『夢を語れとの出会い』

こんにちは!
夢を語れ福井代表のばーちーです!

6月からスタートした、夢を語れの代表たちによる
#ユメカタリレーブログ という企画で、
同じ日に同じお店で修行を始めて同じ日に卒業した
大阪代表のシュンタさん(a.k.aスンタニキ)から
バトンが回ってきたので、
人生初となるブログを書かせていただきます!
少し長くなりそうな予感がしていますが、
最後までお付き合いいただけると嬉しいです!

テーマは『夢を語れとの出会い』です。

僕は高校までは福井県の美浜町という、
湖と海と山に囲まれた町で過ごし、
京都の大学へ進学しました。
京都といえば「ラーメン荘」始まりの地。
ラーメン好きだった僕がそれと出会うのはもはや時間の問題だったのですが、
その話は後ほど。

大学生の頃の僕には一つの夢がありました。
それは「世界一周をすること」
高校生の頃には気付いたら「大学生になったら世界を旅するぞ!」
という夢というかもはや予定が胸の中にありました。
きっかけは特にあったわけではなく、
本当に気付いたら胸の中にあったんです。

そして本格的に就活が始まる4回生になるタイミングで
休学届を召喚!ずっと俺のターン!
実はこの時に初めて、世界一周をしたいということを
親に伝えたのですが、想像以上の二つ返事でOKしてくれた親には
本当に感謝ですね。この場を借りて感謝申し上げます。

そして半年間ほど鬼のアルバイト戦士と化し、
お金を貯め、念願の世界一周へと出発!

そしてマフィアに銃を向けられ軟禁されることとなるのです(唐突)



この話は少し長くなるので今回は割愛させていただきますが、
人生で一番怖かったです。
当たり前ですが銃はヤバイ。
快く送り出してくれた手前、こんなことがあったので、
心配かけたくなくて親には言えませんでした。
この場を借りてご報告と謝罪をさせていただきます。
無事に帰ってきたからどうか許してね・・・!

様々なハプニングがありながらもお金を貸してくれた親友や
たくさんの人の助けがあり、
楽しい旅をさせていただきました。

ブエノスアイレスのゲストハウスでは、あまりにもラーメンが食べたくなり、
それっぽい食材(フライドチキンの余った骨・メルカドに売っていたよく分からん鳥の肉etc)を共用キッチンで煮込んだり焼いたり茹でたりしてしばいたりして、
なんとかラーメンと呼んでも差し支えないものを作り上げ、
せっかくなのでその時宿にいたアルゼンチンヒッピーや
亡命してきたベネズエラ人たちに振る舞うということもありました。
日本から伝説の醤油(SOY SAUCE)を持っていってたこともあり、
結構好評でした。(僕も美味しいと思いました)
それが僕にとって初めての「他人にラーメンを振る舞う」という
経験だったのですが、その時はまさか自分がラーメン屋さんになるなんて・・・
でもいつかは「ラーメン屋をやりたい」という思いが芽生え出したのは
この頃だったかもしれません。

そんな旅でまあ色々とそれなりに学びがあったわけですが、
やはり一番の学びは
「自分の残機は残り1」ということですかね。
よく分からない言い方をしてすみません。
「人生はマジで一度きり」とか「命は一つだけ」ということですね。
何を当たり前のことをと言いたくなると思いますが、
マジでそうらしいですよ。
僕ももちろん知ってましたし、そのつもりで生きているつもりでした。
でも多分「つもり」だったんだと思います。
実際に自分の命が脅かされたり、
命を、今日を、明日を脅かされている人たちを見たり、出会ったり、
自分の生きている環境の豊かさや有り難さに気付いたり、
常識なんてものが存在しないことを知ったり、
そんな経験や出会いをするまで、
何処か、人生が一度きりであることを実感できていなかった。
自分の人生を生きられていなかった。
そんな感じがしました。
皆さんはどうでしょうか?
それから僕は何をしたいのか、何をすべきなのか、何を目的にするのかということを大切にし、考えるようになりましたし、
一度きりの人生を全力で楽しみたいという思いが強まりました。

そして帰国した僕はなんと!
2度目(2年目)の休学届を召喚!再び俺のターン!
やりたいことをやりたいから更に休学する放浪息子を許してくれた親には
またまた感謝ですね。この場をお借r(ry

さすが3度目の休学届は禁止カードだった(自己判断)ので、
追加の1年の休学と4回生の計2年はいろいろフラフラしながらも、
就活なるものをしたり、
慶應義塾大学の経済学部を受験したり(一応合格できた)、
海外旅行に行ったり、めちゃめちゃアルバイトをしたりと、
やりたいこととやらなければないことの狭間で揺れていました。
そんな中で人生において大切な、愛だの夢だの友達だの家族だの信用だの、ということを学んでいったと思っています。

そして僕はついに「ラーメン荘」との邂逅を果たすのです。

細かいですが、「夢を語れ」との出会いではなく、
「ラーメン荘」との出会いです。
僕がやっていて全国・世界展開を進めている「夢を語れ(Yume Wo Katare)」は
「ラーメン荘」とは似て非なるものであることは、
少し詳しい方であればご存知ですよね。
親戚的な従兄弟的なやつです。
といっても僕にとってのラーメン荘との出会いは
夢を語れとの出会いとほぼ同義だったのかもしれませんが。

