見出し画像

23歳で通学路を歩いた日


暑いです。むしろ熱いと書くほうが正しいんじゃないか?
そんな激アチの夏、皆様はいかがお過ごしでしょうか。
僕の住む愛知県は、今日は聞くところによると最高気温が38度、明日は40度にまで上がるそうな。終わり。終わったのです。この町は。

毎年思いますが、春夏秋冬の中でもっていうのは急に来る感じがしますね。6月の真ん中くらいはなんなら少し肌寒い日もあったりして、今年の夏は大したことねーな、と毎年思い、そして毎年急にくる夏にビビります。
「ハイ夏!今日から夏ですよ!!長袖のバカどもは早く袖切らねえとぶっ倒れっぞ!!!」って言ってます。夏が。

そんでもってこの「急」感は、年々強くなってきてる気がします。
言うなればボジョレーヌーボーの品評。言うなれば孤独のグルメ続編決定時の松重豊の一言です。毎年更新され続けています。


有名な話で、カエルを鍋に入れて徐々に熱していくと温度が上がってることに気づかずに死んでしまうという実験があります。
この夏の気温の上がり方ならカエル君も逃げおおせることが出来るでしょう。「いや熱」って。ただ気温がこれなら逃げたところで天日干しでしょうがね。

それはそれとして

冒頭から話をしている夏。
そんな夏は、ノスタルジーを感じさせる季節でもあります。
今日はそういう話をしたいと思い。

僕は今日、用事があって実家に帰っていました。
実家は岐阜県の田舎です。
金曜の夕方に帰って、お酒を飲みながら父さんと、父さんの友達で麻雀をして寝ました。

目が覚めたのは午前4時ごろ。ギリギリ朝か夜か判断に困る時間です。
一時間ほどyoutubeなどを見て眠気が来るのを待ちますが、二度寝はできそうにないです。困ったことに早起き健康ジジイが出来上がりました。

カーテンの先から、少し空が白んできているのがわかりました。
スマホの時計を見ると朝の5時。
田舎だろうと都会だろうと、この時間に出来る娯楽はありません。たまには散歩もいいかと思い、外に出ました。

寝苦しいほどの熱帯夜から打って変わって、外は少しひんやりしています。
空を見ると雨は降りそうにないくらいの曇り空。息を吸うと、アスファルトに染み込んだ水気が蒸されて、それが空気に混じった、あの独特の匂いがします。
雨の匂い。朝の匂い。雨にも朝にも匂いはありませんが、それを感じた気がしました。

嗅覚というのは記憶と深く関わっている、とどこかで聞いたことがあります。
子どもの頃、晩御飯時に民家の前を通った時の人の家のカレーの匂い。
これは色んな創作物で見る、ノスタルジーの象徴とも言える表現ではないでしょうか。実際に経験した、経験していないに関わらず、その言葉だけでなんだか懐かしいと感じるのは、きっとどこかで誰もがそれに近い経験をしているからだと思います。

そんな雨の匂いを感じたとき、僕は夏休みのラジオ体操を思い出しました。
天気は今日みたいな曇り空です。湿ったアスファルトの端を歩いています。
道路の脇から生えている草は雨だか露だかで濡れていて、それがたまに足に当たってちょっと気持ち悪い。
10分くらいかけて集合場所に向かいます。6時45分にラジオ体操が始まるから、家でテレビをぼーっと眺めて、6時半くらいに家を出るわけです。
集合場所に着くと、近所の友達がわらわらと集まってきます。
チューニングを合わせたラジオから流れる、ラジオ体操が始まる前のよくわかんないニュースをBGMにしながら、友達と昨日のヘキサゴンだとか、何でもないことを話して時間を繋ぎます。
ラジオが急にやかましくなると、あっという間に体操が終わり、ラジオ体操カードに近所のお兄ちゃんにポケモンのスタンプをに押してもらって、来る時よりも少しだけ明るくなった空を見ながら帰るのです。

どうしてこんな何でもないことを、10数年たった今でも鮮明に思い出せるのでしょうか。
あの時の記憶は、そんなにかけがえのないものだったのか、と言われたら、それだけでもないと思います。
僕が思うに、

