なぜ10年日記を毎年買ってしまうのか
いや買うなよ。書けよというのは心から同感なんだけど。
毎年、1月になると魔がさす。
今年こそ書けるんじゃないかと思ってしまう。
そしてAmazonでポチる。分厚いアレを。書かなかったら邪魔なだけの10年日記を買ってしまう。なんでや!
理由はいくつかある。
その1
母親が長年、10年日記をつけていて、その面白さについてときどき語る。何年前の今日、何してたっけ? と振り返るのが楽しい、と。見せてはくれない。見るつもりもない。でも、まめに書きつけた日記を見て、にんまりしてる母親は本当に楽しそう。わたしもそれで遊びたい、をかき立てられる。
その2
日記がちゃんと書ける勢に、定期的に出会ってしまう。
日記を書ける人と書けない人、この世をむりやりふたつに分けたら、わたしは圧倒的後者だと思う。真っ白なページを生み出すことにかけては誰にも負けん、と誇れるほど(誇らなくていい)
ところが、わたしが知り合って仲良くなる人のなかに、けっこうな割合で「日記を書ける人」が混ざってる。
丹念に、ていねいに、日常を活写する。すげえな、リスペクト! で終わればよいものを、やっぱり同じ砂場で遊びたくなっちゃう。
その3
20歳からの10年間、30歳からの10年間、面白いことたくさんあったけど、ぜんぶを覚えてるとも思えない。「忘れられないことは忘れなくていいのだ」という言葉を残して消えたあの子のことも、記憶にもやがかかりはじめてる。
忘れられないことで悶々とした時期はとおりすぎて、ねえ、すごい勢いで忘れてくよ!? とフェーズに来てる。わたしが忘れてしまったら消えてしまう。二度と出会えなくなる何かを惜しんでる。
そんなとりとめもない話をふんふんと聞いてくれていた子たちが、やや不思議そうな顔で言った。
「ねえ、どうして毎年買うの? あと9年ぶんあるじゃん」
いやあ、心機一転といいますか、ついうっかり。
「空白のページがあっても気にせず書いてみたら?」
「空白も、この日は書けなかったんだなって記録になるよ」
!!!!!!
その手があったか。
まずは数ヶ月たってどこに行ったかわからなくなってる10年日記探すところからはじめてみようと思います。
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