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「50歳」を同級生たちと全力で祝ったら《やりたいこと》が口をついて出てきた話

「やりたいこと」って結局のところ、何なんだろう。ここ数年、そんな風に思う機会がじんわり増えてきた。

年齢もあるのかもしれない。30歳になったときも、40歳になったときも、友人たちと「ヤバい、30歳(40歳)になっちゃった~~~!」話で盛り上がった。でも、50歳になると、さらに”残された時間”の話になる。

残り時間なんて誰にもわからないんだけど。でも、「もう若くはない」と自覚してる以上、残された時間を有効に使いたいよね、みたいな話にもなる。

そんな中、高校の同級生が企画してくれた『私たちが50歳になったよ!を祝う会』が開催された。女子高だったので女性ばかり20名ほどが参加。会場は東京駅近くにある、こじゃれたビストロ&グリル「LAVAROCK/コートヤード・バイ・マリオット」。

https://www.cytokyo.com/restaurant/index.html

高校のときに同じクラスだった子もいれば、ほとんど初めましての子もいた。でも、共通の話題には事欠かない。クセの強い先生が揃ってた高校の思い出。共通の友達の近況に、推し活、推しラーメン、痩せない話……etc。

ほっぺたが痛くなるぐらい笑い合う。その合間に、家族の悩みや高齢の親への心配ごとの話題も登場する。そして「そういう年になったんだよねえ」と笑い合う。

「本当はね、もっとやれるのかもしれないって思ったりするんだよ。申し訳ないなって」

 そんな同級生の言葉に「そんなことないよ。十分やってるよ。持つ必要のない罪悪感にご用心だよ」と答える私。

話していて気づいた。そうか、私がずっとやりたかったことはたぶん、これだ。介護にかかわる人が、持たなくていい罪悪感に悩まされなくてすむ世界をつくりたい。

罪悪感は、自分の中からわきあがってくることもあれば、他者から持ち込まれることもある。

「娘なんだから」「こんなときぐらい親孝行してあげなくちゃ」と無責任なセリフに追い立てられることもあれば、「娘がいてうらやましい」「やっぱり最後に頼りになるのは娘」と無邪気な称賛が、次の罪悪感を生むこともある。

心身が健やかなときは「知るか!」とはねのけたはずのトンチンカンな助言に、やたらと振り回されたり、傷つけられたりする。

親の人生は親のもの、自分の人生は自分のもの。

そのバランスをうまくとって、親の介護に飲み込まれることなく、自分の人生を生ききる。それを実現できているはずなのに「本当は、娘(息子)の自分が一緒に暮らしてあげなくてはいけないんだろうけど……」と、うなだれる人もいる。すでに十分やってるのに。むしろ、これ以上の介入はお互いの生活を壊すリスクを高めたりもするのに。

「高齢の親との関わりでうっかり罪悪感を持ちそうになったら、絶対連絡して。わたし、全力で罪悪感回避するの、手伝うから」

酔いに任せて選手宣誓しながら気づいた。同級生たちに伝えた言葉はそのまま、私が「やりたいこと」だ。

知識があるからといって、後悔するやりとりが全部なくなるわけではない。リテラシーがあろうとなかろうと、どうしようもない思いが噴出してしまうことは多々ある。

でも、知識やリテラシーが罪悪感をやわらげてくれることや、とらえかたを変えてくれることもある。場の解釈や、コミュニケーションの取り方で親との関係性が動くこともある。関係性そのものは変わらなくても、少なくとも持たなくてもいい罪悪感を手放すことはできる。無責任に罪悪感のボールを渡してくる他者に「いりません」と断ることも。

どれもひとつひとつは難しくないけど、まとまるとカオス。ひとりではとてもやりきれない。だから、誰か一緒に走ってくれる人が欲しい。ただし、ずっと一緒に走る必要はない。一定期間、一緒に走れば、身体の動かし方や心の持ちようがわかってくる。人によってはちょっと話しただけで見える景色がわかる。それは私自身も7年目に突入した認知症介護の中で何度も経験してきたことだ。だから、「時々一緒に走る人」になりたい。

やりたいことが見えてきたら、なんかワクワクしてきた。50歳、楽しくなりそうだなーの予感。


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