23歳になって通学路を歩いた日

そんなことを考えながらぼーっと歩いていたら、小学校への通学路に自然と足が向いていました。

当時は、僕たちが通学に使っていた大きな坂がありました。民家の裏の林を切り開いただけの道でしたが、他の道はもっと坂がきつくて大変だからと、腐った畳を敷いて、子供たちが転んで怪我をしないように舗装してくれていたわけです。
雨の日はグズグズになった畳を踏むたびに靴に水が染み込んできて最悪でした。
そんな当時の面影はなくなり、周辺は丸々変わって、今は新しい家が何軒も建つ住宅街になっていました。

仕方がないので迂回して、少し違うルートで通学路を進んでいきます。
子どもの頃は広いと思っていた道路ですが、車が一台通るのに精いっぱいの細い路地です。大きめのトラックは通れないくらいの道を歩きます。

変わっていくものもあれば、変わらず残っているものもあります。
柿の木が生えていて、秋ごろになると柿が腐り落ちて凄い臭いを放っていた道には、今もまだ立派な柿の木がありました。

もう少し歩くと高校があって、テニスコートのところには毎回少しだけ時間のズレた時計が掲げてあります。そうそう、こんな道だった。

高校の横には、毎日登下校の休憩に使っていた場所がありました。
家から学校までは歩くと片道3~4キロほど。峠道が続くので、だいたい中間くらいのこの場所でいつも少し休憩するのです。

ここに腰掛けてみんなで休憩してた

この道を進むと結構長めの階段があります。
行くときは下りなので楽なのですが、帰り道の上り階段の苦しいこと。行きはよいよい帰りは怖い。
そういえば小学生の頃、冬に友達と雪玉を投げあいながらここを歩いていると、たまたま通りすがった高校生が混じって一緒になって遊んでくれたことがありました。当時見た高校生って、めちゃくちゃ大人に見えてかっこよかったなぁ。

夏休み最終日、持ち物を全部持ち帰ることになったテンプレ小学生がここで絶望して立ち尽くす

階段を下ってもまだ下り坂。帰りに通るとプレス機の音でうるさい工場の横。
そこまで行くと少しずつ学校が見えてきます。
しかしここでまた、時代が僕の行き先を阻みます。ここから先は駅前に繋がる道で、本来であればそのまま行けば学校だったのですが、駅前の道が丸ごと変わっているのです。

こうやってたまに実家に帰ってくるとき、親に駅まで迎えを頼みます。
そのとき、車から周りを見て「あぁ、なんか変わってるな」と思う程度でしたが、実際に歩くとこんなに違うものかと思います。
テクスチャがバグって、無理やり別のエリアと繋がってるとさえ思うほど不自然に、急激に変わっていきます。我慢して歩くと、やっと見知った駅前の道が見えてきます。

ランドセルに入れた公衆電話代をこっそり握って入った学校前の駄菓子屋。まだやってるっぽい。当時もおばあちゃんがやっていた気がするのですが、まだ健在なんでしょうか。朝の6時で開店してないので確認はできませんでした。

駅の裏のすぐに学校が見えますが、流石に学校まで近づくと怪しい健康ジジイになってしまうので、そのまま別の道で家まで帰ります。

こっちの道は少し遠回りで坂がキツいけど、友達と話したいがためによくこっちから帰っていたな、と思い出します。
大きな川が流れる橋の先、像が並ぶお寺の横を通ります。

子どもの頃は岩の上によじ登ったりしていました。罰当たりすぎ

しばらく進むと一番大きなキツい坂。写真は撮り忘れました。久々に徒歩でここに来ると、ウゲ~~と思います。どうしてこうも田舎は勾配が激しいのでしょう。
昔の人は考えなかったのでしょうか。こんなとこに家を作ったら大変そうだから、道を少しでも均しておこうと。だだくさを言ってもしょうがないです。(だだくさって方言なんだってね)ここで諦めても帰れないのでね。

のっしのっしと坂を歩いていくと、畑作業をするじいさんがいました。
朝から精が出るなあと。見ていると目が合って、「おはようございまーす」と声をかけられました。

これ、田舎あるあるだと思うんですけど。すれ違った人に挨拶をする文化。
やっぱり田舎ってすれ違う人より虫と獣のほうが多いですからね。思えばここに来るまでも何度も挨拶されました。

