いにしえのゆる(すぎ)中学受験の末路

こちらの記事で書いた、ゆるすぎる中学受験を経て、晴れて近所の某女子校に入学した。
何かの間違いなんじゃないか?と常に疑っていたが、普通に入学式に出て、普通に席もあった。

さて、母に言わせれば「近いし高校さえ出てればそれでいいと思って」という、現代の中受母が聞いたら白目剥いて卒倒されそうな理由で選ばれたこの近所の女子校、この頃進学路線に舵きりしている真っ最中で、新校舎を建設中でもあった。
そもそも「附属」という名前こそあるが、上の大学が音大という特殊極まりない学校なので、元々そこまで内部進学をするところではない。
それでも私が入学する何年か前から、GMARCHレベルの学校にそこそこの実績を出し始めていて、中学受験の偏差値もじわじわと上がってきている頃だった。
母の認識はそれより遥か昔、名前を書けば入れるだとかそんなレベルだった頃のものだったらしい。だから受験勉強なんてしなくても…という発想があったようだ。

偶々Twitterで過去の偏差値比較がされている表を見たところ、私が入学した年の日能研偏差値は49であり、いくら今より中学受験が簡単だったとしてもノー勉で入れる偏差値ではない。少なくとも現役中受親の端くれである自分はその発想にはならない。

もちろん、当時の入学者だって相応の塾通いを経て合格しているのが大半だった。
入学してみて驚いたのは、Nのつく塾出身者がクラスの半分以上いたことだ。これは本部が置かれている神奈川県の学校であるがゆえかもしれない。
とにかく入学式の日から校舎ごとに既に人間関係が出来上がっているのだ。
そして、何の疑問もなく、「どこの塾行ってたの?」と訊かれる。塾に行かずに受かったという人は、内部進学生と帰国生を除いて私だけだった気がする。

大体が2、3年の勉強をして入学してきたのだから、さぞかし皆頭がいいのだろうと思っていたのだが、その期待は違っていたのだと気づくまで、一学期も要らなかった。

どんな教科でも、理解する前に丸暗記をして定期テストを乗り切る。そして、直ぐに忘れてしまうという勉強法を取る人が何故か多かった。
そして、テスト前の丸暗記という技の使えない自分より点数が低い。私は意味のない文字の羅列が全く覚えられないから、丸暗記がきわめて苦手なのだ。
こういう子は、テスト前でもなければ本当に勉強していない。
勿論、学校側はそれを見越して山程の課題を出すのだが、そういう子は要領よく誰かの宿題を写して乗り切るのだ。よく勝手に宿題を持っていかれて写されていたのには辟易したし、理科の実験レポートなど、班全員分を押し付けられていた。

とにかく、学習意欲が低いし、理解力も低い子が結構いた。
2、3年の塾通いと受験勉強の末にその程度の学校に落ち着いた人と、何もしなかったけど合格した人。同じボーダーを超えてきたとはいえ、差は大きい。
やったことがないから、どうなったかはわからないが、後者の人は同じだけ勉強をしていればもう少し学力の高い学校に行けたのかもしれない。

学校側は、多数派の子に向けた授業を行なっていくから、授業も簡単だった。
中高一貫教育らしく、進度自体は速めに設定されていたとは思うが、理解ができない…という科目は特になく、テストでもクラス最高点を主に文系の複数科目で取れていた。
これでは地元の公立中に進むのと、治安以外変わらない。というか、宿題を勝手に机や鞄から持っていく同級生がいる時点で、治安だってすごくいいわけでもない。何より、勉強が楽しくない。
高校受験したいと希望はしたが、折角私立に入ったのに何言ってるの?と一蹴された。

自分のための知的な活動をするには、授業だけでは全く物足りないし、授業で下手に発言しようものなら疎まれる。女子校の嫌なところだ。
他人と関わるとロクな目に遭わないことを2年ほどかけて悟った私は、読書によってその不満を解消することにした。
気付けばどこに出しても恥ずかしい、立派な小説オタク腐女子が出来上がっていた。
因みに、森博嗣のS&Mシリーズで喜多先生と犀川先生のあれこれを妄想していたし、主に手書きでそんな小説を書いていた。ありがちな黒歴史である。

好きなように本を読んでいるとどうしても夜更かしする。一日に平均的な厚さの本なら三冊は読んでいたからで、一応宿題はやっていると寝る時間は遅い。そのうちパソコンも触り始めて余計に遅くなった。
授業は、教科書を読めばわかることをやたらと丁寧にやっていて猛烈に退屈だ。
こうなると、授業中はとにかく眠い。
斯くして、学校の授業中に居眠りをするか内職でヤマもオチも意味もない小説を書いているかのどちらかという最低な高校生が出来上がっていた。
先生の心象は最悪だったことだろう。
「お前、テストはできるけど寝てばっかで…」とは、よく言われた。

今思えば、同程度の負荷をかけた状態で同等の成績を収めた人を想定して入学させるのが中学入試なのだから、受験勉強はある程度やっていなければいけなかったのだ。
その上での学力に見合う学校に行く必要があったのだ。
勿論、校風が好きとか、課外活動に魅力があるとか、そういったポイントで選ぶことも必要だが、学力面に特化して考えればある程度の受験勉強をして、手が届いた学校に行くのが良かったのだろうな…と、大人になった今は思っている。

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