お前が行けよ

自炊は楽しいが、家で過ごす時間がこうも続くと食べたいものが無くなってくる。食べたいものがなくなる、それは社会人、いわゆる働くロボとして大変な問題である。
車はガソリンがないと走らないし、リモコンは電池がないと動かない。人間だってそう。
わたしが外面良くニコニコ過ごせるのも、人に嫌な思いをさせないのも、美味しいご飯があるからこそなのだ。


UberEATSを眺めてもイマイチ食欲が湧かない。
UberEATSは楽して美味しいものを食べることが出来るが、どうしても罪悪感が伴う。
健康な人間は本来であれば買いに行くべきなのだ。更にわたしは金銭的に余裕がある訳でもない。今月の給料は17万。何故7万の家賃を毎月払わないといけないんだ。家賃は高すぎる。家賃を500円にして欲しいと何年も考えてきた。生活の基盤が給料の大半を占めるのはいかがなものか。
UberEATSを眺めるだけで、そんな具合に負の感情が渦を巻く。どろどろどろ、と渦を巻く。
どろどろど…辺りで止まらない思考に嫌気がさしたのでUberEATSを閉じた。 

実家にいた頃は近所に商店街があり、食べ物に困ることはなかった。ゴミ屋敷で食事をするスペースもなく、冷蔵庫の中身はヘドロだったし、かつてキッチンと呼べた場所はネズミが走り回っていた為365日フル外食だった。それでも全く困らなかったのは住宅街で色んな飲食店が揃っていたからで、そこに関しては今思えば有難かった。


ふと思いつきたこ焼き屋へ。
たこ焼きは良い。色んな食感を楽しめる。
外側がカリッとしていて、中はとろとろん。たこの硬さが良いアクセントになる。
何より味を選ぶことが出来る。味変は改革だ。
改革だと言ったものの、たこ焼きに関しては塩味しか食べない。マクドナルドではダブルチーズバーガーしか食べない。わたしは一途なのだ。わたしには愛するものを一生選び続ける覚悟がある。たこ焼きには塩だ。塩マヨネーズに見えなくなるほどネギをかける。ネギのお布団で栄養満点になったたこ焼き。見た目にも美しいじゃないですか。

Googleマップで評価の高かった店を選ぶ。
自転車で5分ほど。横断歩道を渡った先に店はある。先客はいないようだ。赤信号にぶち当たる。食べたぁて必死ですやんと思われたくない為、横断歩道を渡る前に自転車を降りて押していくことを選択。その間に先客が1人滑り込んだ。優雅さを選んだ罰として1人分の待ち時間をゲット。時間に余裕はある。土曜日のいいところだ。

先客がたこ焼きを注文する。50代くらいのスキンヘッドの男性。わたしと同じ気持ちでたこ焼きを待っている男性。心の中で強く握手を交わした。
注文を終えてた男性はレジの前で待っている。わたしはレジのお兄さんを遠くから見た。彼にリアクションはなかった。

(もしたこ焼きの数に余裕が無ければ、先に焼いておいた方がいいから店員が声をかけてくるはずだ。目が合っても声をかけてこないという事は、先客に売るたこ焼き以外にも余裕があるということ。じゃないと1から焼くなら長時間待たせるため失礼にあたる。先に注文だけ聞いときましょか?がないということはそういうことだ。待て。大丈夫。わたしのような寺育ちの人間には侘び寂びがある。待ての時間を楽しむことも出来るのだ)

とか何とか考えている間にもう1人おじさん客が買いに来た。迷わずレジに直行して沢山の注文をした。その姿を見てスキンヘッドの男性がこちらをチラチラ見てくる。(ええの?姉ちゃん先に待ってたやん。抜かされてるやん、ええの?)みたいな視線を感じる。待つスタイルは間違いだったことにに気付き、レジへ向かい注文した。

先客1のスキンヘッドが商品を受け取り帰っていく。その間も何回かチラチラ見てくる。その正義感あるならお前が言えよ、お前が行けよ、と思ったのだがスキンヘッドは何も言わずに帰って行った。心無しか遠ざかっていく彼の足取りは軽いように見えた。2人も客待ってる、ラッキー♪とでも思ってたのかもしれない。わたしなら思う。

先客2も商品を受け取り、いよいよわたしの番が回ってきた。15分ほど待ったか。店員さんが「もしかして後ろの方で待ってませんでした?すみません」と言ってくれた。いやいやとんでもないです大丈夫です、とたこ焼きを受け取った。


わたしの視点では順番抜かされたぁだが、実際先客2のおじさんの視点で見るとたこ焼きを注文し終え焼き上がるのを待っている先客が2人いる、だろうし、店員さんの視点で見ると先客1のスキンヘッドの連れに見えていたかもしれないし、注文をしてこない奇妙な客に見えたかもしれない。それぞれに考えがあり、誰も悪くないのだ。悪意があって人に迷惑をかける人間なんて本当にひと握りだろう。その場合は運が悪かったとしか言えない。

人には人の正しさがある。主張すべき場面で主張出来たら良いが、基本怒りって醜いじゃないですか。怒りって強めの自己主張だから。見る人によっては意見を主張しなくてダサいな、と思うかもしれませんが、わたしはこれが美しいと思う。怒ったり自己主張が強すぎるひとって美しいとは思えないんですよね。損しても良いから美しく生きたいし、人によって感覚が違うということは忘れずにいたい。自分にとって有り得ないと思う出来事だって、相手にとっては当たり前かもしれない。
自分にとって都合の悪いことや嫌なことが起きた時は、必ず自分に非がなかったかを振り返るようにしている。そうすると人のせいにしたり人を責め立てる気持ちって自ずと無くなるし、広い視野で物事を見ることが出来る。人を責めるのって疲れるし。

ただスキンヘッドの先客1には、そんなに何回も見てくるほど気になるんならお前が行けよとは思ってしまいますね。

読んで頂き有難うございました。

コーラ