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「半顔なら許される」というルール設定でいろんな壁を乗り越える


大好きな友達とランチしてる最中に、唐突に気づいてしまった。

自撮りするとき、あえて見切れてる。顔が半分になっていれば、肉肉しい自分とも、いい歳をして、すっぴんでふらふら出かけてきた自分とも半分しか向き合わなくてすむ。


なるほどなー。無意識だったけど、そういうことか。

写真を見るたび、自分にガッカリする。なんたるあご肉、なんたる背脂……。

ダイエット頑張ったらいいんじゃない? というのはその通り。でも、ビックリするぐらい頑張らない。このまま、森に帰るんだろうかと不安になるぐらい。

写真を撮らなくなってた時期もあった。

でも最近、また撮り始めてる。

相変わらず、あご肉よ…と思いながら、でも、わりと意識的に撮ってる。

忘れちゃうから。

一週間前に、なにをしてたのか。どんなことを思ってたのか。

さらさらと砂がこぼれてくみたいに忘れていく。

でも、写真をみると思い出す。Googleフォトが教えてくれる。

パッと日常を切り取って、どこかにあげておくと、誰かが覚えていてくれる。ついでに自分も思い出したりする。

なにげない瞬間を、なにげなく縫い止める。

忘れちゃうなら忘れちゃうのもいいじゃん。消えてしまうものは消えるにまかせていいじゃん。

そんな風に思える日がくるのかもしれないけど、今はまだ、そこまではたどりつけずにいる。

だったら、いつ写真を撮ることになってもいいように、ちゃんとメイクしようという方向のがんばりは発動せず、よりよい半顔の探究に余念がない。

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