が出てくくる。
そのためには、釣竿を手に入れる必要があるが、それもまた作らなくてはいけない。
海や川に行くまでの足はどうするのか。
釣り用の餌は。
そもそもシャリのごはんはどうするのか。
ごはんを炊くための釜は。
醤油は。
お酢も欲しい。
お金というツールがあるおかけで、それぞれが専門的なものを作ることができ、私たちはスムーズに欲しいものを交換することが出来ている。
物々交換という方法もあるのかもしれないが、お金という誰もが認識した価値基準があるものに比べれば利便性は下がる。
気軽に寿司なんか食べてしまっているが、考えてみれば、それはすごいことで、まさに経済のおかげなのである。
お金とは本当に便利なものだ。
では、今、そのお金の何が一体問題になっているのか。
一つには、お金を持っている人と、持っていない人に差が出ているということ。
お金を持っていれば、それだけ多くのものと交換できるわけなので、みんな欲しいと思う。
18世紀のイギリスの産業革命をきっかけに資本主義というものが生まれ、お金を持っている人はどんどん増えていき、持たない人はどんどん貧しくなった。
「誰もがお金持ちになれるチャンスがある」という夢をぶら下げて、多くの人がそれを掴もうと懸命に働き、資本主義はここまで大きくなってきた。
1971年には、ドルショックが起こり、金とドルの兌換が終わる。
今までは、金という裏付けの元、お金が刷られていたわけだが、その裏付けがなくなる。
もう、ただの数字でしかなくなったお金は、際限なく膨張し、マネーゲームなんて呼ばれるようになる。
そして、ふと、思う。
「お金とはなんのか」
昨今、資本主義の行き詰まりということをよく耳にするようになった。
誰もがお金持ちになれるチャンスがあって、たくさんのお金を手にして、幸せになれると思って、大きくなっていった資本主義は世界を幸せにしたのか。
きっと、そんな疑問が、ここ数年の本屋の店頭を表している。
では、これからどうしていくべきなのか。
「資本主義がダメだったから、社会主義、共産主義だ」
とは簡単にはならないだろう。
ソ連と中国の歴史をみれば、一筋縄では行かないことがわかる。
だから、現実的に考えていけば、この今ある資本主義をアップデートしていくということになるのだろう。
公益資本主義という概念も出てきているように、お金を回して行くという仕組みは変えずに、いかに「社会的に良い」と言われるようなものにお金が回っていける仕組みを作れるか、そういう視点が今後はより強くなっていくものと思われる。
CSR(企業の社会的責任)、CSV(共同価値の創造)、ESG投資(環境、社会、ガバナンス)といった言葉も生まれ、社会起業家呼ばれるような方々も出てきている。
お金という便利なツールを活かして、いかに、いいお金の循環を生むか。
それが、これからの大きな課題である
そして、そこに対して、自分は一体何ができるのか。
良いことをしている会社に投資をし、可能な限り寄付やボランティアを行い、買い物というお金を使う場面において自分にとって正しい買い物なのかを検討する。
そういった出来るところから取り組んでいく他、力を持たぬ僕にできることはない。
もちろん、同時に、「良いこととは何か」ということも考えて行かなければならない。
2024年に、1万円札の顔が渋沢栄一になる。
渋沢栄一は、こんなことを言った。
「能く集め能く散ぜよ」
しっかりお金を稼いで善用せよ、ということだ。
善意のお金が回る世界になった時、その時初めて、真のお金の姿が現れるような気が僕はしている。
見ていただけたことが、何よりも嬉しいです!