今でこそラーメンを作るものとして、というかシンプルに興味があるので、
いろんなラーメンを食べ歩こうというバイブスがありますが、
当時の僕はあまり新規開拓はせず「ハマったラーメン屋さんに通い続ける」
という習性があった為、出会うには5〜6年ほど時間がかかりました。
ハマったラーメン屋さんにだいたい200回以上行き、
また別のラーメン屋さんにハマって200回以上行き、
そうして行き着いたのが、京都の西院にある、
「ラーメン荘 地球規模で考えろ ソラ」というお店です。
本店は京都市伏見区にあるのですが、北区に住んでいた僕はソラの方が
近いこともあり、友達とスクーター4台で意気揚々と向かいました。

券売機にて「緑のプラ食券のヤツ」をチョイス。
当時、二郎系というもの自体は、
一乗寺の池田屋さんに度々食べに行き出した頃で、
初ソラはおそらく人生7、8杯目の二郎系ラーメンでした。

そしてなんかカッコイイラーメンが降臨。
いざ尋常に勝負。
いただきます!

「ウッッッッッッッッッマ!!!!」

そうこの時、舌に生じた電撃がシナプスにスパークし、
ばーちーの脳細胞は強制アップデートさせられたのである。
刹那に神すらも垣間見た気がした。
それからはもう時間の問題だった。
同じラーメンを食べ続けられる才能(?)のあった僕は
隙を見ては、隙を作っては、ソラに通った。
そして週6くらいで通っていたある日、
いつものように「ご馳走様です!」と丼を上げると、
伝説の世界線変更師であるT店長に
「キミ、もううちで働いたら?」との打診があったのである。
「ありっすねぇ〜〜!」と即アンサー、
そしてその晩にTwitterアカウントにDMをし、2日後くらいから
働かせていただくこととなった。
既に4つアルバイトを掛け持ちしていた僕だったが、
自分のしているアルバイトの数を数える知能はもう残っていなかった。

「夢を語れとの邂逅(邂逅って言いたいだけ)」

賄い制度で無料になったラーメンを食べさせてもらいまくりながら、
麺増し1200g食べれるくらいまでには成長し、
残りの大学生活を過ごし、マジのギリギリまで手付かずだった卒論を
ラスト1日で仕上げ、卒業旅行で5度目のタイとラオスに行き、
油断してラスト1単位で再試になってしまい危なげながらも卒業し、
とある東証一部上場企業に新卒社員として入社しました。
さすがにこのラーメンにどハマりしていたこともあり、
「いつかラーメン屋さんをやりたい」とか「起業したい」などという
夢もあったのですが、就職してみたかったのと、就職すべきだという
思いがあったので、その選択をしました。
仕事はもちろん大変ながらも楽しく、
尊敬できる上司や同期にも恵まれたので、
今でもいい選択だったと思っています。

社会人になってからも仕事終わりにスーツ姿でソラ通い続け、
地球規模のボスであるヤナさんが「夢を語れ滋賀」をOPENさせるという
話も聞きつつ、白いワイシャツを全く汚さずにラーメンを食べれるスキルに
磨きがかかってきた入社約5ヶ月目、
夢を語れ滋賀にて修行生を募集するという話を聞きました。
心の底では「ラーメン屋をやりたい」夢はあった為、話だけでも聞きたいと思い、
ヤナさんに時間を作っていただいた。
僕は当時正直「夢を語れ」にはそこまで興味はなく、何をしようとしている集団かもよく知りませんでした。
そんな状態で聞いたヤナさんのお話。
「夢を語れ」がやろうとしていること。
気付いたらものすごくワクワクしている自分がいました。
なんだこの少し懐かしいような感覚は。
きっと本当に「やりたいこと」なんだろう。
そしてなんという運命の巡り合わせか、ちょうどその日に
夢を語れ創業者の西岡津世志さんとお会いすることができました。

実は運命とかタイミングとかを大切にしている僕は、

「なるほど。そういうことか。」

と受け入れ、ワクワクというエネルギーを携えたまま、
夢を語れ滋賀で修行させていただきたいとお願いし、
次の日、退職させていただきたい、と会社の方に伝えた。
夢を語るというポジティブな方法で。

もちろん数ヶ月間僕を育ててくれた方々を裏切るような、
後ろめたい気持ちもないわけではなかったですし、
実際時間や労力も割いていただいたので、
申し訳ない気持ちと感謝も伝えましたが、
なんだかんだで皆さん応援してくれて本当に嬉しかったです。
いきなり、「夢を語ること」の凄さ、尊さを実感することとなりました。
前職で関わった皆さんには本当に感謝しています。

そしてその1ヶ月後に退職させていただき、その2日後の2020年10月1日
ついに、1年間の夢を語れ滋賀での修行がスタートするのである。
そしてついに来たる
シュンタさん(a.k.aスンタニキ)との邂逅編
と修行編はまたの機会に!!

以上が僕の『夢を語れとの出会い』でした!
やはり長くなってしまいましたが、
最後までお付き合いいただいた皆さん、本当にありがとうございました。

次のバトンは実は同い年!カッコイイ鹿児島代表のヒョードル君にパスします!
安心してバトンを渡せる漢!

よろしくお願いします!

#ユメカタリレーブログ


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