ケーニッヒスベルクの橋

道行く先は行き止まりですと言われたところで、かと言って戻れる訳もなく、八歩塞がりだと喚き散らすことは至極自然なことだとは思いますが、とは言ってもそんなことをしたからといって何かが解決されるわけでもなく、「そもそも解決とは何だ」みたいな哲学をしている振りをすれば少しは様になるとか思っているのだとするなら、それは実に滑稽であるし、でも、一方でそんな恥ずかしげもなく振りかざすプライドが逆に美しく見えたりもすることもあるわけで、一体何の逆なんだろうと立ち止まることは、その美しさを助長したりすることもあるとも考えられますが、概ね「何の意味もありませんでした」みたいな結末が一番妥当なような気がした朝に鳥の声を聞いたのですが、何やら、喧嘩しているようにも思えたから、たまたま会ったお隣のお宅の奥様にも聞いて見たのですが、「うーん、どうでしょうねぇ」なんて、全然納得してない感じの返事で、だったら「違うと思いますけど」って言ってもらいたかったのは、一個人の偏向的な欲だということもわかっているつもりではあるのですが、そうもいかないのが人間ですって言ういけ好かない男が、先日、交差点の途中で立ち尽くしていて、そこに降り注ぐ陽の光がいつもと違ってるように思えて、もちろんいつもがいつもたる所以を証明できるわけもないのですが、その色があまりにも蒼く澄んでいたから、そっと掌に乗せて眺めていたのだけど、そのうち思わず体内に入れたくなってしまって、でも、正確に言えば気づいた時にはもう飲み込んでいたから、自分の意思とは関係ないところで、体内に入れてしまったと言うことにもなるのかもしれないけれど、体がポカポカし始めて、そしたら、急に、実家の自分の部屋にあるアルバムの中の一枚の写真を思い出して、その写真は、何処かの公園で、うんこ座りをしながら鳩に餌をあげている写真で、きっとこれは、両親のどっちかが撮ったのだと推察しますが、なんでそんなシーンを写真に撮るのかもわからなかったし、なんでその写真を今思い出したのかもわからない中で、一番気になっているのは、膝に「P」って書いてあるワッペンが貼ってあって、多分、ズボンの膝小僧に、あ、今はズボンなんて言わないのかもしれないけれど、まぁ、おそらく、そこには穴が空いていて、それを隠すためだったのだと思うのですが、何故「P」だったのかは今も聞けないままでいるし、今更それを知ったところで、この人生に何か大きな影響があるとも思えないですし、でも、もうここまでくると、そんな小さな好奇心と弄ぶ以外やることもないような気がしていますが、どこか真面目な性格もあるものですから、「ちゃんとしなきゃ」なんて思ってしまう瞬間が、時折はくるわけで、時折というのはどれほどの頻度なのかと、話の骨を折りたいわけではなく、そうですね、よかったら、一旦、お茶でも飲みましょう

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