水溜まり

暗い気持ちの時にしか表現出来ないことがある。
ただしアウトプットすることで自分や他人に刷り込むように記憶させるのもどうかと思って、下書きに入れることが多い。明るい気持ちの時に書き殴ったそれらを読み返すと、誰だお前馬鹿かと思っては消して、なかった事みたいにしてしまう。昔はわたしだけ知ってる感情が最初からなかったようになるのが嫌で、名前もつけられないようなそれに気付いてすくい上げられるのはわたしだけじゃないかとよく書き溜めていたが、大人になるにつれずる賢さが身につき、ネガティブな感情なんてなかったことにすれば誰も気付かなくていいじゃないかと思う機会が増えて、辞めた。

雨が降れば水溜まりが出来て、もしかするとデートに向かう女性のブーツを濡らして迷惑をかけたり気分を害してしまうこともあれば、炎天下のなか飛んできた雀の喉を潤して命を救うこともきっとあって、その価値を決めるのは多分見る人どころかこの世に存在するそれぞれの感性で、水溜まりが出来るのは自然の摂理で仕方のないことなのに、わたしなんかの力でどうにか出来ることなんかじゃないのに、わたしはひとに迷惑をかける部分にだけねじ曲げるように焦点を合わせて、晴れて水溜まりが乾いた頃にはそんなもの最初からなかったのだ、見間違いではないだろうか、そんなことは忘れて甘いものでも食べようよ、という具合に、見て見ぬふりをして日々を過ごしている。

所詮は見て見ぬふりでしかない為なんの解決にもならず、そのことに気付いていながら、自分に渦巻くネガティブな感情が恥ずかしく、歯を食いしばるような気持ちで目を反らし、何とか明るい気持ちに自分を巻き込もうとする。無理やりにでも半日くらいそうしていれば、不思議と気持ちは盛り上がってくる。ほっとして、ほらなかったじゃん、といった具合にまた明るい気持ちでしばらく過ごす。

環境や過去のせいにして甘えたことを言って周りに迷惑をかける人間が何より嫌いで、スタートラインは違うかもしれないけど、どの道生きていかないといけないのなら、大人として社会に潜り込んで息をしないといけないのであれば、自分の生き方くらい自分で決めて、前を向くためにどうしたらいいか考えるべきだと思う。厄介なのは、何かのせいにしたくなるその気持ちも分からなくはないことと、時に自分の首を締めてしまうこともあることで、もしかすると、わたしだってと言わんばかりに不幸自慢を掲げて、愛する人たちにぶつけて、同情心を煽ったりすれば気が紛れるのではないかと一瞬、本当に一瞬だけ思ったりもするけれど、考えれば考えるほどに言葉にできない不快感が押し寄せてきて、そんな生き方は微塵も望んでおらず、他人のネガティブな感情に首を突っ込んでくる人間なんて一切信用できないし、じゃあ耐えるしかないじゃん、と思っては振り出しに戻る。

最近はどっちの自分もわたしじゃん、だから素直になりなよ、と思うことも増えてはいるが、どうしても調子が悪い時は遮断する以外で解決策がない。種明かしするのは単純につまらないし、いい歳をして思春期みたいなことを喚くのもみっともないし、遮断と言っても放っておいて欲しいという気持ちよりも、今は関わるあなた方を楽しませる余裕がないので、申し訳ありませんねという気持ちに近い。

わたしが口外しなければ、その事実はわたししか知らないので、やっぱり結果的になかったことになる。今はまだそれでいいや、を何年も繰り返しているが、いつかどんどん膨らんで破裂してその内ダメになってしまいそうな気もするので、自力でもう少し楽になれる方法を見付けたい。何より大切なひとをこれ以上突き放したり、傷付けたり、悲しませたくないし、シンプルにただ伝れば良いことを嘘をついたり隠したりとおかしな方向に努力をしたくないので。

コーラ