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知らないということを知っている

知るということ。
僕の知的好奇心はそこに尽きる。

よく言われる。
「考えてばっかいないで、行動しなくちゃ」

その通りである。実にその通りである。自分では行動しているつもりだが、その規模が小さいことも、インプットに比してアウトプットが少ないことも自覚はしている。でも、同時に思う。
知るということを疎かにしてはいけない。

知るというのはどういうことか。それは、選択肢が増えるということと、ほぼ同義のような気がしている。常に、僕らの目の前には無限の選択肢が広がっている。僕は今こうして、パソコンでこの文章を書いているわけだが、別にこの時間を使って他のことをしても全くもって問題ないわけなのに、今は、書くという選択をしている。誰かに書かされているわけではない。自分の意思で書いている。それを選ぶことができるということを僕は知っている。様々な選択肢の中から、自らの意思で選ぶということ。それこそが自由なんだと思っている。

だから、思う。
もし何かを変えたいと願うなら、方法は一つ。
「知ることを通じ、選択肢を増やし、行動を変える」
きっと、それ以外に方法はない。

知るというのは、何も本を読むことだけではない。人との会話の中でも、何かを経験した時の中にも、街中をただブラブラと歩いている中にも、言ってしまえば、生きている毎瞬に、そのチャンスはあるとも言えるのかもしれない。

知った上で、何を選択するかは、その人の自由だ。例え何を選んだとしても、そこに正しいも間違いもないと僕は思っている(法的には裁かれる可能性はあるけど)。だから、人に自分の価値観を強制する気も全くないし、人の選んだ選択を避難することもない。

知らないことは罪ではない。知らないんだから、どうしようもないし、もしかしたら、それは言い方を変えれば、知っている人の努力不足なのかもしれない。きっと僕もこの世界のことの1%も知らないし、知れば行動が変わるものも、まだまだたくさんあると思う。

知ってしまったら、行動が変わる。悪いことだと知っているのに、その行動をとるのは、どんな人でも気が引けるだろう。だから、どうか、知ることに臆病にならないでほしいし、知らないということを振りかざすのではなく、知ろうとする気持ちを持ってほしい。

知るということは、選択肢が増えること。そして、それは、また一つ自由に近づくということ。どうか、自ら自由をその手にし、この世に受けた大切な生を堪能してほしいと、そんなことを思う。


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