怪しい人だと思われないよう、こちらも挨拶。
「ハヨザイヤース」と言って通り過ぎようとすると、「食ってくか?」と後ろから。
一瞬戸惑いましたが、周りに僕しかいなかったので僕に話しかけていると思い、振り返って近づきました。
「ブルーベリーを作ってんだ。採れたてだぞ。ほれ食ってけ」
そうやって見ず知らずのじいさんは、ざる一杯のブルーベリーを見せてきました。
いいんですかと僕が聞くと、「孫が食うように育てたんだ。無農薬で美味いぞ」と、めちゃくちゃ説明してくれました。
最終的に手にいっぱいくらいのブルーベリーをもらって、「食べながら行きな」と言ってくれました。

田舎人、警戒心というものがないのか。僕がやろうと思ったらザルごと奪って逃げることもできたんだぞ。

きっと僕が高校の時のジャージを着て、高校生のコスプレをしていたからというのもあると思います。こいつは若いのにこんな朝っぱらから坂道を上って大変そうだな、と声をかけてくれたのかもしれません。

ただ、なんだかこう人間の善意に触れたときのこの気持ち。打算ではない人の温かさを感じて、一人で泣きそうになってしまいました。
変な顔をしながら手に一杯に持ったブルーベリーを食べて歩く僕の姿は、きっと近隣住民に不審に思われた事でしょう。ブルーベリーはめちゃくちゃうまかった。

足の痛みに耐えながら、坂を上って岐路に着きました。
家に帰るとおばあちゃんがご飯を作ってくれていました。
時間を見ると7時ごろ。すでにじっとりと暑くて、空を見ると少しだけ青が覗いていました。

僕が思うに、大人は常々、子どもに戻ってみたいと考えているのではないでしょうか。
かつて早く大人になりたいと願った子どもの頃の自分。大人になった今、こう思っています。さち&じゅりもそう歌っています。

目の前の事だけが全部だと思っていたあの時の気持ち。
どんなことにも熱中できたような気がします。
打算的な事を何一つ考えなかった頃。肉体の話ではなく、あの新鮮な気持ちを求めて、みんな子どもに戻りたがろうとするんだと思います。

僕はよく途方もない考え事をします。
今回で言う、子供の頃の事とかもそうです。これもただ考えるというだけなら簡単な話ですが、少なくとも自分の中で折り合いがつくくらいまでやってやろうと思うと、布団の中では限界があるようです。
そういう時は実際に外に出て、自分の目で見てみるのが一番手っ取り早いです。

歩いている間に、ずいぶんと遠くまでトリップしたような気分です。
変わっていく通学路は、少し形を変えて今もまだ僕を受け入れてくれているようでした。

町は生き物、なんて言います。それくらい、知らないうちに変わっていきます。
変わったのはわかるけど、前まで何があったか思い出せない、なんてのもよくある話です。
たまには昔住んでいた町を歩いてみたり、写真を見て振り返ってみるのもいいと思います。みなさんも是非やってみてはいかがでしょうか。

あとがき

常々、人に生かされているな、と感じる日々です。
それと同時に、よく今の今まで生きているなと思います。
別に何とかなっているわけではなく、常にその日だけを生きています。

愚かな人間です。僕はこんな状態でも、自分の中の考えを改めて器用に生きていくほど強くないです。そして、死を自ら選べるほど強くもないです。

大人は自分で選択できることが多いです。
自分で行動できる範囲も増えました。
星に願っても叶わなかった、大人になるという夢が現実になった今。
子どもの頃は知らなかった、いろんなしがらみが目に見えてきます。

今になって地球一周の旅行をしたいとも、宇宙飛行士になりたいとも思いません。
僕じゃない誰かがやって、写真や文字で記してくれたらそれでいいと思ってしまいます。

それでもこうやって、自分が見なきゃわからないこともあります。
子どもの頃じゃ考えも及ばなかった、今だからこそ感じられることもあります。
知らないおっさんからブルーベリーをもらったら、子どもの頃ならラッキー程度で済ませていたでしょう。人の温かみを感じ取れるようになっただけ、それは成長だと捉えましょう。

そうでもしないとやってられません。23年も生きているのです。
すこしでも、あの頃よりはマシになった、成長できたのだと信じて、少しでも生きてみようと思える時間を延ばしていきたいものです。

説教くさくなってすみません。あとがきを書いている今、お酒を飲んでいまして。
お酒飲んで説教する奴、嫌ですね。子どものころなりたくなかった大人です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?